先日、Yahoo!ニュースで、面白い光景を見た。「ファクターX」を否定する記事と、「これがファクターXだ」と論じる記事とが、ほとんど並んでいたのである。
私は、「ファクターX」のような仮説には、興味がない。科学者ではないので証明する手段を持っていないのが一番の理由だが、「ファクターX」なる概念が出てきた経緯である統計の読み方に信ぴょう性を感じることができないのも理由だ。
山中伸弥・京都大学教授は、執拗に「ファクターX」について語り続けている。仮説を科学的に証明してくれるのは勝手に早くやってくれればいいのだが、「ファクターX」の根拠としていまだに「日本は何らからの原因(ファクターX)で、これまで死亡者が欧米に比べてはるかに少なく済んできました」を理由にしているのは、どういうことなのだろうか。https://www.covid19-yamanaka.com/cont11/main.html こんな根拠薄弱な理由で、人命もかかる政策に何らかの影響を与えようと執拗に「ファクターX」を発信し続けていて、本当に大丈夫なのか。何かおかしな偏見にとらわれていないだろうか。心配になる。
少なくとも、以下の点は、確認しておいてもらいたい。
1.「欧米」の「致死率」は春先に異常値を示していたが、現在はほぼ世界平均水準になってきている。<春先の欧米の致死率が異常だっただけ。>
2.「欧米」よりも人口当たり死亡者が少ないのは「アジア」だけでなく、「アフリカ」や「オセアニア」も低い。
3.日本の致死率・人口当たり死亡率は、「欧米」より低いだけで、アジア・アフリカ・オセアニアの中で際立って低いわけではない。
4.一定期間、低水準の人口当たり死亡者を記録していた国が、突然死亡者を増加させることは大いにありうる。その国における感染拡大に応じて死者が少なかったり増えたりするだけだと考えるのが自然。
5.感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える。
以下、一つ一つ見ていってみよう。
1.「欧米」の「致死率」は春先に異常値を示していたが、現在はほぼ世界平均水準になってきている。<春先の欧米の致死率が異常だっただけ。>
私はこれまで何度か、世界の感染状況を概観する数字を一覧にしてきている。たとえば、6月中旬の時点での新型コロナの被害は、ここに記録しておいた。http://agora-web.jp/archives/2046643.html (6月16日)
当時、ヨーロッパ全体の致死率(陽性者総数に対する死者数の割合)は、8.25の異常値を示していた。特に、北欧12.13、南欧10.77、西欧11.20は、世界的に異常な高率であった。北米5.56、中米9.53、南米4.24であった。
次に10月初頭の記録を見てみよう。http://agora-web.jp/archives/2048347.html (10月1日)ヨーロッパ全体の致死率は4.39、北欧7.83、南欧5.57、西欧4.99、北米2.90、中米7.69、南米3.13である。
この動きは現時点に至る時期までも、はっきりと続いている。12月14日の記録は、末尾に記しておくが、ヨーロッパ全体の致死率は2.30、北欧2.99、南欧2.78、西欧2.09、北米1.86、中米6.76、南米2.84である。中米を除き、軒並み2%台(以下)という世界標準レベルに下がってきている。
つまり同じ欧米社会であっても、新型コロナで高率で死者が出たり、少なかったりするのである。どう見ても、無理な封じ込めを狙ってかえって医療崩壊を起こして高率の死亡者を出してしまった春先のヨーロッパの数値が異常だっただけである。医療崩壊を回避し、高齢者・基礎疾患者を特別に防御する社会的風潮さえできあがれば、欧米社会でも致死率は劇的に減らせるのである。
こうした政策的事情を度外視して、「ファクターX」があるなどと執拗に神秘主義的主張を繰り返すことに、どんな統計上の根拠があるのか、私には全くわからない。
2.「欧米」よりも人口当たり死亡者が少ないのは「アジア」だけでなく、「アフリカ」や「オセアニア」も低い。
致死率だけ見ると、検査数を増やすと致死率が下がってしまうので、信用できないという人がいる。日本のPCR検査数が少なすぎるというテレビのワイドショーの主張に真正面から影響されただけの印象論と思われるが、少なくともアジア全域で検査数が抑えられているという経緯はない。SARSの経験などもあるアジアで対応策が素早く、また徹底しているため、感染拡大が防がれている、と考える方が、どう考えても自然であり、それをどうしても否定しなければならない理由はどこにも見つからない。
実は人口当たり死亡者数が低いのは、日本だけでも、アジアだけでもない。欧米以外では、どこも低い。アジア全域の人口100万人あたり死者数は、現時点で67.44人で、確かに欧州や米州よりも非常に低い。しかしアフリカは、42.47人で、さらに低い。オセアニアは30.61人で、さらにいっそう低い。日本だけが低いわけでも、アジアだけが低いわけでもない。欧米以外はどこも低いのである。
オセアニアは、一番被害を出しているオーストラリアを除けば、小さな島嶼国から構成されている。感染路を遮断しやすい。致死率は3.10だから、どう見ても、単純に感染拡大を防いでいるので、死者数も少ないだけである。アフリカについて言えば、農村部などで検査ができない傾向があり、絶対数が少なめに出ている可能性は高い。それにしても欧米の状況を見て早期に国境閉鎖したこと、若者人口比率が高いこと、過疎地域では感染拡大しにくいこと、そして感染症慣れしているのでマスクの普及率などを見ても人々の行動変容が進んでいることなどの要因が働いた、と考えるのが自然である。少なくともそれらを否定しなければならない事情など何もなく、「ひょっとしたらアジアだけでなく、アフリカにも、オセアニアにも、ファクターXがあるのか!」などと言わなければならない事情などない。
結局、春先に異常値を示した欧米の死者数が今でも高く(死者数は累積するだけで減らない)、冬になってもやはり追加的に高い死者数が出ているのは、感染拡大が比例して起こっているからである。どこにも神秘的な事情などない。
3.日本の致死率・人口当たり死亡率は、「欧米」より低いだけで、アジア・アフリカ・オセアニアの中で際立って低いわけではない。
「ファクターX」論によると、世界で日本だけが感染しにくく、死亡しにくいのだという。全く根拠がない。
現在の日本の100万人あたり陽性者数は約1,400人、100万人あたり死者数は約20人、致死率は1.45だ。世界的には良好な水準だが、特に際立って圧倒的に少ないというほどではない。東アジアの中では成績が悪く、東南アジアより少し成績が良い程度である。人口が1億人2千万人いることを考えれば、これでも健闘していると言うべきだが、何か神秘的な力と言わざるを得ないものが働いているとまで主張するのは、大げさすぎる。
アフリカは、それぞれ100万人あたり陽性者数約1,800人、100万人あたり死者数約42人、致死率2.36であり、オセアニアは同陽性者数約988人、同死者数約30人、致死率3.10だ。日本はこれらと比べて特別に際立って優れているわけではない。
ヨーロッパ全域で人口約8億2千万、米州全体で10億2千万人程度だ。世界人口の4分の1にも満たない。なぜ世界人口の2割ちょっとの特定の人々と比べて死者数が少ないと言うだけの理由で、「日本には何かすごい神秘的なファクターXが働いている」になるのか、全く理解できない。
世界の4分の3以上の大多数の人は、世界に存在していないに等しい、と断定する理由は、いったい何なのか。そんな人たちと日本を比べてはいけない、日本はただ世界の2割少しだけの欧米の人たちとだけ比べなければいけない、と命令する理由は、いったい何なのか。
4.一定期間、低水準の人口当たり死亡者を記録していた国が、突然死亡者を増加させることは大いにありうる。その国における感染拡大に応じて死者が少なかったり増えたりするだけだと考えるのが自然。
それでも、どうしても死者数が少ないのは、政策的な感染拡大抑制によるものではなく、何かもっと別の神秘的な理由によるものでなければならないという信仰を持つ科学者の方々には、また別の難問を解いてほしい。
国単位で見てみると、かつて今の日本と同じ程度の人口当たり死者数であった国は多々ある。わかりやすいので、6月時点の「東欧」を見てみよう。100万人あたり陽性者数が約2,410人、100万人あたり死者数が約42人、致死率が1.77だった。当時の東欧の水準は、現在の日本に近い。今、東欧はどうなっているか。そこから半年ほどたったので、3倍くらいの数字になっただろうか?そんなものではない。同陽性者数約22,153人、同死者数約410人である。実に陽性者数も死者数も10倍近くまで増えた。致死率は1.85とほとんど変わらないので、感染拡大が起こり、それに比例して死者数が増えただけである。
もっと優れてウイルスの侵入を防御し続けていた中央アジア諸国も、冬になって力尽きた格好で、感染拡大を起こした。6月時点で中央アジアの100万人あたり陽性者数は約401人、100万人あたり死者数約2.5人、致死率0.65という驚異的な成績だった。日本など全く眼中にない圧倒的な成績だった。しかし現在は、同陽性者数約4,511人、同死者数約60人、致死率1.33と、世界標準レベルになってきている。
同じような傾向は、東南アジアのミャンマーやネパールなど、当初は早期の国境閉鎖でウイルス侵入を防いでいたが、決壊したとたんに被害を出した国々でも確認できる。6月時点でミャンマーは同感染者数4.82人、同死者数0.11人という驚異的な成績であった(致死率 2.29)。現在は、同感染者数約2,013人、同死者数約42人という被害になっている(致死率2.09)。6月時点でネパールは、同感染者数約213人、同死者数0.65人、致死率0.31という驚くべき数字であった。現在では、同感染者数約8,564人、同死者数約59人という被害を出している(致死率0.69)。
なぜ東欧や、中央アジアや、ミャンマーや、ネパールには、「ファクターX」が日本よりももっとすごいくらいに効いていたのに、今は効かなくなってしまったのだろうか? と言う問いは、ほとんど魔術師のような問いだ。単にウイルス侵入を当初は防げていたが、その後に決壊してしまっただけだ。神秘的な事情など何もない。
5.感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える。
最後に付け加えておきたい。世界各国で、ロックダウンすれば感染拡大が止まり、行動変容をとれば感染拡大が抑制され、何もしなければ感染拡大が加速する傾向が確認されている。日本にも例外的な事情は何もない。どう見ても、感染拡大の増減は、人間的な事情で進展している。科学者だけが知っている不思議な「ファクターX」を持ち出して説明しなければならないような事情など、どこにもないようにしか見えない。
(12月14日時点の世界の新型コロナ被害状況)
地域 |
準地域 |
感染者数(/mil) |
死者数(/mil) |
致死率(%) |
日本 |
|
1,401.50 |
20.25 |
1.45 |
アフリカ |
1,802.36 |
42.47 |
2.36 |
|
北アフリカ |
3,404.94 |
92.28 |
2.71 |
|
東アフリカ |
796.80 |
12.42 |
1.56 |
|
中部アフリカ |
469.10 |
8.90 |
1.90 |
|
南部アフリカ |
13,329.09 |
350.55 |
2.63 |
|
西アフリカ |
578.56 |
8.07 |
1.39 |
|
米州 |
30,696.04 |
776.67 |
2.53 |
|
北米 |
46,652.29 |
867.57 |
1.86 |
|
カリビアン |
21,653.09 |
725.16 |
3.35 |
|
中米 |
10,553.20 |
713.85 |
6.76 |
|
南米 |
27,793.70 |
789.79 |
2.84 |
|
アジア |
4,138.51 |
67.74 |
1.64 |
|
中央アジア |
4,511.03 |
60.08 |
1.33 |
|
東アジア |
191.75 |
4.79 |
2.50 |
|
東南アジア |
1,994.82 |
45.72 |
2.29 |
|
南アジア |
6,336.86 |
111.28 |
1.76 |
|
西アジア |
16,608.08 |
186.23 |
1.12 |
|
ヨーロッパ |
25,029.02 |
576.14 |
2.30 |
|
東欧 |
22,153.72 |
410.24 |
1.85 |
|
北欧 |
17,884.40 |
534.33 |
2.99 |
|
南欧 |
32,126.63 |
892.91 |
2.78 |
|
西欧 |
29,069.17 |
608.90 |
2.09 |
|
オセアニア |
988.57 |
30.61 |
3.10 |
コメント
コメント一覧 (125)
韓国の司法情勢について精通しているわけではありませんが、国際慣習法上の主権免除に関しては、日本の最高裁は、「本件差止請求及び損害賠償請求の対象である合衆国軍隊の航空機の横田基地における夜間離発着は,我が国に駐留する合衆国軍隊の公的活動そのものであり,その活動の目的ないし行為の性質上,主権的行為であることは明らかであって,国際慣習法上,民事裁判権が免除されるものであることに疑問の余地はない。」(最判平成14年4月12日民集56巻4号729頁)と判示しています。
国際慣習法上、軍の活動に関わるものであれば主権的行為ということで主権免除となるというのが国際法学の伝統的な学説であり、国際司法裁判所の判例も基本的に同様の傾向で例外のハードルは高いです。しかし、最近は「国際人権法」分野の発達と呼応する形で、重大な人権侵害行為等については例外を認める学説も有力となっており、学説上の議論も確立したものはなく流動的な情勢です。これに加えて、韓国の裁判所という特殊事情があり、「徴用工」に関する大法院判決と類似した論理を使って、主権免除についても例外を広く認める判断も懸念されるところです。
