WHOのテドロス事務局長が日本政府を称賛する発言を行った。https://this.kiji.is/611323175978861665?fbclid=IwAR2bLbXdCfOca-yvuQ8JP1TemxZ2sqAiVNm1F7d7HBhGPf1vTnHROAsTrd8 外交上の観点から言えば、日本がコロナウィルスの抑え込みに奏功しているという印象をWHOを通じて発信してもらうのは、悪いことではない。
ただ、中国に忖度しすぎていると評判の悪いテドロス事務局長だ。正直、多くの日本人が、複雑な気持ちだろう。日本の状況が最悪ではないからといって、これまでの日本政府の施策に目を見張るものがあったということにはならない。検査数を抑えて医療崩壊を防ぐ、というのは、妥当な態度ではあるが、そのこと自体は、積極的な抑え込み政策のことではない。学校の一斉休校も、それ自体としてどれだけの効果があったのかは不明だ。
ただ、危機意識が高まって、一般国民の自助努力が促進したのは事実だろう。結局、一般人の自発的努力の部分が、日本の底力だ、ということなのではないか。
14日夕の安倍首相の記者会見は、新型コロナ特措法の成立にあたってのものであり、政府の立場を国民に説明する機会であったが、これまで努力を払ってきた数多くの人々へのお礼の言葉があったのは良かった。
海外メディアにアピールするのにも良い機会であったことも考えれば、もっと、これまでの国民の努力を称賛する言葉があってもよかったくらいだと思う。
アメリカのように大統領が緊急事態宣言を発する国もある。欧州諸国の指導者は、悪いシナリオを示唆してまで国民に語りかけるようなスタイルを選択しているようだ。アジア諸国は比較優位のある技術対応を求めている場合が多い。日本の場合は、国民にできることをするように「お願い」をするスタイルだったが、これまでのところ破綻はしていない。
第二次世界大戦当時の日本は、兵員のレベルは高かったが、指導者層の質が低かった、とよく言われる。日本のような社会は、社会習慣や人事慣行が確立しすぎているため、突出した能力のある者を特に抜擢して特別な職権を行使させることが苦手な社会構造になっている。他方で、国民が広範に必要なことを行っていく度合いを測ると、悪くはない結果が出る。
こういう社会では、指導者層が自分のことを優秀だと誤認し、妙な仕組みを語り始めると、ろくなことにならない。指導者層は、不明な点を謙虚に認めながら、議論を活性化させ、一般人の底力を活かしていくことを考えていくしかない。
今や、日本人の多くは、オリンピックの予定通りの実施は得策ではないと考えている。世界の多くの人々も、オリンピックどころではない、というのが正直な気持ちだろう。強行しても、日本への不信感が高まるだけだ。日本のコロナウィルスの取り組みは悪くはない、という印象が確立されたところをみはからって、むしろ日本のほうから諸国をおもんばかって、世界中の大変な様子を見て延期を図る、と姿勢をとるのが、妥当だろう。
伝統的な日本外交では、これを明確な英語の政治演説で表明したりするのは、得意ではない。そこでWHOテドロス事務局長と良好な関係を築きつつ、IOCバッハ会長に「WHOの助言に従う」などと発言してもらう情勢の中で、様子を見たり、雰囲気を醸成していくしかないのだろう。https://mainichi.jp/articles/20200313/k00/00m/050/073000c 自らイニシアチブをとらないのは物足りないが、悪くはない。むしろ、一部の国内の指導者が意固地になったら、危険だろう。
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それが国際社会に対してどれだけの発信力をもち、東京五輪の開催の可能性を含め、今後想定される国際社会での先の見通せない展開を前に、日本への信用や関心をつなぎとめ、感染禍終息後に待ち受ける難題への対処や国際社会での存在感の維持、主導性の確保に向けてどれだけの足がかりとなるのかも、分からない。
ただ、阪神大震災でも東日本大震災、そして福島の原発事故でも、度々想定外の大規模災害に見舞われながら、社会的騒擾につながるような大きな混乱を回避して、何とか克服し復興してきた日本人の総合的危機対応能力が今回も試されようし、それは戦災からの復興、さらに遡れば急速な近代化を迫られた明治維新という政治変革を経て、立憲制国家への脱皮と産業化を為し遂げ、日清、日露の戦争を勝ち抜いて五大国に列した先人の後裔である現在のわれわれ日本人に、それが不可能とも思えない。
