2020年は大変な年だった。新型コロナの影響が世界の隅々にまで及んで、複合的な効果を引き起こした。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78867
日本も感染拡大の真っただ中で2020年に終える。「第三波」の拡大が横ばいになった後、12月に入って拡大基調に入り、クリスマスのあたりの時期が出ているだろう現在、拡大の勢いはかえって増している。
(筆者作成:7日間移動平均の週単位の増加比の推移)
12月23日に「『勝負の3週間』敗北の今、菅首相がコロナ対策でやるべき『たった一つのこと』」という題名の記事を出させてもらった。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78626 ここで私が言っている「たった一つのこと」とは、菅首相が、尾身茂・分科会会長や押谷仁・東北大学教授らとよく話し合ったうえで、国民の前に尾身会長と並び立って現れて、政策を説明するべきだ、ということだった。
すると25日夕方に、菅首相と尾身会長が並び立って記者会見をする光景が立ち現れた。良かったと思う。今の日本に、尾身会長や押谷教授を上回る助言者はいない。もちろん彼らにしても、一夜にして新型コロナを撲滅させる術を知っているわけではない。だが、だからこそWHOでSARS対応等の経験を持つ稀有な専門家たちをよく信頼して、政策を進めるべきだし、その姿を国民に見せるべきだ。
いずれにせよ、アメリカのような二極分化した社会構造の悪化に警戒をしたい。「生命か経済か」の煽り系の二者択一を避けて困難に立ち向かう姿を見せるために、菅首相が尾身会長と並び立つことが必要だった。
冷戦終焉から30年、21世紀の対テロ戦争の時代に入って約20年、アラブの春から10年、歴史の節目が、新型コロナによって劇的にいっそう明らかにされた、という気がする。
2020年に積み重なった様々な負荷は、来年以降にさらにいっそう顕在化してくるのではないか。
脆弱国家はいっそう脆弱になり、飢餓や暴力がさらに広がりそうだ。民主主義国家の数は減り始めて、権威主義国家の暗躍が進展しているが、この傾向はまだ続くのではないか。米国の力の減退はさらにいっそう顕著になり、中国の超大国としての影響力は高まり続けるだろう。2020年代のうちに中国はGDP世界一位になるし、その後すぐにインドが日本を抜いてGDP世界三位になる日が訪れる。
この現実を前にして、左派勢力と共に、「政治家は中国を見習って早く新型コロナを撲滅させろ!」と叫んだり、右派勢力と共に「政治家は早く日本を大国化させて中国をやっつけろ!」と叫んだりしても、焦燥感が募るばかりだ。
冷戦が終焉したとき、「自由主義の勝利」が謳われた。その物語を満喫したアメリカ人たちは、イデオロギー的な自由主義の経済論を盲目的に信じ、富裕層をいっそう富ませ、貧困層をいっそう貧しくした。また、イデオロギー的な自由主義の政治論を盲目的に信じ、リベラル層のポリコレ自由主義と、保守層の宗教的自由主義の思想的断絶を、かつてないほど深めた。
しかし2001年9・11テロ事件から世界的規模で広がった「対テロ戦争」は、国際社会における「自由主義の勝利」の物語を蝕んでいった。
2010年末に始まった「アラブの春」以降の各地の混乱を目の前にして、「自由主義の勝利」などを口にする勇気のある者は、国際社会の表舞台では、もうほとんど見られなくなった。
そして2020年新型コロナ危機は、自由主義を標榜していた欧米諸国に残っていた自信を完膚なきまでに打ち砕いた。
穏健なアジアの自由民主主義国として地味だが堅実な新型コロナ対策をとっていた日本も、「生命か経済か」の煽り系の言説の中で、左派と右派に、親中派と反中派に、分裂を続け、国力の停滞をさらにいっそう加速させていきそうである。
こうした状況で、真の意味での議論は、難しい。SNSでは、「科学的なのは俺たち」「真面目なのは俺たち」といった立ち位置で、相互に軽蔑の言葉をぶつけ合う固定的な集団間の争いだけが過熱している。
こうした時代状況の中で、2021年以降の世界を、どうやって生きていくことができるのか。日本の国際社会における立ち位置を、どうやって考えていけばいいのか。
決して華やかでも、心地よいわけでもない閉塞的な状況の中で、あらためて問い直していかなければならない。
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ここまで書いた時点で、既に老婆のお子様論議の誤謬は見えてきたと思うが、退屈を我慢してもらって、以下に続ける。
それによれば、カリフォルニアの人口はニューヨークの2.04倍で、11日現在のカリフォルニアの死者数29,701人は、ニューヨークの14,599人に相当する。しかるにニューヨークの死者数は39,441人は、死亡率としてカリフォルニアの2.70倍、つまり3倍近いことになる。
人口10人当たりの感染者数、死者数はカリフォルニアがそれぞれ、6,759.84人、75.17人、ニューヨークはそれぞれ、5,896.13人、203.53人、つまり単位人口当たりの比較では、両州とも感染率に大差はないが(カ州はニ州の1.15倍)、死亡率はニューヨークはカリフォルニアの2.70倍という顕著な格差があるということだ。
これによって、老婆の莫迦話は成立せず、誤謬であることは明らかだ。よって、Q. E. D.