関連する問題として、判決後の民事執行については、外交関係に関するウィーン条約第22条3項の対象については保護されます。これに対し、大使館が管理している預金に対する強制執行については、同項の保護の対象外ですが、国際慣習法上、預金の性質(商業的目的か否か等)によって判断をすることとされておりますが、「混合預金」については主権免除が及ぶという解釈が一般的のようです(未発効ではありますが国際慣習法を法典化した国連国家免除条約19条参照)。
国際法学上は興味深い問題ですが、判決内容によっては「徴用工問題」に続いて外交問題化するのは間違いないなく、注目の裁判であることは間違いありません。
なお、2015年12月の日韓慰安婦合意については、法的拘束力がある「国際約束」ではなく政治的合意であるとする日本政府と同様に(下記引用の杉山晋輔(政務担当)外務審議官(当時、外務事務次官を経て現在は駐米大使)発言参照)、韓国憲法裁判所も、同様の趣旨で却下の判断をしているようです。
(「日韓慰安婦合意、違憲提訴を却下 韓国憲法裁」日経新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53900110X21C19A2EA3000
慰安婦合意の法的性質については韓国政府も同様の認識と思われますが、日韓請求権協定の解釈において、慰安婦問題についても最終的かつ不可逆的と日韓両政府が確認をしたことが考慮されるべきようには思われます。もっとも、韓国の裁判所なので大法院判決と同様の論理を類推し、請求権協定の対象外と判断する可能性が大きいと思われます。
最後に、今日は、本ブログ記事のテーマである「ファクターX」とは全く関係ないコメントが続き失礼いたしました。
(http://www.unforum.org/lectures/100.htmlから該当部分を引用)
「慰安婦問題に関する合意について付言すると、実はあの合意は国際法上の国際約束ではない。国際法上、国際約束(international undertaking)とは政府と政府,あるいは国と国との間で両者の法的な権利義務に関する合意(形式自体は書面でも口頭でもよいとされている)である。しかるに、この慰安婦問題に関する合意のように、政治的な行動を相互に発表するだけで権利義務を規定していないものは、国際約束には当たらない。とは言え、「政治的な意図の表明」としては非常に重要な意味のあるものである。」
>あたかも日本人がFactorXをもっているから、無能な政府にもかかわらず、日本の成績がいいのだ、という主張
誰がそのような主張をしているのですか?念のため申し添えますが、「日本(人)にはファクターXがある」という主張と「日本政府のCOVID-19対策は愚劣である」という主張が独立に存在している例は、当方も承知しております。しかし、両者を関連付ける貴女のご意見のような見解は、第三波以降では聞いたことがないので極めて少数又は皆無ではないかと思います。
>日本のコロナ政策が、「指数関数的広がり」と主張される西浦教授、「ファクターXがあたかも存在するかのような」山中伸弥教授の思い込みによる印象操作で歪められている
まず日本語として変な部分があるのはさておき、西浦教授の「指数関数的」というのは特定の状況下での現象面での説明であって、政府の対策・国民の行動様式によって変化しえるものであるというのが前提です。山中教授の「ファクターX」論も政府の対策への批判を意図するこものではないことは明らかだと思います。
〔続きます〕
>私のコメント欄で説明したように、感染させる人は、感染している人の20%なのであって、無症状の人が多く、一人で10人以上、一時に感染させるのである。
ここも日本語として変な部分があるのはさておき、西浦教授の著書を読むまでは、私もいわゆる「スーパースプレッダー」論を、貴女のようにナイーブにとらえてました。しかし、一人の感染者が何人に感染させるかという「再生産数」について、確かにCOVID-19は分散が大きいものの、それは個人的因子よりもむしろ環境要因(いわゆる三密空間であったか否か等)に着目した面が大きい概念であることを知りました。
また、「私のコメント欄で説明したように」と得意顔をされていますが、このような感染パターンは押谷教授が着想し、西浦教授が中心となって調査を進めた結果、得られた結論のようです(西浦教授はジョンズ・ホプキンス大学の論文にも同趣旨(分散が大きい)のものがあったので、自信をもって調査を進められたという趣旨のことを述べておられます)。
貴女は「私はSpiegel誌から情報を得たのだ」とか言い出すのかもしれませんが、「私のコメント欄で説明したように」というのは、いささか滑稽です。
他にもツッコミたいところはありますが、まずは西浦本を読みましょう。もっとも、貴女が真面目に本を読んできちんと論理立てて議論することができない人物であることも承知しておりますけど。「インフルエンザ菌」騒動のときにも痛感しました。
アジア人についてでも、あたかも中国と日本はアジア人だから感染者や死亡者が少ないかのように報道するが、今日のNHK衛星のニュースの報道でも、英国では、アジア人の感染率は白人の二倍と高い。この差は、端的に、行動様式と生活する場所、の差なのである。そういう事実と妄想の差を見極める目をもつことが必要なのではないのだろうか。反氏によって、妄想家と名指ししている人は、現実はそうではなく、反氏こそが妄想家なのである。
通りすがりさんへ、でした。
お詫びして訂正します。
反論すべき点は多々あるのですが、多忙につきまずは一点のみ、コメント7で政府解釈さんが述べられていることを、ご本人の了承を得ていないという非礼ではありますが、全文引用させていただきます。なお、その余の点については後刻反論いたします。
【以下引用】
山中教授はファクターXの候補について、感染対策や行動自粛等を含む様々な要因を挙げているのであり、それを踏まえていない批判は山中教授の前提を誤って理解した議論ではないかと思います。
一方、自分の手に余ること、実質的に根本から論じることができない分野については、如何に社会「科学者」を喋喋しようとも、⇒【「ファクターX」のような仮説には、興味がない。科学者ではないので証明する手段を持っていないのが一番の理由】と自認しているくらいだから、老婆と違って篠田さんが狂信家とも思わないし、予防策というか逃げ口上も用意して巧みに論点を移動しているともみえなくもない点で、抜け目ない一面も具えているのだと眺めている。
それが夢想家の老婆にかかると、篠田さんの口真似をしたうえで、32⇒【「ファクターX」…その主張は、日本人が「ファクターX」をもっているから、無能な政府にもかかわらず成績がいいのだ、とほぼ同義語…篠田教授は、その反証を数字で明示…妄想があるのは…山中教授】になるらしい。
「ファクターX」(αἰτία X)というからには、それが、つまり日本の欧米諸国とは異なる感染実態の真の要因(τὸ ἀληθές αἰτία)が「何であるか」(τί ἐστι)について、「厳密には」(ἀκριβως)、即ち「科学的には」(ἐπιστήμων)それが何かを規定する(ὁρίζειν)ことできていないこと、つまり現状では未知(οὐκ εἰδώς)の要因を突き止めるまでは最終的に何が原因(αἴτιον, αἴτιος)かの判断を留保する(ἐπέχειν)、保留する(ἀποκεῖσθαι)態度であって、山中伸弥氏が妄想を抱いているわけではない。
しかも、篠田さんの今回の議論は、篠田さんと対立する分析、評価を含め多様な解釈(ἐξηγέομαι)の余地がある数値の一部を指摘しただけで「反証」(ἀπόδειξις)に値する代物ではなく、検証(πεῖρα)しているわけでもなことは、おべっか使い(κόλαξ)の老婆以外には見えやすい道理だろう。
その点で、山中氏が自身のブログで、「ファクターXは続くか?」(12月1日「解決すべき課題」)としたのは、科学的な解明作業が未だ途上にあるとの「科学者」としての認識を示したにすぎない。それを日本政府の政策判断に容喙しようとしたり、誤導しようとする意図から出ているとみること自体に無理がある。有体に言えば、言いがかりに等しい。
しかもそれを、⇒【感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える】といったような素朴な断定、実質的に「全称肯定命題」(τὸ καθόλου καθαφατικὴ πρότασις=すべてのAはBである)で語る(⇒【ロックダウンすれば感染拡大が止まり、行動変容をとれば感染拡大が抑制され、何もしなければ感染拡大が加速する傾向が確認されている。日本にも例外的な事情は何もない】)。
山中氏が接触制限が感染拡大抑止に及ぼす影響については否定するはずもなく、ただ「人間的な事情」、つまり社会的経済的、人間的な因子だけでは異なる現象=事態が合理的、整合的に(ἐαυτῷ σύμφωνεῖν)説明できないことを指摘しているにすぎない。
篠田さんの解釈は、それと矛盾する個々の事例をいくらでも指摘できるから論駁することは容易だ。疾うに破綻している。
それとは別に、【感染拡大は、人間的な事情…】をもっと、論理的に厳格には適用されない一般的な観察とみなすなら、実質的には何も言ったことにならないに等しい。つまり無限定判断ということだ。
それが、お頭に蜘蛛の巣が張った、現実認識はもとより、論理意識など皆無に近い誇大妄想、被害妄想の主である老婆にかかると、あたり構わず狂犬のように喚き散らした結果、相手の主張を取り違える(33~34)。
今回の一連のコメントで私は「妄想」という言葉を一度も使っていないが、そこにいう【妄想家と名指ししている(「されている」でなくては文法上誤り=筆者註)人】とは、老婆御贔屓の岩田健太郎氏を指すと思われる。
仮にそうなら、岩田氏は「ファクターX」をめぐる議論(文春オンライン「『ファクターXは幻想だ』岩田健太郎医師が説く“withコロナなどありえない理由”」)について、⇒【そもそも日本人は、「ロジック」や「データ」を重視するよりも、「ムード」や「空気」に流されやすい国民性】のような愚劣な俗論を弄んでおり、2でそれに言及した私が、⇒《…程度の与太話の域を出ない》とし、さらに3⇒《それも一種の幻想(φάντασμα)》としたことへの意趣返し、老婆特有の「幼児性強弁なのだろう。
老婆は趣旨を取り違えて吠えている。未明、早朝からこの調子だから、錯乱していると言う外はない。
老婆の議論には常にそうした錯覚、誇張、妄想がつきまとう。例えば今回なら、
21⇒【朝日新聞社の記者…つまり「プロパガンダ」の手法で、日本のマスコミは「偽りの従軍慰安婦像」を作り上げた…戦前の日本のマスコミ報道、ナチスドイツの手法と同じ…要するに、日本のマスコミ関係者には真偽の判断ができないのだから…国民が、なにが事実で、なにが、嘘で妄想なのか、を判断する必要がある】――所謂「吉田証言」に基づく「朝日」の慰安婦報道は甚だしいミスリード、誤報であった点は明白だとして、そこから直ちに「『プロパガンダ』の手法」というには論理的飛躍(τὸ πήδημα λόγου)がある。
それは、老婆によるプロパガンダの「大安売り」だ。精々、「デマ」記事という程度のことだ。しかも、老婆はそれをもって、【戦前の日本のマスコミ報道、ナチスドイツの手法と同じ】と断じる二重の論理的飛躍を憚らない。狂信家だからだ。
つまり、論点を次々移動させ、途方もない妄想を膨らませる。意図的にそうしているというより、激情に駆られて書きなぐっている印象だ。驢馬並みのお頭なうえに、思い込みが激しいからそうなる。もう一人の同類と同様。
逆恨みに等しい、21②⇒【反氏のカロリーネへのレッテル、「虚偽体質」、「妄想体質」は、「マスコミ出身の」反氏がご自身のもつ文才で作り上げた「嘘、悪意のあるレッテル」で…「人権侵害」】には何の具体的な論証も伴わないから、相手にしない。
「文才」云々については非難される謂われはない。私は元プロの物書きだから、老婆のような、措辞も貧相かつ低劣な「子供の作文」を忌むだけのことである。
私が「名づけ親」(ὲπώνυμος)である「虚偽体質」(ψεύστης φυσικός)は既に個別、具体的な論拠を示して証明済み(δεῖξαι)だ。エウクレイデスの幾何学的な厳密な論証になぞらえれば、「かくてこの定理は証明された」(‘ὅπερ ἔδει δεῖξαι’=直訳すれば「これが証明されるべきことであった」〔‘what it was to be proved’〕の謂い)ということでしかない。
それは「定理とその証明」、例えば、「二辺叉角の合同定理」として知られる命題4(δ´)について、次のように示される。
老婆について、その他のことも、「間もなく証明されるであろう」(‘ὡς ἔξῆς δειχθήσεται’)ことは確かだ。
同じことは、「幾何学的秩序によって証明された」(ordine geometrico demonstrata)という副題をもつスピノザの『エティカ』(“Ethica”, 1677)なら、「証明終わり」=Q. E. D.(quod erat demonstrandum)ということだ。
17日の東京都の新規感染者が822人になった。「日本モデル」的対策が有効であればそれを回避できたとも思えず、事態は起こるべくして起きている。少なくとも、クラスター対策には限界があり、三密回避も決定打になりえないことは目に見えている。
それが今後の重症化、死者数にどうつながるかは予断を許さないが、各種の現象の相違が「人間的な事情…」だけに左右されるはずもなく、それに拘泥することは科学的探究の放棄に等しい。
ここまでは岡田晴恵氏の予測通りだ。裏を返せば、素人コロナ評の他愛なさを如実に物語っている。[完]
コメント7に書かれた山中伸弥教授の対策、Factor X の候補として、マスク、治療法、ワクチンの成果をあげておられるが、マスクの効用を早くから主張されていたのは、篠田英朗教授をはじめとして、日本の専門家会議の人々だったことが全く考慮されていない。当初欧米人がマスクを着用しなかったのに比べて、日中韓の国民はマスクをつけたから、Covid19の感染が広がらなかったのは、衆目一致の事実で、これは確かに一つのファクターになる。けれども、欧米や中国が都市封鎖をしたからといって、日本人がstay homeをすれば感染が拡大しないということが本当に言えるのだろうか。日本でこれだけ、家庭内感染が広がっている現状で、同居する若者の感染者が多い現状で、重症化リスクの高い高齢者がstay homeさえすれば感染しない、という論拠がまるでわからないのである。Go to悪玉論にしろ、公共交通機関ではクラスターが発生していないし、旅館は個室だし、行動は家族単位だし、どこに感染のリスクがあるのだろう?