在任期間が憲政史上最長となり、いよいよ政権の最終段階を迎えた首相が、これまでの経験と蓄積を生かして大過なく難題を克服できるよう、祈るような思いの国民に向けて、篠田さんの指摘する感謝の念を込め直接呼び掛けた今回のスピーチは、派手さや人を惹きつける惹句を欠いたとはいえ、立派なものだった思う。
ペロポネソス戦争中のアテーナイの指導者、ペリクレスが葬送演説で民主制の優位と国民性を語って市民を鼓舞したような説得力を望むのは時代錯誤だろうが、危機に臨む日本人的心性への信頼と日本人の「勁さ」への確信を重ねて表明していた。
世界には、新型ウイルスの「発生源論争」を仕掛け、外務省副報道局長が、ツイッターで「米軍が感染症を武漢に持ち込んだかもしれない」と呟き、WHOにも油断ならぬ政治的影響力を行使する中国のような国家もある。
日本には違う行き方がある。
‘Δι᾽ ὅπερ καὶ τοὺς τῶνδε νῦν τοκέας, ὅσοι πάρεστε, οὐκ ὀλοφύρομαι μᾶλλον ἢ παραμυθήσομαι. ἐν πολυτρόποις γὰρ ξυμφοραῖς ἐπίστανται τραφέντες· τὸ δ᾽ εὐτυχές, οἳ ἂν τῆς εὐπρεπεστάτης λάχωσιν, ὥσπερ οἵδε μὲν νῦν, τελευτῆς, ὑμεῖς δὲ λύπης, καὶ οἷς ἐνευδαιμονῆσαί τε ὁ βίος ὁμοίως καὶ ἐντελευτῆσαι ξυνεμετρήθη. χαλεπὸν μὲν οὖν οἶδα πε’θειν ὄν, ὧν καὶ πολλάκις ἕξετε ὑπομνήματα ἐν ἄλλων εὐτυχίαις, αἷς ποτὲ καὶ αὐτοὶ ἠγάλλεσθε· καὶ λύπη οὐχ ὧν ἄν τις μὴ πειρασάμενος ἀγαθῶν στερίσκηται, ἀλλ᾽ οὗ ἂν ἐθὰς γενόμενος ἀφαιρεθῇ. καρτερεῖν δὲ χρὴ καὶ ἄλλων παίδων ἐλπίδι, οἷς ἔτι ἡλικία τέκνωσιν ποιεῖσθαι· ἰδίᾳ τε γὰρ τῶν οὐκ ὄντων λήθη οἱ ἐπιγιγνόμενοί τισιν ἔσονται, καὶ τῇ πόλει διχόθεν, ἔκ τε τοῦ μὴ ἐρημοῦσθαι καὶ ἀσφαλείᾳ, ξυνοίσει· οὐ γὰρ οἷόν τε ἴσον τι ἢ δίκαιον βουλεύεσθαι οἳ ἂν μὴ καὶ παῖδας ἐκ τοῦ ὁμοίου παραβαλλόμενοι κινδυνεύωσιν. ὅσοι δ᾽ αὖ παρηβήκατε, τόν τε πλέονα κέρδος ὃν ηὐτυχεῖτε βίον ἡγεῖσθε καὶ τόνδε βραχὺν ἔσεσθαι, καὶ τῇ τῶνδε εὐκλείᾳ κουφίζεσθε. τὸ γὰρ φιλότιμον ἀγήρων μόνον, καὶ οὐκ ἐν τῷ ἀχρείῳ τῆς ἡλικίας τὸ κερδαίνειν, ὥσπερ τινές φασι, μᾶλλον τέρπει, ἀλλὰ τὸ τιμᾶσθαι.’(Β. 44.)[完]
これは、Wienhuesさんという連邦弁護士会の行政法会議の議長で、行政法専門の弁護士として、ハンブルグのGraf von Westfalen法律事務所所属の女性弁護士とのインタビュー記事である。テーマは、
Behördenrechte in Zeiten von Corona "Notfalls dürften Beamte Zwang anwenden"
コロナの時代の所轄官庁の権能、緊急の場合、公務員は住民を強制することができる。
SPIEGEL: Was darf jemand, der in häuslicher Quarantäne ist, dann eigentlich noch machen? Darf er zum Beispiel den Müll runterbringen? Darf er die Wohnungstür aufmachen, um Dinge in Empfang zu nehmen? Darf er jemand anderem Geld geben, um für ihn etwas einzukaufen?