全米の感染マップを見れば明らかなように、寒冷地での感染率の高さは一目瞭然で、カナダと国境を接するノースダコダが最も高い(10万人14,099.20人)。南に接するサウスダコダ(同12,689.82人)がそれに次ぐ。しかし、死亡率はノースD=同201.01人、サウスD=同194.67人と、高いがニューヨーク並み(同203.53人)だ。
363⇒【日下部教授も反氏も、アメリカ社会の現実を全くみておられない】は、まさに天に唾する妄言で、狂信家の老婆こそ、米国の特定の数値をつまみ食いして詐術的な議論をするならまだ知的には取柄もあるが、全くデータが読めない莫迦さ加減を露呈している。
半可通のお子様論議しかできない老婆は人間性にも問題を抱えているが、ドイツ語は理解できても、それ以外は標準以下の低能なのである。
363の後半部分を占める篠田さんの本文の性懲りもないコピペによる嵩増しと、トランプ政権誕生の背景に少しも理解が及ばない小学生並みの米国政治分析は、相手にしても仕方がない。阿呆ほど饒舌の典型例だ。364にも、その語調の変化から、明らかに他者の議論の盗用=剽窃と思しき、引証の明示のない文章が混在する。
365②⇒【どうして、日下部教授、反氏を含めてマスコミに登場する専門家は、客観的な国際比較をし、事実に基づいた主張ではなく、妄想】の辺りになると、もはや、莫迦の一つ覚えの「客観的な国際比較」が、老婆の口から出るたび、途方もない冗談であることがよく分かる。
老婆は、愚鈍な人間の常として、自分の論じていることを自分で理解していないことは、改めて指摘するまでもない。
決定的なのは、372⇒【日本のマスコミ界は、トランプびいきが多過ぎる】だ。老婆の特有の莫迦話で、そうした事実は存在しないのは明白だ。メディアの主潮流である、トランプ氏のTwitterを批判的に取り上げること自体が、どうやら「トランプびいき」になるらしい。テレビばかり観ている割には、こうまで受け取り方が偏頗なのは、老婆の側に問題があるのは明らかだ。
国内メディアを批判する観点から、国内メディアがトランプ氏に批判的では都合悪いのだろうが、二重基準にも値しない錯覚で、事実と評価の区別を超越する狂信家の面目躍如だ。
なお、12日午後9時50分現在の米国の感染者は23,143,197人で、死者者385,249人、致死率1.665%、10万人当たりの感染数は7,033.02人、同死者数は117.07人である。
州ごとの内訳は11日現在で以下の通り(アルファベット順)。眺めていると、いろいろ見えてくる。
アラバマ401,900→5,334▼アラスカ48,624→223▼アリゾナ618,546→10,141▼カリフォルニア2,670,962→29,701▼コロラド361,148→5,208▼コネチカット205,994→6,324▼デラウェア65,273→972▼フロリダ1,450,620→22,912▼ジョージア757,045→11,458▼ハワイ22,778→306▼アイダホ149,667→1,534▼イリノイ1,028,750→19,293▼インディアナ563,653→8,985▼アイオワ296,480→4,138▼カンザス242,322→3,148▼ケンタッキー303,625→2,901▼ルイジアナ346,829→7,873▼メイン29,611→438▼メリーランド309,686→6,301▼マサチューセッツ423,225→13,083▼ミシガン562,553→14,145▼ミネソタ436,572→5,775▼ミシシッピー240,309→5,186▼ミズーリ423,327→5,948▼モンタナ86,324→1,056▼ネブラスカ176,026→1,760▼ネバダ248,568→3,476▼ニューハンプシャー51,600→869▼ニュージャージー584,828→19,886▼ニューメキシコ1,142,559→39,441▼ニューヨーク1,142,559→39,441▼ノースカロライナ623,188→7,567▼ノースダコダ94,830→1,352▼オハイオ777,065→9,627▼オクラホマ340,732→2,784▼オレゴン125,683→1,605