Gも以前予測しましたが、11月~2月のインフル流行期< これが、新型コロナに置換しているだけではないか!?との疑念です(これは、さすがに一般人にも事前に予想されていました)。本サイトでも、与党支持者カロリーネさんなど、野党支持者反時流的古典学徒さんなどの意見の対立が見られます。が、こと800人に至ると国政に関しては、与野党「政治休戦」してこの新型コロナ対策に一致して望んで欲しいです。お互い足の引っ張り合いをしている段階は過ぎました。与野党一致して、対処すべき段階に来ています。
Gくんの書き込みがある前に、菅総理のGOTO挫折を聞きながら、折れなかった者が折れると、先はないなと、胆力の弱さを憐れんでいて、
世間のゴミメディア、羽鳥、大下、恵、坂上ほかNHKのバカども、
煽り建てて、煽り建てて、GOTOSTOP❢❢
馬鹿としか、いいようがない。
重症者、死者が増えているのは、単に寒さに対する体力や免疫力が弱くなった高齢者が弱ってきただけである。コロナがなければ静かに命を全うできた人たちであろう。
下手に、2類感染症指定しているから、末期危なそうな高齢者の方々はすべてコロナ患者に入れてしまうのである。だから、医療病棟はコロナ重症者でパンクしてしまうのである。
ここ2~3日のコロナ死傷者数は50~60人位である。宣言以来最多とわめいているがこのくらいがピークであろう。これが100日続くとして3月初めまで50x100=5000人の死亡である。
コロナの1シーズンの死亡者数は高々8000人で、インフルエンザ並みであろう。
日本国民、一般庶民はコロナがインフルエンザくらいでしかないことを、わかり始めているのである。
日本医師会の中川が出てきても、日本国庶民の行動変容はもたらされないであろう。
露伴曰、
自棄になってはならぬ、この際必要なのは勇気である。勇気の特が一切の不幸を切り開く。「奮うべし奮うべし、為せば成る世である、為さねばならぬものである、悪しくするも善くするも皆心からだ(略)人々各々其芬芬に検討するべきである……」
良寛さんの地震後の詩歌にほとんど同じであるのに驚いて書き込んだ。
ネアンデルタール人から受け継いだ3番染色体の一部の違いで重症化に有意な差があるという論文があります。ただし、私の分析では、国単位というマクロ的な見方をするとそれは必ずしも当て嵌まりません。
重症化に効いている可能性がある遺伝子(DPP9, OAS, IFNAR2というものらしい)に関する論文が最近科学誌Natureにオンライン掲載されました。
これらの遺伝子が人種により差があるのか否か、さらに別の遺伝子に違いがあるのか、今後の研究に期待しています。
貴殿については、年内は早期リタイアした日下部眞一氏を含めて本欄のコメント投稿者には年寄り(私は目下64歳だから、その予備軍)が多いから、その文体や措辞から弱年世代とも推測され、一言で言えば鷹揚で春風駘蕩、つまりよく言えば大人の風、歯に衣を着せない率直な物言いなら、やや「間延びした」ところのあり、時折、頓珍漢なことを宣る。
アリストテレスを読んだ上での議論とは見えないが、超過と不足(ὑπεροχὴ καὶ ἔλλειψις)の間にある「中間的なもの」(μέσον)、所謂「中庸」(μεσότης)に真(ἀληθής)を見出す姿勢は、極論に走らない慎重さがあるという点でそれなりの思慮分別の弁えがあると判断しているが、さすがに、44⇒【本サイトでも、与党支持者カロリーネさんなど、野党支持者反時流的古典学徒さんなどの意見の対立が見られます】は、甚だしい誤解だろう。
私は、日本の野党など歯牙にもかけてないし、期待を寄せたこともない。それは20代後半での労働組合の高級幹部としての修行時代、新聞記者としての政治家観察、一貫した哲学への関心、特に民主制に理論的、根源的な疑念を抱く懐疑主義者である点から、どこをどう読めば私が「野党支持者」になるのか、呆れてものが言えない。
しかも私は憲法改正論者(9条削除)にして、実現可能とも思えないが核武装論者であり、核兵器全面禁止条約など戯言程度にしか思わない。有体に言えば保守反動であり、野党支持とは対極にある。その基本理念は平和(εἰρήνη)より自由(ἐλευθερία)を基本的に優先させる危険思想の持ち主だ。奴隷の平和(ἡ εἰρήνη δοῦλου)を唾棄する。
現在の中国人の大半のように、奴隷の幸福(ἡεὐδαιμνία δοῦλου)を拒絶する。その意味で、現在の日本のどこにも属さない異端者、謂わば遅れて生まれた古代ギリシア人でしかない。
→ Gくんさん。古典学徒さんが野党支持派というのは違うんじゃない? 彼はもっと複雑よ。
→ 日下部さん。お帰りなさい。黒木先生は山中伸弥さんの大ファンで、傘寿のパーティにもビデオ出演してもらったくらいで、いつまでも少年みたいに単純です。山中先生は好ましい「青年」だと思いますが、ちょっとぶりっ子すぎる気がする。
昨年5月、死んだ妻が入院中、私の本欄への投稿の一部(白井聡氏批判を含む)が、「生長の家政治連合掲示板」に『反時流的古典学徒を読む』として転載されたくらいだ。それには聊か驚き、妻が嗤っていた。もっとも、日本主義者でないことは明白だから新たな追加はないが、削除された気配もない。
私は生長の家政治連合とも日本会議とも何の関係もない。ただ、「日本的な」保守主義者と勘違いされたようだ。私は単純な愛国者ではないし、根なし草のコスモポリタン(κόσμπολίτης)とも違う。警戒されたかもしれない。
トーマス・マンに倣って「平和協調の国際社会というようなものは幻影であって、戦争は不滅であると考えたとしても、それは別に人類を侮辱することではないであろうし、むしろ逆」(„Die schiedlich-friedliche Völkergesellschaft ist Chimäre ……Wer aber den Krieg für unsterblich hielte, der beschimpfte damit die Menschheit nicht, ― er täte eher das Gegenteil.“; Th. Mann)と考えている。
従って、ただの愚劣な「おしゃべり婆さん」(πολύλογος γραῦς)でしかない偏執狂の老婆のクズ投稿との「政治休戦」など、ありえない。
ところで、44②⇒【日下部眞一さんの「すでに市中まん延説」が、現実味を帯びてきました】とあるが、日下部氏のように「1,000万人説」を採らなくとも、日本の場合も水面下に現在の累計感染者の10倍程度、つまり200万人の感染者が存在しても不思議はないと私も考えている。
日本は諸外国と比べて検査数が圧倒的に少ないし、実態解明の調査も、一部を除いて行政主導のものは全く行われていないのは、政治の怠慢、不作為と考えている。
厳密な意味で、日本に新型コロナ対策の司令塔は不在だ。それが行き当たりばったりの彌縫策に終始する真の原因だ。軽佻浮薄なメディアの影響ではない。
日下部氏とは異なり、ただの風邪とも思わないが、日本に重症者や単位人口当たりの死者が少ないのは、篠田さんが強弁するような「日本モデル」的対策にあるのではない。その真相を解明するためにも、「ファクターX」の解明は不可欠だ。今後襲ってくる新たな感染症は、新型コロナばかりではないからだ。
私は、台湾などを除き、国民の説得を通じて最も合理的な対策を講じているのはスウェーデンだと思う。第一波で死者が続出し(9割以上が高齢者)、集団免疫の追求には国外から批判が多いことは承知しているが、第一波収束後の安定感はこのところの感染者急増で拡大の抑制では苦闘しているが、死者数は比較の上では伸びておらず、踏ん張っている。
国民の7割が政府の対策を支持しているのは、さすがはネオ・マルサス主義者の偉大な経済学者ヴィクセル(J. G. Knut Wicksell, 1851~1926)の祖国だと思う。殺伐非情の論理主義者である私には一番納得がいく。
ちなみに7月8日→12月16日時点での死者の推移(増加率)はそれぞれ、スウェーデン5,447→7,667(1.41倍)▽ドイツ9,103→23,782(2.61倍)▽日本980→2,688(2.74倍)――で、スウェーデンが遙に死者抑制に成功している。ドイツが大したことがないのは、同じ人口規模のトルコと比較すると興味深い。
スペインが行った抗体検査では、総人口の1割が感染している可能性があるようだ。同国の人口は46,736.8千人だから、467万人が感染している計算で、現在の1,771,488人の2.64倍になる。これでも少ないかもしれない。
そうこうするうちに、日下部翁が舞い戻ってきた。書かなくても、読んではいるのだろう。奥永さつきさんは冷静な観察者らしい。今後に期待したい。[完]
確かに、重症化に効いている遺伝子、というものがありそうなことは、NHKの製作したBS1NHKスペシャル、脅威の免疫ネットワーク、シリーズ人体 「驚異の免疫ネットワーク〜新型コロナウイルスとの戦い〜」 - BS1スペシャル - NHKを見れば、推測されるし、それがFactorXの可能性もある。だからこそ、ワクチン開発ができるのである。
ただ、ノーベル賞受賞者が主張しているから、あるいは、そういう論文がNature誌に載っているから、というだけの理由で、「その人の主張を正しい」と、無条件に取り入れるのはどうなのだろう。反氏の「たかがドイツの週刊誌」と揶揄されるドイツのder Spiegel誌にも、Spiegel社の科学の専門記者が「これは」と思う、Natureの論文について、ドイツ語で掲載されている。日本の場合、マスコミの科学専門の記者の吟味、「論文に書かれている主張が、本当に正しいかどうか。」という吟味がいい加減なことが、日本社会の一番の問題なのである。肩書によって専門家のような印象操作をして、その主張を日本国民に刷り込んでいる。
>理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ! Kindle版のことを言っておられるのだと思うが、
今は紙の本の在庫がないようで、Kindle版のようですが、西浦教授が著作を出すということは知れわたっており、私はAmazonで予約して紙で読みました。COVID-19の情報をワイドショーとSpiegel誌ばかりに頼っていてはいけません。
それから、著作自体を読んでいないくせに、レビューの中で星の少ないものを選んできてその尻馬に乗かってあたかも自説のように述べるのは、みっともないことです。
なお、8割削減説の当否自体は、基本的に「ファクターX」とは無関係なことです。
皆さんが指摘しているようなので書く必要もないことだけど、あなたは山中伸弥さんが考えていることを間違って思い込んでいる。これは、早く気づいてないと間違いをおかしますよ。
❝山中伸弥・京都大学教授は、執拗に「ファクターX」について語り続けている。仮説を科学的に証明してくれるのは勝手に早くやってくれればいいのだが、「ファクターX」の根拠としていまだに「日本は何らからの原因(ファクターX)で、これまで死亡者が欧米に比べてはるかに少なく済んできました」を理由にしているのは、どういうことなのだろうか。こんな根拠薄弱な理由で、人命もかかる政策に何らかの影響を与えようと執拗に「ファクターX」を発信し続けていて、本当に大丈夫なのか。何かおかしな偏見にとらわれていないだろうか。心配になる。❞
山中伸弥さんの本心は❝ファクターXは存在しないだろう❞だと思います。
だから、篠田さんの考えとほとんど同じなのです。篠田さんの独り相撲と指摘されている本質です。
山中伸弥さんは、少なくとも緊急事態宣言のころは、致死率には注意を払っていたが、死亡率には全く無関心であった。つまり、日本特殊論ではなかったのです。
医学教育に根付く❝コッホの原則❞病因論からすれば医学関係者が死亡率に無関心なのは容易に理解されます。
しかし、3月28日に歳川隆雄さんが「欧米が日本のコロナ対策を奇跡と呼ぶ理由」で紹介しているように、3月ころは欧米の政府関係者らが日本の(韓国も?)コロナ感染者死亡者数の異常な少なさを❝ジャパン・パラドックス❞として認識していたのです。
この時すでに(3月26日付?)サトウジュンさんが❝BCG仮説❞を詳細な分析で報告していました。
この後、5月のゴールデンウィーク当たりで山中伸弥さんが日本なり、コロナの感染死亡の地域特性についての科学的可能性を❝ファクターX❞としてまとめたわけです。
山中伸弥さんの12月1日付の❝ファクターXは続くか?❞を読むと、明らかに❝続く保障はありませんから、皆さん最大限のコロナ防衛をしてください❞という趣旨であることがわかります。
山中伸弥さんは、今でも❝日本特殊論❞ではないと思いますよ。
❝出羽守❞のところで書いたように、山中さんは、よく❝イギリスでは…❞とか❝サンフランシスコでは…❞とか書きますよね、それは、つまり❝今に、日本も英国や米国のようになりますよ❞という正義感に満ちた余計な老婆心からでしょう。
だから、❝科学的日本特殊論❞にくみしない篠田さんのたちばと、山中伸弥さんの立場はほとんど同じでしょう。
ただ違うのは、篠田さんの論拠に科学はないが、山中伸弥さんの論拠には科学があることです。
こんな文章を公に出すのは❝篠田英朗の科学のなさ❞を露呈しているだけである。
❝日本特殊論❞は、必ずしも❝日本だけ特殊論❞ではないことを考慮してないと。❝日本特殊論❞を考えている人は、程度の多少はあってもアフリカやオセアニアも考えていると思いますよ。
だから、篠田さんが確認してもらいたいと指摘している第3点は、すでに篠田さんの勝手な思い込み。❝藁人形❞と笑われる無知さによる。
第4点と第5点は、反氏の指摘にあるように、篠田さんの自分勝手な思いつきに過ぎない。
残る、第1点と第2点が篠田さんがまとめた表から読み取れる科学的事実。
私流に述べると、
第1 致死率は世界全域同じような値である。これは、おそらくPCR検査による感染者数の捕捉にはある程度の限界があるのかもしれない。
第2 死亡率、感染者率には、地域によって2~3ケタの大きな違いが見られる。欧米では他地域にくらべ20~30倍くらい多くの感染者、死亡者が見られる。
第2の事実を❝欧米が多い❞のか❝他地域が少ない❞のかは、表現の綾で、どちらでも良い。ただ、彼我に大きな違いがあるという事実だけである。そして、この事実こそが、❝ファクターX❞があるのではないかと科学者たちが推論検証しようとしていることなのです。
こういったコロナ感染者数や死亡者数の地域多様性を生み出す❝ファクターX❞を検証することは実に困難なことです。しょせん水掛け論に終わってしまうことが目に見えています。
しかし、尾身茂はじめ感染症専門家と呼ばれる人間たちが言及するのはいつも、❝皆さんが自粛したからではありませんか❞とか、❝マスクの習慣が日本人にはありますからね❞とか、phenomenology 的な、凡そ科学的とは思われない言葉ばかりなのです。
【分布の地域多様性を生み出す要因は?】
感染症被災の地域多様性を生み出す要因をまとめてみましょう。
関係者は、コロナ(parasite)、ヒト(host)、地域環境の三つでしょうか?