Spiegel: 例えば、自宅隔離の際、どこまでが可能ですか?例えば、ごみ捨てをしてもいいですか?物を受け取るために、住居のドアを開けてもいいですか?買い物を頼むためにお金を渡してもいいですか?
Wienhues: 当局はそれについて詳細な指示、一般的な説明をすべきでしょう。私の個人的な見解ですが、基本的に外部とのコンタクトは避けるべきでしょう。私の今の認識からすれば、今陽性が確定した人で自覚隔離の人はいないので、疑わしい人、症状のない人々が、外界の人と接触する場合になりますが、衛生的な注意が必要となります。例えば、ゴミ出しをする前によく手を洗う、その後も。お金をさわることも、自宅隔離があけてからにしてほしいです。
また、現実には、副作用の少ない効能のあるワクチンを作るには長い時間がかかるのだから、それをテーマにするのではなくて、重病になる危険性のある人への感染をどうくいとめるか、どうすれば感染のスピードをゆっくりさせられるのか、というみんなが関わり合え、協力できる現実的な問題を主要なテーマにして、番組を作り、世論を作るべきなのではないのだろうか?Covid19はドラマではなくて、現実である。日本国民は、メデイアの人々を含めて国民に保障する自由及び権利、つまり、人権を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負っているのだから。
(参考・薬事法距離制限事件違憲判決・最高裁大法廷判決昭和50年4月30日民集第29巻4号572頁以下から抜粋)
「これらの規制措置が憲法22条1項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。」
感染症法、検疫法、新型インフルエンザ等特措法も、憲法22条の移動の自由、営業の自由、憲法21条の集会の自由等の人権と感染症蔓延を防止する公共の利益との利益衡量を前提に制定されているものです。当然、感染症の患者については強制的な入院措置(感染症法19条2項、行政法の講学上は「即時強制」と分類)も可能です。一方で、「新型インフルエンザ等緊急事態」における住民に対する外出自粛等の要請(新型インフルエンザ等特措法45条1項)は法的には任意の履行を促す行政指導です。また、多数の者が利用する施設の使用制限等の指示(新型インフルエンザ等特措法45条3項)は公法上の義務を課すものではありますが罰則等による強制的担保措置はありません。
表現の不自由展をめぐる憲法学者に関する記事は印象操作
shinodahideaki.blog.jp/archives/33454136.html#comments 、の際、私はドイツの「闘う民主主義」を説明して、民主主義国家でも、自由は無制限に認められているわけではない、と主張すると、政府解釈さんが、ドイツはそうかもしれませんが、米国は違います、と私の法律の無学ぶりをなじられたが、このCovid19問題の米国トランプ大統領の対応をみても、アメリカ人は主権を制限されているのではないのか、と思う。米国人のクルーズ船の乗組員も、下船してから、2週間隔離され、移動の自由を許されない。要するに、それは、個人の自由、権利よりも、その国の国民の健康、公共の福祉を重視しておられるためなのであって、それが、国際社会の民主主義国家の原則なのである。それが国際社会の常識なのに、日本の法学者、憲法学者だけが違うのである。
日本国憲法が作られたとき、芦田均さんたち、国際法を知っている方々は、国家の命令、明治憲法下の法律のように、命令の形ではなくて、個人の判断でそう決めた方がいい、と考えられたから、公共の福祉、という言葉を多用されたのであって、ドイツのメルケル首相の言葉を借りれば、それは大人、成熟、責任ということなのである。
東京オリンピックについては、まだ論評(1予定とおり2中止3延期)は早いと思います。日本(と世界)の収束(”終息”ではありません・ゼロになることはない)状況を見ないと論評できません。3月19日に政府の専門家会議が、政府の休校などの自粛要請(2日~)と各自治体の各種措置の効果を、検証するとのことです。