▼ペンシルヴェニア720,816→17,770▼ロードアイランド97,614→1,916]▼サウスカロライナ354,525→5,811▼サウスダコダ103,318→1,585▼テネシー653,869→7,785▼テキサス1,954,406→29,877▼ユタ305,999→1,392▼ヴァーモント8,967→156▼ヴァージニア403,386→5,393▼ワシントン274,673→3,699▼ウェストヴァージニア101,212→1,582▼ウィスコンシン550,260→5,570▼ワイオミング46,832→489▼ワシントンD.C.→31,791→817▼プエルトリコ83,468→1,642▼米領サモア3→0▼北マリアナ諸島125→2▼米領ヴァージン諸島2,153→24▼グアム7,399→124[完]
CDCによれば2019年から2020年に3800万人がインフルエンザに感染し、1800万人が診察、うち40万人が入院、2万2000人が死亡。
一方、コロナの死者は38万人。インフルエンザ死者の多いときで5万人くらいだから、コロナは10倍近くの死者数のようだ。
今後解明されるかもしれないが、やはり日本などの死者数は獲得免疫により抑えられていると考えたくなってくる。
わたしは、まだ日本人の場合、コロナがどこらへんで受け付けられていないか?
自然免疫? 獲得免疫?
これら以前の腸管未発見免疫? かわからないのですが?
なにか判断根拠ありますか?
あれば、教えてください。
ここら辺が、かなりはっきりしないと安心してワクチンなんか打てないように思っています。
少しは、尾身ー押谷教授の功績も認めてあげなくては、中傷と批判の元ばかりでは、彼らがかわいそうである。国際社会の専門家の間では、功績が認められているのにもかかわらず。どうして同じ日本人なのに、彼らの功績をまるで評価してあげないのだろう?
本欄に巣食う狂信家の相手というか、あしらいは皆で分担し、本欄が「愚者の楽園」にならぬよう、相互に刺激し合いながら、もたれ合ったり徒党を組んで自由な思考を萎縮させななければよいわけで、私の場合も、日下部氏の退出は淋しくなると感じていたいので、今後も、京大農学部時代の恩師である内田俊郎先生直伝の「生物学的直観」を披瀝してほしいものだ。そう言えば、時に「あの莫迦が」とくさすテレビ朝日の玉川徹氏は、翁の後輩にあたる。
以前の書き込みから教養部でフランス語を教えていた大橋保夫氏を囲んでレヴィ・ストロースの『野生の思考』(“pensée sauvage”, 1962)の読書会に参加されていた由、何となく懐かしい思いをさせられる挿話だ。大橋氏による『野生の思考』の邦訳出版は1976年だから、1950年生まれの日下部翁の院生時代かもしれない。
私は1956年生まれで6歳年少だが、偶々『京大史記』(1988年)を繰っていたら、内田俊郎氏の「進々堂のこと」と題する懐古談を見つけた。
進々堂は京大近く、百萬遍交差点からすぐの今出川通に南面する著名なカフェで、日下部翁も出入りしたかもしれない。内田氏はそこでの思い出を綴っている。
「理学部数学の山口(昌哉=筆者註)先生がお書きになった『カオスとフラクタル』(1986年=同)…大変光栄なことですがぼくが大学院時代にやったマメゾウムシの仕事、それを数学的に肉づけして下さった阪大名誉教授の藤田先生……との仕事をその過程の原点において下さっているのです」(513頁)
私は理工書の出版も手掛ける近所の古書肆「吉岡書店」を訪ねた際に時折寄った。短辺1メートル余、長辺3メートルはある大テーブルが代名詞のような店だった。
山口氏は、一定の規則に従って時間軸とともに状態が変化するシステム(系)を数学的に記述する数学の一分野である力学系の「カオス・フラクタル」研究の先駆的存在で、内田氏が戦前から開始した昆虫の実験個体群に関する生態学的研究はその恰好のモデルなのだから、響き合うところがあるわけだ。
内田氏の著書に『動物個体群生態学』(1975年)がある。以前、日下部翁が本欄に登場した当初、「8割おじさん」の西浦博氏を評して「population dynamics(個体群動態学)学者を気取りおって」という趣旨の書き込みをしていたことを思い出す。