コロナ: 突然変異によるヒトへの依存性の変化
ヒト: (1)体質:遺伝的(遺伝子)、
後天的(地域文化的:食物、食習慣など)
(2)行動:マスク、手洗い、食行動…
言語(飛沫が飛びにくい言語)
(3)環境:気象(温度、湿度など)
ファクターXをどれだけ論じていただいてもかまいませんが、❝人間的な事情❞以外にも、いろんな可能性があることを理解しておいていただきたいものです。
実質的に同じことを、「アゴラ」の主宰者である池田信夫氏も試みている(「ファクターX」は幻想か=12月16日 14:18)。
池田氏は、篠田さんが世界各地域の感染実態、特に単位人口当たりの死亡者数の違いなどを基に論じた「ファクターX」否定論について、篠田さんの指摘が「ファクターX」を否定するに足りるevidenceを提示するには至っていないとして、一蹴している。
その論旨は極めて明解で、個々のevidenceとされるものが、⇒【①医療の充実しているヨーロッパ圏のコロナ死亡率が他の国より統計的に有意に高い②医療や衛生環境が最悪のアフリカで死亡率が有意に低い③アジアの中で医療が充実している日本の死亡率は有意に低くない】とまとめている。統計の解釈では説得力に富み、はるかに一枚上だ。
両氏の見解について、反論を含め、果たして篠田さんに素直に聞く耳があるか訝しく思うが、素直に聞いたらよい。
なぜなら、日下部翁への応答は期待できないが、池田氏については、Twitter上で、⇒【私と池田信夫さんの違いが説明されているので、記録…私の立場は、「春先の欧米の数値が異常値」ということ…】(18日)云々にとどまり具体的な議論を回避しているからだ。
「『ファクターX』に踊らされていいのか」とまで威勢よく切り出した割には腰砕けで、無謀極まる議論を修正する意図はみえない。科学的に、⇒【証明する手段を持っていない】素人論議の哀れさだ。
Twitterには、⇒【書いてしまわないと精神衛生に悪いので、書いてしまいました】(15日)と、今回の執筆動機を吐露するが、如何にも意味不明な言辞で、軽弾みな立論の性格を物語っている。
日下部翁にも垣間見える親切心(χρηστότης)は、14で言及した通り、ストア派において人によくする知識の謂いで、東洋風に言えば惻隠の情(「無惻隠之心。非人也」(『孟子』公孫丑上=「惻隠の心無きは、人に非ざるなり」)だ。
察するところ、日下部翁は篠田さんのぶざまな立論が、科学者の一員として、とても見ていられなかったのだろう。59⇒【篠田さんの論拠に科学はないが、山中伸弥さんの論拠には科学があること】の説諭の含意を噛みしめることだ。
もっとも、私は57⇒【山中伸弥さんの本心は“ファクターXは存在しないだろう”だと思います】には同意しかねる。
池田氏も今回、篠田さんが触発され、図らずも呉越同舟で同じ見解を披瀝することになった岩田健太郎氏の議論について、手厳しい。
⇒【ファクターXが「安心を醸成するキーワード」というのは逆…彼(岩田健太郎氏=筆者註)のような専門家が統計的に根拠のない「不安」をあおったことがパニックを引き起こしているのだ…あくまでも仮説だが、これを幻想だと断定するには「免疫機能の地域差が統計的に有意ではない」というエビデンスを示さなければならない】と。つまり、問題外ということだ。
生物学的な専門的知見のある日下部翁と、理論経済学に精通した池田氏との違いは、「ファクターX」仮説に対して、聊かせっかちで、篠田さんとは別の意味で懐疑的な日下部翁に対して、池田氏は、「有意な」差を示す各種データが、⇒【日本の死亡率がヨーロッパよりはるかに低い最大の原因は医療や衛生環境ではないという「消極的ファクターX仮説」を支持する】として、「ランダム要因では説明できない」格差を解明するための仮説として、⇒【その積極的な原因はまだ特定できないが、ファクターXの存在は否定できない】と、可能性を否定しないことだ。
⇒【篠田仮説は「三密回避などの日本モデルが成功した」というものだが、日本以外のアジア諸国やアフリカでは「日本モデル」を採用していないのだから、この仮説は棄却される】と退ける。
私の立場から見た合理的な推論としては、池田氏の見解がはるかに篠田さんより説得力に富む。人はしばしば、価値観の相違に加え見解の相違を強調して議論をごまかす傾向があるが、推論の首尾一貫性と広範な要素への目配りが自ずと示す、立論の優劣が厳存する。見解の相違はどこまでも仮象であって、実質的には優劣しか存在しない。
その点で、池田氏は篠田さんの立論が「ファクターX」を葬り去るevidenceも論理(複数ある、しかも対立するデータの解釈における自説の優位性の論証)も提示「していない」ことを具体的に明らかにするのに対し、篠田さんは、疫学的、ウイルス学的知見など他の要素は一切度外視して(専門的に論じるに足りる知見を有していないがゆえに)、山中伸弥氏の主張を畢竟、「魔術師のような問い」、「神秘的」だとか、「何かおかしな偏見にとらわれ」いるといった論点窃取の域を出ないからだ。
【感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える】ということの内実を、さまざまな仮説を通じて解明するのが科学であって、出発点の命題にとどまっているのが篠田説だ。実質は、何も言っていないに等しい。
池田氏の率直さ、つまり「ごまかしのない」点は、⇒【ファクターX仮説は有望だが、日本政府はいまだにそれを認めていない。それは感染症対策分科会の推奨する「日本モデル」と矛盾するからだ】と指摘することを忘れないことだ。
未だに、全体の感染実態を解明する抽出調査さえしない国家に、科学や科学的対策を語る資格はない。[完]
篠田さんの脇の甘い議論を批判するのは容易だが、私は哲学、西洋古典学の学徒にすぎないから、感染症学や免疫学、ウイルス学、公衆衛生学の知見には乏しい。謂わば無学(ἀμαθής)である。微分方程式論を含め解析学の初歩的知見、つまり高木貞治の名著『解析概論』程度は理解しているが、高等数学は、確率論を除き、大学程度の教科書を何んとか理解できる程度だから、偉そうなことも言えない。この分野では、学部学生時代のまま、時間が止まっている。
ただ、新聞記者だから、科学部所属ではなくとも、専門的知見を、厳密さの点では難点があるものの、分かり易く説明する訓練は、仕事を通じて自然と身に着いた。そしてそれらに共通するのは、論理意識の徹底だ。そこでは当然ながら、記号論理学と呼ばれる現代形式論理学の知見が役に立つ。
科学者や数学者の文章もこの点からみると、隙だらけのものがある。科学者に共通するツールである数学は論理を抜きには語れないが、必ずしも数学や理数系諸学の専攻者は、論理的に考える訓練ができておらず、しかも論理自体について考えることはほとんどない無邪気さだ。
ところで、兵庫県有数の進学校に在籍した高校時代に数学の成績が良かったという偏執狂の老婆の話が仮に真実だとしても、それをもって論理的思考を保証するものでは全くないことは、しかも、大学時代に教養課程で「論理学」を受講していい成績をとったとかいう話は、老婆の論理意識にルーズな、首尾一貫しない、論理的に破綻した文章をみれば、その典型的事例かもしれない。老婆に論理は存在しない。
56⇒【反氏のコメント41…女性だから、老婆だからという理由で、数学が弱い、合理的思考ができない、という固定概念…ステレオタイプ的な印象操作】――前半部の冗語はどうでもいいが、41は普通に読めば、別に老婆が「数学が弱い、合理的思考ができない」という印象操作ではなかろう。
つまり、老婆の無学と「虚偽体質」は既に個別、具体的にこれまで何度も証明されてきており、[ὅπερ ἔδει δεῖξαι]をラテン語では[quod erat demonstrandum]と称し、スピノザの『エティカ』(“Ethica”, 1677)に「証明終わり」(Q. E. D.)として頻出することを補足したまでだ。
老婆の無知と「虚偽体質」は、その意味で定理(theorem)のような既知の、本欄では公認の事実、公理(κοιναὶ ἔννοιαι)であり共通原理(αἰ κοιναὶ ἀρχαί)だということだ。
私は、⇒《女性だから、老婆だから…数学が弱い、合理的思考ができない、という固定概念》をもっていない。それどころか、上述のように、数学が得意でも論理的思考が覚束ない人間が少なくことを指摘している。老婆のような俗論が真実なら、理数系の人間は論理的思考に秀でていることになる。しかし、それは例外が多く、実際には理数系と論理的思考に必然的、内属的な関係はない。
よって、41が老婆が数学が弱いから合理的思考が覚束ないとは、全く論じていないことは明らかだ。日本語の文章の真っ当な理解さえ覚束ない人間が、論理、合理的思考でもあるまい。
ことほど左様に、老婆の議論には常に錯覚、勘違い、思い込み、狂信に伴う錯誤がある。そして、それを致命的なものにしているのが、論理などお構いなしの「虚偽体質」ということだ。
元々「数学」という総称は存在しなかったが、プラトンは「学ばれるべき最大のもの」(μέγιστομν μάθημα)として「善のイデア」に到達するための前提となる数論(ἀριθμητική)、幾何学(γεωμετρία)、天文学(ἀστρονόμος)など、音楽(μωσική)を含む数学的諸学(μαθηματική←μαθηματικός)を、感覚的世界から叡知的世界へ魂を振り向かせ(περιαγωγή)、転換(μεταστροφή)させるために研究することを慫慂した。
とりわけ、「三つの学ばれるべきもの」(τρία μαθήματα)として、数論、幾何学、天文学を重視した。それによって、人間にとって数(ἀριθμός)および数の学問が重要になり、数学は学問の代名詞的存在になった、
それに先立つピュタゴラス派の数学について、次のような記述が、後世の哲学者、新プラトン派のポルフュリオス(Πορφύριος, 232(34)~303(09))の『プトレマイオス和声学註解』(Porphyrius, In Ptolemaei harmonica commentarius)に残されている。
「さてここでもまたピュタゴラス派のアルキュタスの言葉を取り上げよう。彼の著作はとりわけ信頼できると言われている。彼は『数学について』において、議論のすぐ冒頭のところで次のように述べている。」(『ソクラテス以前哲学者断片集』第3巻、116頁=‘παρακείσθω δὲ καὶ νῦν τὰ Ἀρχύτα τοῦ Πυθαγορίου, οὗ μάλιστα καὶ γνήσια λέγεται εἶναι τὰ συγγράμματα• λέγει δ’ ἐν τῶι Περὶ μαθηματικῆς εὐθὺς ἐναρχόμενος τοῦ λόγου τάδε•’; Diels-Kranz, Bd. I, S. 431)
「数学者たちは立派な判断を下したと私には思える。そして個々の事柄について、それがどういう性質のものであるかを彼らが正しく理解していることは何ら驚くべきことではない。なぜなら、全体の本性に係わることについて立派に判断したのであるから、個々の事柄に関してもまた、それがどういう性質のものであるかを、立派に見極めることになるのも当然であった。こうして、彼らは、星の速度とその上昇と下降についても、また幾何学と算術と天球学(天文学)についても、そしてもちろん音楽についても、私たちに明確な認識を与えてくれたのである。なぜなら、それらの学問は姉妹関係にあるように思えるからである。というのも、それらはいずれも、存在の第一の種類をなすもので、姉妹関係にある二つのものに関係しているからである。」(117頁=‘καλῶς μοι δοκοῦντι τοὶ περὶ τὰ μαθήματα διαγνώμεναι, καὶ οὐθὲν ἄτοπον ὀρθῶς αὐτούς, οἶά ἐντι, περὶ ἑκάστων φρονέειν• περὶ γὰρ τᾶς τῶν ὅλων φύσιος καλῶς διαγνόντες ἔμελλον καὶ περὶ τῶν κατὰ μέρος, οἶά ἐντι, καλῶς ὀψεῖσθαι. περὶ τε δὴ τᾶς τῶν ἄστρων ταχυτᾶτος καὶ ἐπιτολᾶν καὶ δυσίων παρέδωκαν ἁμῖν σαφῆ διάγνωσιν καὶ περὶ γαμετρίας καὶ ἀριθμῶν καὶ σφαιρικᾶς καὶ οὐχ ἥκιστα περὶ μωσικᾶς. ταῦτα γὰραὶ τὰ μαθήματα δοκοῦντι ἧμεν ἀδελφεά• περὶ γὰρ ἀδελφεὰ τὰ τῶ ὄοντος πρώτιστα δύο εἴδεα τὰν ἀναστροφὰν ἔχει.’; ibid., S. 431~32)