そこでの医学はもとより数学・統計学をも駆使して、現況の検証結果と一応の将来予測が出てきます。もし、出て来なければ、予測不能ということになり、たいへんなことになります。状況は、五輪中止・延期の判断に向かって行くことが濃厚となります(もちろん、こうはなりたくありませんよ!)。
昨日(3月14日)の朝、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが、読売TV系の報道番組に出演していて、世界での感染状況が収束しなければ、IOCの憲法である五輪憲章を変えないと延期ができない(今は、年を超えて開催延期できない!となっているとのことです・中止の選択肢しかない)。二宮さんの言い方では、五輪憲章の改正はやれる!ような口振りでした。
別の元東京都の五輪招致委員の鈴木知幸さんは、IOCは、米国TVネットワークNBCの放映権料が収入の8割を占めているので、NBCの意向に逆らえない!と言っていました。米国は、トランプ大統領も”延期”賛成派です。”中止”という最悪のケースを回避するためには、NBCにも動いてもらわなければなりません。
政府・組織委員会など関係者は、”予定とおり開催する”との一点張りです。この説明は、作戦としてはまずいと思います。今朝のフジTVの番組でも橋下徹氏(元大阪府知事・市長)が、プランA(予定とおり開催)プランB(そうでない場合の対応策)を示して、国民に説明すべきだ!とおっしゃっていました。為政者は、あらゆる可能性を想定して、国民にその選択肢を提示するということも仕事だと、Gは考えています。
日本語の読解力が乏しいのにドイツ語の勉強をしている頓珍漢なカロリーネ氏に正確な理解を求めるのは酷なのかもしれませんが、私は、ドイツの「闘う民主主義」が比較法的に特殊とは主張しましたが、だからといって「闘う民主主義」を採用していない日本やアメリカで自由が無制限と主張したわけではありません。
日本の検疫法上も、交通等の制限(検疫法5条)、隔離(同法15条)、停留(同法16条)等の規定があり、人権と社会公共の利益との利益衡量を図っております。ダイヤモンドプリンセス号の下船者についてしたアメリカの「隔離」措置は日本の検疫法上も可能な措置です。
その点で政治家(ὁ πολιτικός)の役割は大きい。人間が社会的存在、つまりアリストテレスが正当にも指摘したように政治的動物(ζῷον πόλτκόν)であるなら、政治家の説明する(ἐξηγεῖσθαι)能力、そのための言葉(ῥῆμα)の力、説得する能力(δύναμις πειθώ)が問われる。
それを促す点で、共に感染症(λοιμός)と戦う国民に「感謝を表明すること」(τὸ χαριςτήμια)は有用だし、国際舞台ではネゴシエーション能力(χρηματίζειν ῥώμη)も欠かせない。
それが、強権的手法で国民を監視下に置き、強制的手法で封じ込めにあたる中国のような抑圧体制とは違う民主制国家のやり方だからだ。
2~3で紹介したペロポネソス戦争中のアテーナイの指導者、ペリクレス(Περικλῆς)の葬送演説(λόγος ὁ ἐπὶ τοῖς θαπτομένοις)は、開戦第一年の冬(BC. 431~430)に行われたもので、通常の追悼演説(λόγος ἐπὶτάφιος)の枠に収まり切れない、戦死者の遺族に向けられた、現在のわれわれには一種衝撃的な言葉が並ぶものの、そこには最新のIT技術を駆使して国民を監視する中国のような現代版ディストピア=抑圧支配とは異なる、国民への信頼(πίστις)の念が息づいている。
今回の感染禍はいろいろな問題を突きつけているようだ。
現在のギリシアの感染拡大とは何の関係ないだろうが、「一帯一路」推進で、ピレウス港が中国の多額の財政支援、要するに借金で整備されたことを考えると、何んとも皮肉な歴史の巡り合わせだ。
ともかく、ペリクレスの戦略は、屈強な陸軍力を要するスパルタ(ラケダイモン)を盟主とするペロポネソス同盟軍のアッティカ侵入に際して陸戦を避け、強大な海軍力を生かして敵地を攻撃するというもので、アテーナイ市民を城内に避難させ、持久戦に持ち込むものだったが、充分な戦果が出ていない段階では、「第一人者」(ἀρχή=imperium)と称されたこの卓越した指導者(τὸ ἡγεμονέω)に対して、避難させられた郊外の市民は不便と病魔との戦いという二重の苦しみで不平不満も多かった。
