新型コロナウィルスの対応が、各国で割れており、国際政治の問題になっている。震源地の中国は、権威主義国家特有の封じ込め政策で、感染者の封じ込めを図っている。韓国は広範な検査体制の導入で感染者の封じ込めを図ろうとしている。欧米諸国は、ここ12週間の感染者の広がりに動揺し、急激に渡航禁止措置や飲食店の営業禁止などの措置を導入した。

 密かに注目すべきなのが、日本だ。上記のパターンのどれにも属さないようなやり方で対応し、決して華々しくないが、しかし最悪ではない状況を維持している。

 私に言わせれば、日本のやり方は、公衆衛生の環境の高さと、市民の意識喚起に期待するアプローチだ。ウィルスの蔓延を抜本的に抑え込むまでには至っていないが、蔓延を鈍化させる抑え込みには持ち込んでいる。

 はっきり言って、日本のアプローチは、地味すぎて、全く注目されていない。だが、もう少し研究されてもいいのではないか。

 たとえばイギリス政府の政策に影響を与えたとされて注目されているインペリアル・カレッジのレポートがある。このレポートの結論は、比較的常識的で、概要をまとめれば、Suppression(封じ込め)は持続性がないが短期的には不可避で、したがってMitigation(緩和)は欠陥があるが長期的には不可避だ、というものである。https://www.imperial.ac.uk/media/imperial-college/medicine/sph/ide/gida-fellowships/Imperial-College-COVID19-NPI-modelling-16-03-2020.pdf (ちなみに、インペリアル・カレッジはロンドン大学構成カレッジの理科系の最高峰でケンブリッジ・オックスフォードに比肩する地位を持つ。ただし大英帝国の政策にも結びついてイギリスの感染症研究の結晶として世界的に知られているのは、The London School of Hygiene & Tropical Medicine LSHTM]だが、LSHTMは今は臨床研究に忙殺されている様子に見える。)

 私は科学的議論の細分に加わるつもりはないが、インペリアル・レポートの顕著な特徴に気づかないわけではない。同レポートは、「非医学的介入(non-pharmaceutical interventions)の形態として、social distancing(社会的距離)、case isolation(個別症例孤立化)、household quarantine(自宅検疫)、closing schools and universities(学校の閉鎖)をあげている。

 気づくべきなのは、公衆衛生の向上が、介入政策の形態として、欠落していることだ。結果として、一人一人の住民が、どれくらいの自助努力を払うか、といった点は、議論において度外視されてしまっている。

 だが、どれくらいの人々が、マスクを着用し続け、手洗いを欠かさず、濃厚接触を避けているか、といった要素は、本当に社会政策の方向性に全く影響を与えない要素だろうか。それは単に計算が難しい変動的要素であるだけで、実際にはその動向によって結果が左右される大きな要素なのではないだろうか。

 これまでの日本のコロナ対策は比較的地味だが、破綻していない。私は、その背景に、各鉄道駅にトイレがあるなどの公衆衛生環境の高さに加えて、国民一人一人の努力があるのではないか、と考えている。

 もしこの仮説が正しければ、日本政府はそのことを強調して、国民を称賛して世界に誇って、さらなる努力を鼓舞するべきである。安倍首相がWHO事務局長に褒められて皆で満足する、ということだけでいいはずがない。

 そして、今後の日本政府の政策的取り組みも、国民一人一人の自助努力を促す要素、つまりマスク・消毒用品・防菌用品の安定供給・特別供与等及び公衆衛生環境の向上を強調すべきものになるはずである。

 日本のアプローチは天才的な政策立案者の発想によるものではない。むしろ対応策をとらなければいけないという要請と、経済的に冒険主義的なことはしたくないという要請の間で、政府はどっちつかずの曖昧な態度をとっているだけにすぎない。

ところが私見では、そこに予想外にも、特有の衛生インフラと国民意識が、ポジティブな要素として、働いている。

いずれにせよ、過去12か月の日本の状況についての客観的な分析がなくては、次のステップとしての妥当な政策の見極めもあり得ない。