無駄かもしれないが、老婆は自分を見つめ直すことから始めたらよい。病気になったのがいい機会だ。[完]
これまで篠田教授は、たしか移動平均など、平均的サラリーマンでも基本的には理解しておくべき概念をとりあげてコロナ問題を統計的にも丁寧に整理されてきた(移動平均というのは、少しニュアンスが違うが原価計算にまで使われるような幅広く有用な概念)。
しかし、今回のは統計的に正しく処理をしても「扱う指標」がずれていたら期待した分析ができないという例ではないか。具体的には死亡率といっても、超過死亡とか単位人口あたりの死亡者数や重症化率を見るべきでなiいだろうか。重症化率は微妙なので、たとえば超過死亡を見ると欧米と日本の差は圧倒的で、これを生活習慣で説明するのは難しく、やはり生物学的要因が怪しいのではないか。
扱う指標としてどれにターゲットを絞るかは、経済問題なんかでも重要で、どの指標を重視するかでその人の経済学センスがわかる。もちろん篠田教授は頭脳明晰なので、これらを計算づくで指摘されたら申し訳ないが、もし誤りの場合、今後軌道修正すれば信頼はすぐ回復できるだろう。
NHKは曖昧な情報で大衆をあおらずに、今年のノーベル経済学賞の対象となった電波オークションでもドキュメンタリーでとりあげろと思う。(絶対に黙殺するだろうが)
ユーチューブでNHKへの痛切な批判が殺到しており、私も毎度怒りをおぼえる。「年収250万円の母子家庭や父子家庭がNHKを見る暇もなく必死で働いているのに、NHK職員の軽く1千万円を超える年収を維持するために、これら労働者が受信料を強制的に払わされている。なんとかしろ」と悲鳴の声は身につまされる。しかも、「NHK教養コンテンツは素晴らしい」などというバカがいまだいるが、まだユーチューブのノリ予備などの数学や科学解説のほうが100倍面白い。カビのはえた教科書のようで完全に若者から見放されている。だから私もほとんど見ることなく、山中伸弥のNHK番組もネットで簡単に要約したものをチェックするだけである。
ふと思いついたが、コロナの医学的被害と経済的被害を、固定費と変動費の損益分岐点のような形で、総合的被害を最小にするためのグラフを構築できなこともないのではないか。でも、そういった啓蒙のためには、大衆の側がワイドショーのような最悪の情緒的頭脳でなく、数値や統計で冷静に最適解を判断する素養を身に着けないといけないのだろう。
これについて国民が鈍感なのも、完全にメディアに頭脳をコントロールされているからだ。もちろん、医療にかぎらず、どの分野でも事の本質が理解しがたくなっている。
新聞で色のついたイデオロギーが放射されて客観的真実や全貌が歪曲され、その後でその新聞社に支配された民放のテレビ局で頭のおかしいワイドショーが狭窄視野の大衆感情をあおりたてる。
その結果として混乱した大衆の、さらに頭上で、紳士的かつ学問的権威的にうやうやしく大げさに物事を論じて締めくくって「さすがNHKだ」と大衆を錯覚させながら、偏向した考え方を刷り込むのが(前述コメントでも言及した)NHKであった。
医療体制を論じるときなども、「何事にもメリットとデメリットの両面がある」という基本の基本を理解していない。あるときはメリットだけ強調し、あるときはデメリットだけえぐりだす。それも一方的に垂れ流す。最悪なのは、見方が有意に対立しているときに公正な議論をさせないし議論自体を隠蔽する。そもそも電波オークションさえ隠蔽するメディアに大衆の利益を得る発想は皆無になるのはしょうがない。一事が万事とはこのこと。
「朝日新聞社を中心とする日本のマスコミや野党は、あたかも戦争中「日本人が韓国人女性を性奴隷にしたかのような」世論が作り上げた・・」
私は歴史によって被害をうけた人々には自国であれ他国であれ謙虚であるべきだと考えるし、いろんな考え方があってしかるべきと思うが、何よりも朝日新聞や左翼が最悪なのは、80年代から「われわれ日本人は加害者だ」と相当に執念深く日本国民を洗脳したことだ。「アジア人は被害者で日本人は加害者だ」と執拗にすりこんだ。これが何を意味するかといえば、これからの新しい世代はアジア人から何を言われても謝罪せよということで、新しい日本の世代が「被害者」になっていく。その再生産を日本の左翼どもは狙っていた。なぜかといえば、理由は簡単で、そう日本人を洗脳すれば、日本産の左翼はあと100年は日本人に説教できて安泰であるからだ。これには本当に橋にも棒にもかからないような非常識の文系学者が手を貸した。
日本人を一方的に加害者だと世界中にすりこもうとする左翼のやっていることは犯罪行為に等しい。こんな左翼を真に受けた高齢者世代であるからこそ、オレオレ詐欺などにも鈍感で、プロパガンダや洗脳という詐欺行為に対してあまりに無防備なのだと思われる。
ただし、篠田教授はそれも承知しながら、曖昧なファクターXなるものに翻弄されずに、目の前の政策を合理的に考えろという趣旨が本意だったのだろうか。
あと、あれこれ、だらだらと書いてすんませんが、西浦氏の件については、もう前回でいったん終了にしたほうが良いような気がする。すでに篠田教授は「学問悪用して過剰におどかしているだけだろ」と西浦氏を完全にぶった切ってしまっているので(指摘内容はほぼ同感)、これ以上論じるとむしろ粘着気質だと受け取られかねない。生産的と思われない。ただし西浦氏については、次回同じことあれば、その際は「眉に唾して」みんな受け取るだろう。それにくらべて山中氏は別格だが、えらいからと言って曖昧な概念をふりまわすなという観もあり、篠田教授が指摘されたことは良かった気もする。
朝日新聞がquality paperでなくなってしまったのは、(それとも私たちの学生時代にはそういう妄想があっただけなのかもしれないが)、自分たちの書いた記事の検証を(従軍慰安婦問題にしろ、日本国憲法9条にしろ同じであるが)、「権威を維持する」ために、まるでしないからである。
日本は「三人寄れば文殊の知恵」の国である。
いくらSpiegelが高級誌だとしても(ちなみに私はTimeやNews Weekも大して信用してませんが)、こと自然科学の分野に関する限り、Natureと同列に議論するということが信じられません。どちらが上とかいう以前に、雑誌としての性格が違い過ぎます。個人的には「インフルエンザ菌」並みの衝撃です。
それから「日本モデル」云々を論じたいのなら、その専門家会議やクラスター対策班にいた方のインタビューや著作に気を配る(全てを精読するというのは困難としても)ことは当然のことでしょう。西浦の著作を読むべきだというのはそういうことです。別に書いてあることを鵜呑みにしなくてもよいから一応は目を通しておく、大学生のレポートだってそれくらいのことはするでしょう。
もちろん「年末の多忙な時期で今は時間がとれない」とか「手元不如意で書籍代が工面できない」とか、やむを得ないこともあるかとは思いますが、貴女のおっしゃっていることは言い訳にもなってませんよ。
他人の「国際的な教養が欠落」を気にする前に、カロリーネさんご自身に「ある程度の知的水準を有する者としての常識や作法が皆無」であることを自覚された方がいいですよ。
コメント77はほぼ論点ずらし、また78で「政府解釈氏」というのは私のことでしょうが、私は別に西浦教授を持ち上げているのではなく、著作を読めば「日本モデル vs 西浦モデル」という構図は全く成り立たないということが分かる、というのが私が申していることの主旨です。
また、著作を読めば、クラスター対策と「8割削減」の関係、なぜ西浦氏が「8割」に拘り、かつ尾身先生もそれを支持したのかということも書いてあるんですけどね、「ある程度の知的水準を有する者としての常識や作法が皆無」な老婆に言っても仕方ないか・・・
科学者たちはヨーロッパに新しいコロナ対策を求めているhttps://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/corona-hochrangige-wissenschaftler-fordern-richtwert-von-maximal-zehn-neuinfektionen-fuer-europa-a-588598e8-7533-4193-b4cd-c9c01f7aeaf8
というものがあるが、それによると、ドロステン医師を含む政府に対して発言力のある感染症の専門家たちは、Wo alle Infektionen konsequent nachverfolgt, Infektionsketten unterbrochen konnten und verhindert werden konnte, dass sich das Virus im großen Stil ausbreitet, erholte sich die Wirtschaft schneller, weniger Menschen erkrankten oder starben.と主張している。即ち、 クラスター調査をし、その連鎖を切断することができ、爆発的な感染を起さなければ、経済は早く回復し、発症し、亡くなる人々も減るだろう、と。これは、「日本モデル」そのものではないのだろうか。政府解釈氏にしろ、老人にしろ、「インフルエンザ菌」のようなあら捜しは上手であるが、一番大事な点、主張の肝にあたる部分への理解力が、全く欠如している。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E5%AF%BE%E5%BF%9C-%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E5%A4%B1%E6%95%97%E3%81%97%E3%81%9F-%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E3%81%8C%E7%95%B0%E4%BE%8B%E3%81%AE%E6%94%BF%E7%AD%96%E6%89%B9%E5%88%A4-%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3/ar-BB1c2bJZ?ocid=msedgdhp
コロナ対応「我々は失敗した」、国王が異例の政策批判…スウェーデン
読売新聞 2020/12/18 17:55
グスタフ国王(AP)© 読売新聞 グスタフ国王(AP)
【ロンドン=広瀬誠】スウェーデン公共ラジオなどは17日、スウェーデンのグスタフ国王(74)が国の新型コロナウイルス対応について「我々は失敗した。多くの人々が死亡したのはひどいことだ」と述べたと報じた。王室による政策批判は異例だ。
どちらが、妄想家、虚偽体質なのだろう?ほんとうに、いい加減にしてほしい。
Spiegel誌を書く記者が科学的知見をもち(それが本当の研究者と同等のものであるかはさておくとしても)、「NatureやLancetを読んだうえで、記事を書いて」いるとしても、そのことが自然科学の分野でSpiegelがNatureやLancetと同等であることを意味するのですか?