急遽、城内に退避させられた市民で疫病の犠牲になる者が特に多く、まともな形で臨終を迎えることもできない悲劇が続き、瀕死状態の罹患者が路上に彷徨い、神域に設置されたテントの中は死体の山という目を蔽いたくなる惨状だった。薪不足で火葬も追いつかなかった。
葬送演説の暗く決然としたトーンは、そうした国内情勢を受け、和平派の動きを抑えながら、一般の市民の動揺や不満のなか戦争継続の必要性を説くものだ。戦況における戦略的な展望をあえて楽観的に示すことで安心感を醸成する一方、安易な希望や確信を失い、ともすれば落ち込みがちな市民の士気を鼓舞し、当面の耐乏を怯むことなく求めたもので、政治指導者のリーダーシップ(ἡγεμονία)について、いろいろ考えさせる。
日本の政治指導者にほとんど例がないタイプであることは確かで、特に戦後の危機管理意識の希薄さは、国民性にも通じる。そして、国民の器量(ἀρετή)と政治家の器量は結局不可分だから、それも否定できない日本の現実なのだろう。
「また、アテーナイがもっている名誉ある国際的地位はいま、諸君のすべてが誇りとしているものなのだが、これはわが国の諸国支配に由来するものなのであって、諸君は当然この名誉と誇りを擁護しなければならない。それに伴う労苦を今さら回避することはできないのだ。もしそれが嫌なら、名誉を求めることも断念しなければならない。またこの戦争は、単に自由か隷属かというようなことを争っているのではない、ということも知ってもらわなければならない。事と次第では支配者の地位を追われるかもしれず、仮にそうなれば、いま諸君が支配者であるために被った諸国の人たちからの憎悪で、どんな危険な目に遭わされるか分からないということが賭けられているのだ。
一部の諸君は現在の状況に怖気づいて、何もしない消極策によって、手を汚さず上品ぶることを考えているようだが、平和理の支配権放棄は、もはやできない相談なのだ。そんなことではもう済まされず、諸君が既に手中にしている諸国支配の権力は、まるで独裁的支配者のそれのように、それを掌握することに不正の疑いがあったかもしれないが、それを手放すことはいまや誠に危険なのだ。
仮に彼の説に他の諸君が従うなら、たちどころにアテーナイを滅亡に導くことになるだろう。それは彼らが、どこかに彼ら自ら独立した国家を築こうとしてみたところで同じだ。」(引用続く)
‘τῆς τε πόλεως ὑμᾶς εἰκὸς τῷ τιμωμένῳ ἀπὸ τοῦ ἄρχειν, ᾧπερ ἅπαντες ἀγάλλεσθε, βοηθεῖν, καὶ μὴ φεύγειν τοὺς πόνους ἢ μηδὲ τὰς τιμὰς διώκειν· μηδὲ νομίσαι περὶ ἑνὸς μόνου, δουλείας ἀντ᾽ ἐλευθερίας, ἀγωνίζεσθαι, ἀλλὰ καὶ ἀρχῆς στερήσεως καὶ κινδύνου ὧν ἐν τῇ ἀρχῇ ἀπήχθεσθε. ἧς οὐδ᾽ ἐκστῆναι ἔτι ὑμῖν ἔστιν, εἴ τις καὶ τόδε ἐν τῷ παρόντι δεδιὼς ἀπραγμοσύνῃ ἀνδραγαθίζεται· ὡς τυραννίδα γὰρ ἤδη ἔχετε αὐτήν, ἣν λαβεῖν μὲν ἄδικον δοκεῖ εἶναι, ἀφεῖναι δὲ ἐπικίνδυνον. τάχιστ᾽ ἄν τε πόλιν οἱ τοιοῦτοι ἑτέρους τε πείσαντες ἀπολέσειαν καὶ εἴ που ἐπὶ σφῶν αὐτῶν αὐτόνομοι οἰκήσειαν· τὸ γὰρ ἄπραγμον οὐ σῴζεται μὴ μετὰ τοῦ δραστηρίου τεταγμένον, οὐδὲ ἐν ἀρχούσῃ πόλει ξυμφέρει, ἀλλ᾽ ἐν ὑπηκόῳ, ἀσφαλῶς δουλεύειν.’(Β. 63.)
諸外国と比べ日本は牧歌的に見える。イタリアの直近の感染者は21,157人で死者1,441人、致死率6.81%という異様さだ。
日本の研究者の最新報告でウイルスには3つの型があるようだ。伊・中(武漢)に共通するのは、感染力が強いL型(CTC)だ。いずれにしても、「中国発」の災難だ。
中国が仕掛ける体制維持の情報戦は、今後ますます激しくなりそうだ。[完]
また
オリンピックについては、ドイツのオリンピック委員会のヘルマン会長は、決定は5月中頃に行う、と発表された。その理由として、Covid19問題は、人類の生存にかかわる問題で、金、銀、銅次元の問題ではない、と述べたとあるが、Covid19がこれから開発途上国に広がることも考えた時、高橋治之理事(元電通専務)のオリンピック大会を2年後の夏に延期するプランは極めて合理的なものなのではないか、決定が行われる5月中旬までに、それを実現させるための日本側からの根回しを行うことが、ぜひ必要なのではないか、と思う。
日本も、重症者に効きそうな薬ではなくて、感染した疑いのある人が飲んだら重症化する薬について報道してくれた方が、よほど普通の日本人のためになるのではないか、と思うし、よく考えると、PCR検査が陰性であれば、他人に感染させる危険がまるでないのなら、国境閉鎖の必要はない。国境でPCRの簡易検査をすればすむことである。それを考えた時、現在そう主張し続けている人々は、自分で自分の言っていることが、自分にわからない無智の人だ、と結論づけることができるのではないのだろうか。
Merkel über Coronavirus-Bekämpfung "Maßnahmen, die es so in unserem Lande noch nicht gegeben hat"
メルケル首相のコロナ菌との戦い
我々の国でまだ行われていなかった政策
Keine Reisen mehr im In- und Ausland, massive Einschränkungen des öffentlichen Lebens: Kanzlerin Merkel hat die Pläne von Bund und Ländern zur Eindämmung der Coronakrise vorgestellt.
国内外の旅行の中止、大規模な公的活動の制限、メルケル首相は国と州の合意の元コロナ危機克服の計画を発表した
16.03.2020, 18:21 Uhr
• https://www.spiegel.de/politik/deutschland/coronavirus-angela-merkel-spricht-ueber-massnahmen-der-regierung-a-3b03dc2b-ab75-40f2-90c9-97d3c1828497
この計画は、先週末、ドイツの感染者数が爆発的に増えたために、社会的なコンタクトを減らし、同時に、経済生活をできるだけ保ちたい、という目的で作られたものだそうである。この計画は、国と州が共同して作り上げられたた。つまり生活必需品ではない商店、教会、遊び場の閉鎖、遊び場、とは
• バー、クラブ、デイスコテーク、酒場
• 劇場、オペラ、コンサートホール、美術館
この公的生活の制限は、ドイツには今までになかった方策であるが、患者数と重症者数を減らし、我々の医療システムに負担を過度の要求をしないために、ぜひ必要な方策として、国と地方の責任者が相談して決めたものである、と述べられている。ローテンブルグに住んだ時、城壁の中に、肉や八百屋や薬屋があって、不思議な気がしたが、ドイツは、歴史的に、日本と違って、ペストという感染症を経験した国だ、と再認識した。