日本なら「日経サイエンス」の記者だって結構NatureやLancet等を読んで記事を書いていたりしますよ。
医療資源については、「横の連携」(医療スタッフの融通制度)が、喫緊の課題でしょう。また、休業措置のための補償制度(いくら補償するか!?難しいです)を事前に決めておく。立法措置が必要でしょうか。
72・73で新聞、NHK、民放ワイドショーが採り上げられています。そうなんでしょうね。新聞< については私事で恐縮ですが、エピソード→自分の父親は、中道左派的立場でした(選挙で野党が勝つのはうれしがっていましたが、吉田茂・三木武吉などを評価していて政権は保守が担うべき< と言っていました)。新聞は毎日新聞購読、赤旗を好んで読んでいました。朝日はなぜか読みません(真意不明)。
思想傾向が自分と違うので、そのような話題になるといつも認識が違いました。ある日、靖国神社の話しになったら、父親がGHQは戦後直後、靖国を爆破しておけばよかった< →G:それじゃー英霊は犬死か!?< と言ったらダンマリでした。たぶん、(英霊概念は評価していなかったので)息子とこれ以上議論するのはばかばかしいと思った!? それとこういうこともありました。産経は最低だなぁー!< と、新聞は政権を批判しているのがおもしろい!< という感想でした。Gも一応はさもありなんと思いましたw
別にワイドショーのコメンテーターの話をしていたわけではありません。私は12月6日付け記事のコメント25の末尾で「もちろん、例によって『老人氏は『日本モデル vs 西浦モデル』の構図を問題にしているが、私が言いたいのはマスコミの姿勢なのである。老人氏はどうして物の軽重が分からないのだろう』と更なる論点ずらしを図られることは、承知してますが(笑)」と申しましたが、予想が的中してしまいました。
また、山中教授の「ファクターX」論を検討するに際し、なぜメルケル首相と知事たちのコロナ対策の話を持ち出してこられるのですか?ドイツにも日本のワイドショーレベルのメディアはあると思いますが、そのような場でもメルケル首相等の見解はきちんと伝えられているのですか?
「日本モデル」を語りたいのなら、まさに日本におけるCOVID-19対策の中心にあった人物の一人(西浦教授。なお、実務的には専門家会議とクラスター対策班とはかなり一体化して職務にあたっていたようです)の著作くらいは読んでおきましょうね、と言ってるんですけど。
情報源がSpiegelとワイドショーに偏っているから、そんな頓珍漢なコメントになってしまうのですよ。
ドイツの場合は、メルケル首相の意向をドイツのマスコミがわかりやすくきちんと伝えている、ということをからカロリーネは主張しているのである。
テレビとネット漬けで、外にすることがないのだろう。今回も、日本語のまともな読解さえ覚束ない莫迦話に終始している。精力だけはこの寒さでも大したものだが、狂信家というものは、そうしたものなのだろう。
私は今回の最初のコメントで、「篠田さんの統計の読み方について」、3⇒《同じ数値を基にいくらでも異なる解釈を導き出せるという意味で…単なる素人論議の域を出ない。それをこれまでの疫学的、医学的知見と統合する視点が全く欠落している》と一蹴した。
しかし、過去にさまざまな私なりの解釈を提示しているとはいえ、それでは本ブログの主宰者に対して門前払いを喰らわすようで聊かつれないので、偏執狂の莫迦話に言及するついでに、少々具体的数値を挙げて論じてみたい。なお、数値は直近の昨日18日時点に基づいている。
まず、83⇒【反氏は、スウェーデンの政策を成功とコメント欄に何度も書かれた…】――日本語がまともに理解できないことの証左だ。現在進行形の事柄について、何をもって「成功」(τὸ ὀρθούμενον)とするかはさまざまな基準(κριτήριον)があろうが、私は途中経過の段階で、謂わば「須臾の相の下に」(‘sub specie bienni’)皮相な考察をしても仕方ないから、「成功」といった言い回しはしていない。感傷を排した合理性があると言っている。
老婆以外には不要な註釈だろうが、最近も12月2日・86~87、直近だと一昨日の17日・51で言及した。その趣旨は今夏に第一波が収束した時点(7月8日)との比較で、スウェーデンの感染者、死亡者とも、他の欧州諸国との比較でよく抑えており、直近の再拡大局面まで安定していたというものだ。具体的数値を提示しておいたので、途中経過としてそう表現し、政策的な合理性があるとしただけのことだ。
失敗の対象が、同国で18日時点で7,893人に上ったことを指すなら、既に7月8日時点で5,447人だった死者が2,446人増えただけの話で、他の国と比べて際立った伸びを示していないどころか、むしろ死者数増を抑制している。
同期間のドイツの9,103→25,225人(2.44倍)、日本の980人→2,841人(2.90倍)に比べてスウェーデン伸びは1.45倍にすぎない。この点で、「もっとうまくいくはずだった」という国王の期待値は下回ったかもしれないが、ドイツより1ポイント近くも成績がよいことを結果的に無視している。
集団免疫策が「失敗」だから、止めるべきだとの趣旨でもなさそうだ。むしろ、欧州で例外的に集団免疫策を一貫して採り続けたにもかかわらず、ドイツや日本より「成績がいい」という「この間の」実績を直視すべきだ。
国王の「異例」とされる発言の背景は必ずしも明らかではないが、先月11月に皇太子夫妻がともに感染したことや、第一波の際に高齢者施設で犠牲が相次ぎ、親族に無断で重症者が緩和治療に切り替えられ死去した事例について最近親族が取材に批判的に答えたこと等が挙げられる(半年近く経過しており、何を今さらという感も)。何よりここにきて感染者が急増していることへの苛立ちがあるのだろう。
しかも、国王は政策責任者でも何でもない。政府が対策責任者を解任する意向との報道もなく、直近の世論調査での対策への支持率はやや低下したものの6割の支持を保っている。
国王発言を追認した首相も、集団免疫策を転換するよう求めていない。ただ、国王の発言を受け、否定したり反対することは畏れ多いのだろう。国王発言には国民への警戒を呼び掛けるメッセージの側面もあり、追従することで政治的に利用したとみえなくもない。
83②⇒【スウェーデン国王が、「失敗であった」とスウェーデン国民に謝られているのではないのだろうか…国の新型コロナウイルス対応について「我々は失敗した。多くの人々が死亡したのはひどいことだ」と述べたと…どちらが、妄想家、虚偽体質なのだろう?ほんとうに、いい加減にしてほしい】程度の認識しかもち合わせていない。
まず、「妄想家、虚偽体質」は老婆の本性で、コロナ論議とは関係ない。
この際だから、集団免疫策、つまり事実上のノーガード戦法での対策を続けているスウェーデンと他国の実績との相対関係を明らかにする比較を試みる。ドイツについても加え、合わせて3種類にまとめた。老婆のようなみっともない杜撰な比較表ではない。
いずれも、12月18日現在で、数値は順に致死率、☆累計感染者、★同死者、*10万人当たりの感染者/死者=丸囲み数字は同一表内での順位(末尾は人口:単位千人)。
まず、スウェーデンと気象条件の近い、近隣諸国との比較(悪い順に並べた)。この中では、スウェーデンの成績は極めて芳しくない。順位の基準は致死率とした。つまり、国王の「失敗」云々は客観的基準ではなく、あくまで、近隣を含めた国内問題の側面がある。
❶スウェーデン2.21%(☆357,466←★7,893=*3,561.70/①78.64)10,036.4
❷フィンランド1.50%(☆32,582←★489=*588.95/8.84)5,532.2
❸ラトビア1.39%(☆29,427←★409=*1.543.35/③21.45)1,906.7
❹ノルウェー0.94%(☆42,776←★404=*795.07/⑦7.51)5,378.9
❺リトアニア0.92%(☆106,210←★972=*3,848.752/②35.22)2,759.6
❻エストニア0.81%(☆20,658←★168=*1,558.39/⑤12.67)1,325.6
❼デンマーク0.80%(☆123,813←★992=*2,145.10/④17.19)5,771.9
❽アイスランド0.50%(☆5,604←★28=*1.653.10/⑥8.26)339.0
トルコは単位人口当たりの感染者数がドイツより多いにもかかわらず、致死率、単位人口当たりの死亡者数=死亡率ともドイツよりはるかに成績がよい。その原因解明にも「ファクターX」がさまざまな点で立てられる所以だ。トルコの医療事情や感染症対策がドイツと特段異なっているとも思えず、この有意の差は謎。
ドイツはポーランドより死亡率では成績がいいが、それは感染率が低いことと相関関係がある、致死率に際立った差はない。「ポーランド並み」では、ドイツ人のプライドも傷つこう。
同じドイツ語圏のオーストリアもよくはない。致死率こそドイツよりよいが、死亡率(57.25)はドイツの倍近い。スイスの死亡率(75.94)はイラン(64.25)より悪く、スウェーデン(78.64)と同水準だ。
❶トルコ0.89%(☆1,955,680←★17,364=*2,344.11/①20.81)83,429.6
❷ルクセンブルク0.99%(☆43,279←★428=⑭*7,029.24/⑧69.51)615.7
❸オランダ1.57%(☆664,456←★10,405=⑭*3,886.37/⑤60.86)17,097.1
❹オーストリア1.53%(☆334,913←★5,127=*3,739.91/④57.25)8,955.1
❺スイス1.61%(☆403,989←★6,524=⑭*4,702.25/⑨75.94)8,591.4
❻チェコ1.67%(☆610,006←★10,163=⑭*5,706.8/⑩95.08)10,689.2
❼ドイツ1.75%(☆1,441,556←★25,225=*1,726.06/②30.20)83,517.0
❽ポーランド2.09%(☆1,182,864←★24,771=*3,122.02/⑦65.38)37,887.8
❾アイルランド2.76%(☆77,678←★2,143=⑭*1,590.95/③43.89)4,882.5
❿イラン4.65%(☆1,145,651←★53,273=*1,381.74/⑥64.25)82,913.9
76⇒【「通りすがりの老人」には国際的な教養が欠落】のような天に唾する冗語が尽きない婆さんは、「ファクターX」はもとより、国際的な感染状況について、ほとんど何も知らないに等しい。
①メキシコ9.03%(☆1,289,298←★116,487=*1,010.62/❽91.31)127,575.5
②ブラジル3.99%(☆7,111,527 ←★184,876=*3,369.60/❾87.60)211,049.5
③イタリア3.53%(☆1,906,377←★67,220=*3,148/40/❷111.02)60,550.1
④英 国3.39%(☆1,948,660←★66,052=*2,885.61/❹97.81)67,530.2
⑤ベルギー2.97%(☆618,204←★18,371=*5,357.38/❶159.20)11,539.3
⑥アルゼンチン2.72%(☆1,524,372←★41,534=*3,404.08/❻92.75)44,780.7
⑦スペイン2.70%(☆1,805,633←★48,777=*3,863.41/❸104.30)46,736.8
⑧南アフリカ2.69%(☆892,813←★24,011=*1,524.66/❿41.00)58,558.3
⑨フランス2.46%(☆2,427,316←★59,619=*3,726.90/❼91.54)65,129.7
▼スウェーデン2.21%(☆357,466←★7,893=*3,561.70/78.64)10,036.4
⑩米 国1.80%(☆17,628,568←★317,929=*5,357.17/❺96.62)329,064.9
⑪サウジアラビア1.69%(☆360,516←★6,091=*1,052.03/⑪17.77)34,268.5
⑫インド1.451%(☆9,979,447←★144,829=*730.34/⑫10.60)1,366,417.8
⑬バングラデシュ1.448%(☆498,293←★7,217=*305.61/⑬4.43)163,046.2
Der Spiegelに問題があるというより、老婆自身が出来損ないなのは明白。Q. E. D.[完]
☆余白に 79⇒【反氏の「ヘーゲルの本を読め」という主張】。老婆がヘーゲルを読むはずも理解可能なはずもないが、論じたかったら「お読みになれば」ということ。哲学音痴の「間抜けなおばあちゃん」。79②⇒【素人にもわかりやすい岩波新書の田中美知太郎さんの「ソクラテス」】――泉下の田中先生「私への言及は迷惑千万。君、何とかならんか」、私「先生、ありゃ、παράνοια」、先生「そうか、Μαίναςじゃったな」
そのことは、日本のマスコミの報道番組、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」の報道姿勢がはっきりと示している。この番組をはじめとする「ワイドショー」の「PCR検査重視」、「クラスター調査軽視」、「ロックダウンは必要」の姿勢が。このCovid19問題が起こった当初から、「日本の情報番組」と称するワイドショーは、「様々な専門家と称する人々」を登場させて、日本政府のコロナ対策が場当たり的、なっていないかのような主張をし続けてきた。ほんとうに「その情報は正しい」のだろうか?