反氏と私の違いは、反氏は政治家に大事なのは説得力、と主張される。私は、説得力がある人のまちがった主張に人々が洗脳されるのが一番危険だと思うし、その代表がヒトラーだと思うので、「真実の追究」が、政治家にとっても、我々庶民にとっても、一番大事だと思う。国民が、「真実を追求」しようと努力されている誠実な政治家や専門家の発言に耳を傾け、感謝して、協力していくことが、オールジャパンになることが、このCovid19という感染症を抑えるうえで、一番重要なことだと私は思う。岩田健太郎さんも、東洋経済3月12日に「非科学的なコロナ対策が危ない」を投稿されているがhttps://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20200312_335971/ 、この誠実な、実地経験のある専門家の意見も参考にすべきなのではないのだろうか。
急激な感染拡大によって増えた患者に治療が追いつかないうえ、財政悪化の一環で行われた病院閉鎖や医師、看護師の人員削減が拍車を駆け、医療崩壊状態を引き起こしたのに加え、治療で救命の可能性がある弱年齢層に人工呼吸器が優先され、重篤化した高齢者が犠牲になるという、戦時下の軍隊の野戦病院並みの状況になっているようだ。
非常事態における政治指導者の役割について考えながら、トゥーキュディデースの『歴史』を読んでいると、ペロポネソス戦争当時のアテーナイを襲った疫病(λοιμώδης)も感染症(ὁ λοιμός)だった。
アテーナイは開戦二年目に襲った疫病と戦闘で、総兵力の三分の一以上を失った。開戦当初、ペロポネソス同盟軍はアテーナイの領域であるアッティカに侵入して耕作地を荒らして挑発し、陸上戦にもち込もうとしたが、強大な海軍力を擁するアテーナイはそれには乗らず、兵力と郊外の農民らを城内に退避させて温存し、長期戦に備えた。普段の倍近くに膨れ上がった城内の人口密集状態を予期せぬ疫病が襲った。
指揮にあたったペリクレスをも死なせた疫病の威力は凄まじく感染が相次ぎ、一般市民を含めおびただしい犠牲者が出て、アテーナイは大打撃を蒙った。
当時のアッティカの人口はペロポネソス戦争が始まった紀元前431年当時、およそ31万人と推定される。うち市民が172,000人(重装歩兵と騎兵25,000人、労働者階級18,000人[所謂Thetes[θετῆς=自由民の4区分の最下層で、主に海軍艦隊の乗組員になった])、外国人居留民(μήτοικος)が28,500人、奴隷が11万人(‘population’ in “Oxford Classical Dictionary”, 2 nd. ed, p. 861~863)だったから被害の大きさを窺わせる。
疫病はまず、長城と呼ばれる長い堅固な城壁でつながったアテーナイの外港ぺイライエウスで最初の感染者が出た。そこで人々は、敵軍が井戸代わりの貯水池に毒を入れたのではと疑ったが、次第にアテーナイ中心部に広がり猛威をふるった。
健康だった者が何の前触れもなく突然頭部に高熱を発し、眼は炎症を起こして充血し、口腔内部ですぐさま舌や喉が出血症状を呈して、呼吸が異臭を伴う。続けて喉の渇き、胸が苦しくなって激しく咳をして、さらに下がって胃に吐き気を催し、胆汁を吐き出す。その後で皮膚に小さな膿疱や腫物が吹き出し、激しい痙攣に襲われる。体内から激しい熱が出て、どんな薄い衣類でも発熱に耐えきれずに裸になる。どんなに水を飲んでも喉の渇きは癒えず、貯水池に飛び込んで熱を冷まそうとする者が続出する。
その間、一時も苦痛が収まらず、症状が7~9日間続いて力尽きて死ぬ者もいれば、もち堪えても、さらに症状が腸に下がって激しい下痢に苦しめられる。遂には消耗した挙句に結局は死に至る。死を免れても生殖機能を失ったり、中には視力や記憶までも失う後遺症に苦しんだ。
自身も感染したトゥーキュディデースは、「この疫病の全貌は到底筆舌に尽くしがたく、それに見舞われた個々の病苦は人間としての限界を超えるほどの激しさだった。特に次の点で、これまでの通例の病気とは全く異なっていた」(第2巻50章=‘γενόμενον γὰρ κρεῖσσον λόγου τὸ εἶδος τῆς νόσου τά τε ἄλλα χαλεπωτέρως ἢ κατὰ τὴν ἀνθρωπείαν φύσιν προσέπιπτεν ἑκάστῳ καὶ ἐν τῷδε ἐδήλωσε μάλιστα ἄλλο τι ὂν ἢ τῶν ξυντρόφων τι·’; “Ἱστορίαι”, Β. 50)とする。
次の記述もある。
「さて、この疫病の大体の特徴は種々個別的な事例を除くと以上のようなものだったが、その症状は個人によって差があった。そしてこの時期には他の普通の病気は全くみられず、いったん何かの病気を患えばこの疫病を併発した。ある者は手当が不充分なために死んだし、他の者は手厚い看護にもかかわらず死んでいった。この疫病にはそれを処方すれば必ず効くという治療法は全く見当たらず、ある者を救った薬が、他の者にはかえって害になるといった調子だった。体が丈夫な者もこの疫病に対しては虚弱な者と何の違いもなく、病気はすべての者をなぎ倒し、普段健康に気遣っている者でも例外はなかった。しかし、それ以上にこの疫病がもたらす最も恐ろしい現象は、病気に罹ったと知った時の絶望だった(この疫病についていろいろ知っているために、人々はすぐに絶望してしまって気力が萎え、抵抗することを諦めてしまった)。そして、患者から看護人へと疫病に感染し、家畜が死ぬように死んでいった。そしてここに、この病気が多くの人々を死に至らしめた原因がある。なぜなら、感染を恐れるあまり互いに近づこうとしなければ、病人の出た家は先や同然となり誰も看病しようとはせず、取り残された患者は死ぬほかなかった。」
時代こそ違え、イタリアも酷い。中国は厄病神になる(ὄχλον παρέχειν)ようだ。[完]
ドイツの学校までが休校することになり、私の信念は揺らぎ気味なのであるが、この私が得た二つの情報、
1.子供は感染しても、重症化しない
2.子供は大人に感染させない、
というのは本当なのだろうか?これが本当なら、学校の休校は必要ない。子供が感染したとしても、大人に感染させないから、感染のスピードを速めないし、軽症で、対処療法の薬を飲んで治るのなら、医療崩壊を起こさないし、治った後、子供は免疫をもつ。この免疫が、どの程度のものかわからないが、極めて危険な英国のジョンソン首相の「集団免疫理論」は、この観点にたったものだ。このやり方は、子供通しの感染、ということで、感染者を増やすかもしれないが、重病者を減らし、医療機関の負担を減らすのではないのだろうか?ただ、本当に、子供が大人に感染させないか、子供は感染しても軽症ですむか、という中国以外の、確信にたるなエヴィデンスが必要だと思うが。
RKI zu Covid-19 "Wir werden in zehn bis zwölf Tagen sehen, ob die Maßnahmen greifen"
コッホ研究所 Covid-19、この対策が効果を生むか10日から12日の観察の時間が必要、からとった。
. 16.03.2020, 14:27 Uhr
https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/coronavirus-wir-werden-in-zehn-bis-zwoelf-tagen-sehen-ob-die-massnahmen-etwas-bringen-a-5d447dc1-d060-4415-be95-d26408b01338?sara_ecid=nl_upd_1jtzCCtmxpVo9GAZr2b4X8GquyeAc9&nlid=rllbdrav
症状があまり重くないPCR陽性患者は、自己隔離すべきである。接触者も感染の危険が高いから同じである。それぞれが、他人への感染の危険を減らすための関与すること、それはできるし、すべきである。過去14日間にPCR検査で陽性と判断された感染者と濃密な関係にあった人、咳の飛沫やくしゃみの飛沫がかかったり、彼と長い間話した人が接触者にあたる。ただ、感染した人と同じ空間にいただけの人が、自動的に、自己隔離しなければならない、というわけではない。
番組に医師の肩書で出演されていた女性医師にもいえることであるが、マスコミに登場する日本人医療関係者は、感染症の場合、感染した人がCovid19を他人に、特に重病になるかもしれない人に感染させる可能性もある、というリスクをどうして考えないのだろう。
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