。本当に「Go To トラベル」をとめることが、Covid19を収束させることに効果があるのか、「医療崩壊」を防ぐのか、という疑問が、日本のマスコミ関係者にはまるでない。そう主張しているのが、医師会会長や、大学の感染症専門の教授だから、番組を見ている視聴者は、「感染を収束させる効果があるかのような」印象をもちがちであるが、「重症者」が増えれば、医療崩壊になるのであって、どの地域であろうが、病院に「コロナ重症者」を搬入したら、医療関係者に感染し、医療関係者を通して基礎疾患がある入院患者にコロナウィルスが感染すれば、重症者が増え、病院内は医療崩壊になる、通常の診療、治療行為ができなくなる、という単純な構図が、どうして、彼らには理解できないのだろう。現実には、タクシーや公共交通機関ではなくて、家庭内感染でウィルス感染は起こっているのだから、外からコロナウィルスを若者が持ち帰ると年配の同居人が重症化する現実がなぜ、理解できないのだろう。
要するに、元朝日新聞主筆、船橋洋一氏をはじめとする、日本のマスコミ関係者、マスコミに大きな影響をもっている「反政権」の東京都小池知事、「ワイドショー」と称する日本の報道番組、が日本政府の「日本モデル」の理解を妨げ、「尾身・押谷モデル」、外国から高く評価されている日本の「Covid19対策モデル」を葬ったのである。その罪は重い。
国際的な資料、米国のジョンズ・ホプキンス大学の新型コロナウィルス感染状況の資料をみてみられればいい。事実は、歴然である。
https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6
本来、スウェーデンと比べるべき国は、ワーストの国ではなくて、気候の似た近隣の国、ノルウェイ、デンマーク、フィンランド、と比べるのが、科学的な思考方法なのではないのだろうか。また、スイスも隣国ドイツと比べると、全く制限のない生活をしているが、スイスの人口あたりの死者数の多さ、も特筆すべきことだろう。
日本は、欧米の国々、とくに米国や英国と比べると、コロナの感染者や犠牲者が格段に少ないのであって、医療先進国ドイツと比べても、新規感染者も死亡者共にはるかに少ない。どこが日本政府の政策は失敗しているのだろう。このようなコメンテーターに一日中解説させる日本の放送局がどうかしているし、公共の福祉をかき乱しているのである。この行為は、放送法4条に明らかに違反している。
ドイツの医療事情だって、日本以上に崩壊しているのであって、欧米の医療が崩壊していない、という解説もまた嘘、なのである。「コロナ患者の死者数0」という目標に無理があるのであって、それに猛進して、通常救うことのできる癌患者や脳卒中患者の死者数を増やしたら、元も子もない。人命の重みは変わらないのである。Covid19感染者を減らすために(自己)隔離生活は必要であろう。そのために必要なものがCocoaと感染場所の公表である。とにかく、マスコミ報道、特にテレビの偏ったコメンテーターの解説による歪な報道によって、「まともな世論」ができないことが、現在の一番の日本社会の問題である。
しかし、こんなことに意味があるのかという疑問はある。おそらく100人検査すると200万円ほどの出費となるだろうが、医療機関でもない民間で、これをいつまで続けるのか悩ましいところである。熱もなくぴんぴんしているものは指定ホテルでなく、自宅待機にさせるべでないかと思う。
それと、統計データを扱う際に、短期間ごとにデータを採取し、その推移を見たくなるのは当然だが、今回のコロナは今年最後の12月分のデータがそろったあたりで、今年一年分のトータルで整理するのが良いと思う。
何の対策が良かったか分析するのは短期間が理想的かもしれないが、コロナ対策自体が未知でデータが不足しているかもしれない。
今年一年の成績で、国家間や地域間の比較をすると、総合的な成績表のようなものが出来上がる。来年の1月くらいに被害の多いAグループと被害の少ないBグループくらいに分かれるはずだ。だが、これは政策の良し悪しだけでなく、その差の半分以上は免疫システムの違いでないかという仮説を立てているが、その確証はない。もしこれが解明されたら、リスクのコントロールに大きく貢献するはずだ。
しかし、なんども指摘されているマスコミが災いというのは本当に(特に日本では)真実である。間違いなく事実である。コロナ禍という用語ができたが、マスコミ禍という用語が定着すれば良い。このマスコミ禍は、悪者を探し出してそれに全責任をなすりつけ集団的つるし上げを行うのが性癖である。
コロナでも、外国の災難をクローズアップし「日本もこうなるぞ」と夜警国家ならず夜警マスコミの観があったが、それも国民を心配しているのではなく、国民の怒りを煽って政府を打倒したいだけ。チンケな根性であるが、無能が反権力を標ぼうすると必ず最後はここにたどりつく。
さらに「マスコミは国民の役にたちますよ」とマスコミの既得権益の維持をアピールするためである。だが、ほとんど用なしどころか百害あって一利なし。天気予報を誰もがネットで見るようになる時代になればお払い箱は間違いないが、それに抵抗しようとする最後のあがきが危惧される。なにがなんでも、何にでも余計なちょっかいを出して社会を混乱させるに違いない。
世の中には素晴らしい有識者や専門家、たとえば農業と経済分野のつながりについても、こんな陳腐な学者の千倍くらい有能な識者があちこちいるのに、なぜこういう人が人選されるのか不思議でしょうがない。
この学者がNHKの思想と同じである仲間ということ以外に、やはり思ったのは視聴者や国民をなめきっているということだ。このくらいのレベルでちょうど良いとバカにしている。だが、そういう三流のメディアが三流の視聴者や読者を製造していく。もうNHKや新聞しか見ない高齢者はネットで最新情報を得る若い世代に到底太刀打ちできない。そこで知識では負けを認めたくないので、「思想」の分野では自分が勝っているという、訳のわからない幻想を持ちたがる。それも言論や思想の分野を混乱させている要因のひとつである。
「エピソード→自分の父親は、中道左派的立場で・・」(だが自分は違う)
・・ということなら平均的な家庭ということですね。
私も日曜になるとNHKをかじりつくように見ていて社会党支持者になって大企業の労働組合のしょうもない仕事を手伝わされていた父親の息子です。
ところが、不思議なことに、父親と一緒にNHKにかじりつかずに、台所で一生懸命に食事の準備をしたり、家の掃除をしていた母親はずっと自民党支持者で、共産党嫌いでした。
その母親もマスコミの年金騒動にだまされて、ついに自民党でなく民主党に投票したときには、私も「やはりマスコミにだまされたか」と母親に30分かけて説明したのですが、それも虚しく、「民主党に投票し、自民党にお灸をすえる」と意見をまげすに民主党を選びました。そのとき私は「お母さん、日本にまともな野党はないんだよ」とも言ったことをいまだに覚えています。
ところが、昭和60年代あたりから朝日新聞など左翼が思い出したように靖国参拝を(相当に執念深く)年から年中、徹底的に攻撃したのは、あくまで共産主義圏が末期状態となり、権威失墜する極左が生き残りに必死となり、狂ったように反戦活動とか戦前叩きに精を出し、これまた狂ったように中国などを煽ったからです。
最悪なのは無能な偏向マスコミが、付和雷同の集団体制で、徹底的にこの極左の動きに協力しました。マスコミが日本の癌なのですね。靖国参拝で中国にご注進をしている場合か、当時は天安門なども発生した時代で中国も共産党独裁体制が別の意味で確立する時代ですよ。テロを堂々とやっていた北朝鮮からの脱北者も自由側諸国で驚愕の証言をしました。実に、信じられないほど偏向マスコミは腐敗をしていたが、それを現在はおくびにも出さず、国民は大マスコミの与える情報メニューだけ食えとテレビ・新聞で強制する。
戦前の一億玉砕、戦後の一億総ざんげ、それと朝日の従軍慰安婦騒動など、すべては無能マスコミの「集団的な護送船団システム」が悪質な癌となってきて日本を呪ったとしか言いようがない。また、それが民主主義政治の制約というもので、ほとんどのマスコミが同じ論調となれば、政治家や官僚はそれが世論と錯覚してしまう。ネット普及により、ネット世論というものが勃興しなければ、安倍内閣の安保法制もまず国会を通らなかった。それで、偏向マスコミはネットに対して強い怨嗟の感情をもっている。
こういった未曾有の社会的な災害を「新聞記者」などという妄想の茶番映画で美化しようとするなどは、本当に犯罪的というレベルである。
Q. E. D.は、「かくてこの定理は証明された」、直訳すれば「これが証明されるべきことであった」(‘ὅπερ ἔδει δεῖξαι’)を意味するラテン語(quod erat demonstrandum)の頭文字であることは既述の通りだが、愚鈍なただの「おしゃべり婆さん」(πολύλογος γραῦς)でしかない老婆の反論の真似ごとには(95~99)、反論の内容として構成される(συγκείενος)、証明する(δείκνυμι)、つまり具体的なデータを提示して「示すということ」(τὸ δεῖξαι)が全く欠落していることは一目瞭然だ。
しかも、95~99と5件も並べた割には、95⇒【中高時代に、同じ京都大学哲学科を卒業した父とした会話】とか、96⇒【「日本モデル」はあくまで】云々のような、論旨とは直接関係のない身の上話を含めた冗語が目立ち、まさに老婆の他愛もないおしゃべり(ὁ γραός ὕθλος)そのもの。
「証明する」(δείκνυμι)は「デイクニューミ」と読むが、老婆に限っては、それが覚束ない「木偶(の坊)=デ(イ)ク」は「廿(ニュー)身」のニュアンスに響く。「廿」は「二重」という意味だから、間抜けも二重で甚だしく、「死ぬまで治るまい」ということだ。
まず、事実誤認その①
95⇒【反氏は事実を踏まえず、妄想や憶測で結論を出す】――私は3種類の表を作成し、具体的に数値を挙げて論じており、他に解釈の余地はあるとして、「事実を踏まえず、妄想や憶測」には当たらないことは明白だ。よって、Q. E. D.
96⇒【現実には…家庭内感染でウィルス感染は起こっているのだから、外からコロナウィルスを若者が持ち帰ると年配の同居人が重症化する現実がなぜ、理解できないのだろう】――感染経路が「判明した」うちでもっとも多いのが「家庭内感染」というだけの話であって、全体のほぼ6割を「感染経路不明」が占める。「家庭内感染」が全体に占める割合は多くて2割程度である。これはクラスター対策が有効に機能しないことを含意する。従って老婆が感染の主流とみるシナリオは単なる推測にすぎず、他を「なぜ、理解できないのだろう」を正当化しない。よって、Q. E. D.
事実誤認その③(不当立論)
99⇒【国際的な資料、米国のジョンズ・ホプキンス大学の…資料をみてみられればいい。事実は、歴然】――この断定には主語が存在せず、どの数値をもって、どういう事実が「歴然」かが全く示されておらず立論の体をなしていない。従って事実誤認というより、典型的な不当立論。よって、Q. E. D.
事実誤認その④
99②⇒【本来、スウェーデンと比べるべき国は、ワーストの国ではなくて、気候の似た近隣の国】――私は92で示した最初の表で、国境を接するノルウェー、フィンランド、デンマークに加え、バルト海対岸のリトアニア、ラトビア、エストニアに加え、緯度が近い北海対岸のアイスランドと比較しているから、明白な事実誤認。よって、Q. E. D.
事実誤認その⑤
99③⇒【スイスも隣国ドイツと比べると、全く制限のない生活をしている】――連邦制のスイスは欧州を襲った感染第一波に対しては、連邦政府が3月16日から、感染症法第7条に基づく「非常事態」を宣言して各州の権限を制限して、国内一律の封鎖措置を講じ6月19日に解除するまで継続した。その後は、緊急性の低い「特別事態」にした。従って、「隣国ドイツと比べると、全く制限のない生活をしている」は事実誤認。よって、Q. E. D.
99④⇒【スイスの人口あたりの死者数の多さ、も特筆すべき】――スイスの単位人口当たりの死者数=死亡率は、10万人当たり75.94人でスウェーデン並み(78.64)だが、近隣のフランス(91.54)、イタリア(111.02)以下で、オーストリア(57.25)と比較して際立って高いわけではない。ベルギー(159.20)の二分の一で、ルクセンブルク(69.51)と大差ない。
特筆すべき高さは死亡率ではなく、感染率。10万人当たり4,702.25人は、表に挙げた欧州の主な国家では、チェコ(5,706.8)、ベルギー(5,357.38)を下回るものの、スペイン(3,863.41)、フランス(3,726.90)、イタリア(3,148/40)を大きく上回る。スウェーデン(3,726.90)の方が感染を制御している。よって、Q. E. D.
以上から明らかなように、老婆の議論はデータ=数値の解釈が杜撰なうえに、事実誤認だらけで、救いようがない。批判する相手を「国際的な教養が欠落」(76)とか、「妄想や憶測で結論」(95)とする資格がない。
老婆の投稿の趣旨は説得ではなかろうが、矯激なメディア糾弾の同志に目にも、103⇒【金切り声の文章に】映るらしい。お仲間の忠告は大事にしたらいい。
なお、スウェーデンはsocial distanceに配慮する以外は、際立った制限措置を講じていないにもかかわらず、他と比較して集団免疫策が原因で現在の数値と見るのは合理性を欠き、政府の感染対策リーダー(Statsepidemiolog)であるテグネル氏(Anders Tegnell)が今回の国王の「失敗」発言で解任される気配もない。「失敗」を言うなら、4月末の段階で示した、集団免疫獲得の見通しが甘かった点だろう。[完]
☆余白に 94末尾の[παράνοια]は「パラノイア」、[Μαίνας]は「マイナス」と読む。前者は妄想性痴呆症(Dementia paranoides)ではなく、「錯乱、狂気」(παρανοεῖν)の状態、後者はテューイアス(θυίας)、バッケー(Βάκχη)ともいい、邪信に取り憑かれた狂女の謂い。
それで比べる、また、スウェーデンの国王が国民に謝ったという事実を重く受け止めていただきたい。
また、スイスのことであるが、Spiegel誌によると、https://www.spiegel.de/politik/ausland/corona-in-der-schweiz-die-menschen-sterben-das-leben-laeuft-munter-weiter-a-f8c315dd-b3ea-4813-a8dc-fcb874618339
現在スイスの新規感染者は、フランスの3倍、ドイツの2倍で、
18分に1人のスイス人がCovid19感染症によって現在亡くなっている、ということである。
きちんと事実を確認して書いているのであって、妄想性痴ほう症なのは、カロリーネではなくて、反時流的古典学徒氏であることを、はっきりさせておきたい。旧会社員さんの親切なアドバイスはアドバイスとして、妄想性痴ほう症、錯乱、狂気、狂信に取り憑かれたなどと、レッテル付けされて、その印象操作の元他のコメントテーターが私の主張を批判しているのに、それに対して、そのような見方もある、と平然とその人の考え方を受け入れる
人はよほど奇特な人だと私は思う。
【人はコロナのみにて死ぬるにあらず①】
❝人はコロナのみにて生きるにあらず❞と何度も主張してきたのですが、最近のコロナ狂騒で、❝人はコロナのみにて死ぬるにあらず❞という言葉が頭の中をめぐりまわっています。
かなり前の書き込みで❝sweep out 現象❞という言葉を使ったように記憶しているのですが、正しくは❝sweep away 現象❞と言ったほうが良いのでしょう。わたしが勝手に創った言葉です。
つまり、❝コロナ❞は、高齢者死亡の多くを運び去っているのではないか、とすれば、正確な❝コロナによる死亡❞はどれくらいと推定できるのか?
数年すれば人口学的推計方法で考察できるのでしょうが、コロナは、待ってくれませんから、…
自分の老い先も見据えての考えなのですが、人が老いていく。体力が衰えていく。近いうちに終わりが来るわけです。その時に、原因が何によって死んだのかと判断できるのか?何らかの疾患を持っていたからか、特別の疾患もなく単なる体力の衰え、老衰なのか?
こんな死の時を待つ高齢者にインフルエンザやコロナウイルス病が降りかかってきたときに、その来るべき死は、何という病因で病死の類分けに入れられるのでしょうか?
❝コロナのみにて死ぬるにあらず❞を考えているのは、最近のインフルエンザについての報告、
❝コロナ対策効果? インフル患者が激減…昨年22万人以上も今年は383人だけ!!❞(スポーツ報知)
❝患者ゼロ、沈黙のインフルエンザ❞(山形新聞) もあったからです。
インフルエンザ報告数がほとんどゼロ❢❢ ということは、インフルエンザによる高齢者死亡とされている病因としての❝インフルエンザウイルス❞は、単なる、死へ至るきっかけか?
公表されているコロナ死亡者数は多い時で
4月5月が 日当たり20~30人でした。
8月9月が 日当たり10~20人です。
現在12月1月は 40~50人位の様子です。
(現状は❝感染蔓延❞であり❝感染爆発❞ではありません。)
8月9月は、高温酷暑による体力、免疫力の低下によるところ大でしょう。では、現在の、冬季低温による体力、免疫力の低下による、高齢者への打撃はいかなるばかりでしょうか? 結構、大きいのかもしれませんね?
医師会長の中川俊夫や東京都医師会長の尾関治夫さんが、しきりに医療崩壊をまねかないように自粛自制、国民の皆様方へお願いしますと言っているのですが?
ドイツや英国のコロナ被災に比べれば数十倍軽くすんでいる日本であるはずなのに、医療崩壊などと叫んでいるのは、❝国民の自粛、自制が足りない❞からではなく、どこか問題が別なところにあるからではないでしょうか?それを、解決しないとコロナ問題は永遠に解決しないのではないでしょうか?
米村教授の原因分析が正しいのであれば、感染症法(略称)や新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正のみならず、医療法の改正を含む日本の医療体制の見直しも必要なのかもしれません。もちろん、患者の受け入れは医療機関の経営にも大きな負担を課すことになるので一定の補償は必要となり財政負担が生じるとは思いますし、感染症の専門的知見が乏しい医療機関への入院をさせることで院内感染のリスクが高くなることも予想されることから、直ちに解決が難しい問題なのかもしれません。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/69ad2d59b74bbc490c31879348c7bc6fe7071da3から抜粋)
「医師でありまた法学者でもある東京大学法科大学院の米村滋人教授は、医療の逼迫を理由に大規模な行動制限措置を導入することには否定的だ。なぜならば、日本の医療逼迫の最大の原因は、日本の医療体制とそれを巡る法制度に問題があるからであり、医療体制が問題を抱えたまま単に行動制限を導入しても、国民に大いなる負担や辛苦を強いる一方で、根本的な問題は何も解決されないからだ。」
「平時には潤沢すぎるほど病床数を抱える日本は、感染症の爆発などが起きた有事には、通常の病床をICUに転換する必要が出てくる。しかし、現在の医療法では都道府県は医療機関に対して病床の転換やICUの設置、感染症患者の受け入れなどをお願いすることしかできない。しかも、日本は欧米と比べると公立の医療機関よりも民間の医療機関が圧倒的に多いため、コロナ患者を受け入れることで従来の患者を失い、結果的に経営が圧迫される可能性がある民間の医療機関は、政府からお願いをされてもコロナ患者を受け入れようとはしない。
結果的に今日本では、強制はされなくても「義侠心や使命感」からコロナ患者の受け入れを決めた一握りの医療機関にコロナ感染者が集中し、そこだけで「医療の逼迫」や「医療崩壊の危機」が起きている。政府に医療機関に対してコロナ感染者の受け入れを強制する法的な権限はなく、また民間や地域レベルでそうした受け入れ病院を調整する仕組みもほとんど存在しないために、方々で通常の病床は沢山空いているのに、コロナ患者が必要とする設備を備えたICUなどは実際に不足しているのだ。」
日下部翁命名の「Carova-20」ウイルスの毒(φάρμακον)が、驢馬並みの憐むべきお頭まで冒しているのだろう。阿呆は死ぬまで治らないから解毒剤(ἀλεξιφάρμακον)などありはしないが、せめて醜態をさらさないためには、齢相応の自制心をもつことだが、堪え性のない激情家(χαλεμός)である単細胞の老婆ならではの激しやすさ(ὀξύης)だ。
解毒剤がなくとも、お仲間のせっかくの忠告(συμβουλή)に耳を傾ければ、毒に冒されたお頭にも多少の分別は残っていそうなものだが、同じ毒でも「気の毒」(τάλας)なもので、それが老婆のありのままの本性(ἡ φύσιςν)であり、お頭が低劣なのもまさに「実力」(δύναμις)だから、誰を恨んでも仕方ない。
まさに、概して(ὡς ἐπὶ τὸ πολύ)、憤激(θυμός)の程度は知性に反比例(ἀντιπεπόνθησις)する譬えの通りの浅ましさだ。
110⇒【反氏のその妄想…Covid19の国際基準は、ジョンズ・ホプキンス大学の資料】云々も何もありはしない。私が表を作成するに当たって参照した数値はJohns Hopkins大学の集計に準拠したもので、12月18日時点での具体的な数値を、おまけに各国の人口まで付記して提示してある。自分でも計算できるのではないか。小学校程度の算数の知識があれば。
問題は、何ぴともアクセス可能な数値や、各局面での高が週刊誌の報道や分析ではなく、数字と得とにらめっこして、現実の結果をもたらしている(ἀπεργάζεσθαι)ものが何なのか、要因を多角的に精査してその結果自ずと帰結する(συμβαίνειν)ものを示す、つまり真の要因を解明するという当たり前の作業が必要なだけだ。
110②⇒【スウェーデンの国王が国民に謝ったという事実】にしろ、政策に何の責任をもたない国王が国民に向けに出したメッセージで政府の対策が変わるならともかく、「亡くなった人には気の毒だった」というだけの話だろう。
スイスについては、直近の感染拡大がどんなに深刻で、それを高が隣国の週刊誌がどう報じようと、トレンドではなく背景も含めて数値自体を仔細に分析しないと何の意味もない。
老婆は立論に際してそうした個別の前提作業を何もせず、金太郎飴のような十年一日の如き愚劣な主張、妄信を流布するだけだ。
老婆が、110③⇒【きちんと事実を確認して書いている】という「事実」なるものも現象の一端にすぎず、他の事実と総合して説得力のある論理を構築しなければ、「こうした事実がある」「Der Spoigelにはこう書いてあった」というだけのお子様論議ににすぎない。
109の「余白に」で、私は⇒《[παράνοια]…は妄想性痴呆症(Dementia paranoides)ではなく…》と書いている。錯乱は議論自体から明らかだが、老婆が「キ印」とは、さすがに軽率には書かない。印象操作の必要もない。自明だからだ。よって、Q. E. D.
「読者」が私に使嗾されてという指摘は、読者自身から寡聞にして聞かない。♡マークが240とか184もつく意味を、「隠れた支持者」と勘違いするおめでたさ=妄想も含め、得と考えたらよい、「虚偽体質」ではないと擁護する人間も「皆無に近い」。
どじですね。
お詫びして訂正します。
今更、おもうに❝Caroba-20❞とは結構ジョークな名づけだったように思えてきました。アペリティフとはいいませんが、愛飲の焼酎を傾けながら反氏の書を読んでいたら、結構なつまみになっています。
人間、お世辞に❝ありがとうございます、お役に立てております❞と言ったら、
❝どういたしまして❞と、意をくんで軽く受け流すことができる人が多いのですが、世の中には、本当に私が言ったことが、したことが、それほど世の中に役立ったのかと妄想、一人合点して❝Ich sprache Das Spiegel.❞とか、わめきちらす人もいるような日本になってきました。
それこそ❝民衆主義日本❞であり❝民主主義❞を知らない人たちのつぶやきでしょう。
(もう、ドイツ語は忘れてしまって、なにせフランス語でしたから。)
米村先生の見解は伺いました。再読しようとしたのですが、コピーがでてきません。
もちろん、医療崩壊は重大な課題なのですが、今度のコロナ問題については、❝感染症専門家の知的衰退❞と、❝国内の医療制度の利権収奪❞というような課題があるような感想をもっています。
「靖国爆破」< は石橋湛山も言っていたのですか!?TVのコメンテータの受け売りだと思っていました。靖国・慰安婦の騒動は、旧会社員さんがおっしゃるように冷戦が終わるころ、朝日新聞が火を付けました。それだけならそれで終わりですが、それに国内に同調者(福島みずほさんなどが代表的人物)が少なからず現れました。それが、「戦後レジーム」によりアメリカの圧力もあり、日本の立場を弱くしたとGは見ています。
これは個人的見解ですが、無症状感染者が、感染を水面下で拡げているなら、接触制限はもとより、一般人をも含む行動制限もやむを得ないと考えます。そしてそれはずっとはできませんから、”医療ひっ迫”が過ぎれば、徐々に解除する(誰もが考えていますかねw)。
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