懐古談は「進々堂のあの大きな机に象徴されるような空気がもっとこの京大の中に一杯にみなぎることが、創意性の高い独自な研究を発展させる為に必要なのではないでしょうか。」と結ぶ。いい時代だったのだろう。金などなかったが。
私が京都で日下部翁とすれ違うことがあったか否かは確認しようもないが、昨年3月に寄った吉岡書店もすっかり様変わりし、行きつけだった河原町今出川の古書肆も店を閉じていた。進々堂に至っては、通りすぎても気づかないありさま。
「されど去年の雪、いま何処」(‘Mais où sont les neiges d’antan ?’)の心境だ。
反氏さまの語りを伺って、涙が出てきてたまりません。
フラクタルの発端となった Li and York の論文で引かれていたのは恩師内田俊郎のアズキゾウムシの論文でした。
評価していただいたのは山口昌哉さんくらいだったのではないでしょうか。
英国のRM.May が出てきたのはそのあと亡くなったR.MacArthurのあとで、理論免疫学の基礎になるところなんですが、理論が発展するのはいいのですが、基礎となる生物学の理解をできないでは元もこうもありませんよね。
それが、今の状況のように思えます。
なんども懲りないバカだ❢❢❢
理論予測を提出する前に、
今までの理論予測自己批判をしなさい❢❢❢
生物理論モデルの汚点になる❢❢❢
「およそ集団行動は、学生、生徒等の遠足、修学旅行等および、冠婚葬祭等の行事をのぞいては、通常一般大衆に訴えんとする、政治、経済、労働、世界観等に関する何等かの思想、主張、感情等の表現を内包するものである。この点において集団行動には、表現の自由として憲法によつて保障さるべき要素が存在することはもちろんである。ところでかような集団行動による思想等の表現は、単なる言論、出版等によるものとはことなつて、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によつてきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合に平穏静粛な集団であつても、時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躪し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群集心理の法則と現実の経験に徴して明らかである。」
「従つて地方公共団体が、純粋な意味における表現といえる出版等についての事前規制である検閲が憲法二一条二項によつて禁止されているにかかわらず、集団行動による表現の自由に関するかぎり、いわゆる「公安条例」を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない次第である。」
387日下部先生→理論予測を提出する前に、今までの理論予測自己批判をしなさい< について、同じ京都大学(教授)の依田高典さん(経済学)の二つのツイートを紹介しておきます(玉井克哉さんのリツイートから見つけました)
→僕の学者感覚ではあの程度のグラフは「エビデンス」以前の試算程度。西浦先生はとても優しく真摯な方だろうことは想像に難くなく、僕も早く学内の合同研究会でお会いしたいけれど、今はトリックスターに祭り上げられているのでお気の毒である。---その上でシンプルなSIRモデルあるいはその拡張は基本的に感染拡大のごく初期の指数関数的爆発を断片的に捉えるだけのものなので、あまり長期投影に使わない方が良いのではないか。当った例しがない。すぐに基本的パラメーターが変化する。具体的には言えば恐怖ややる気のような人間の心理変数だ< (引用終り)https://twitter.com/takanoriida/status/1346577154922823680
Gの直感的な感想→天気予報と同じで信頼性があるのは直近未来(数日後)までで、長期予報は誤差の範囲が大きくて当てにならない< のような感じでしょうか。ーーー反さんなどが京都大学を掲げています。Gはぜんぜん京大関連しませんが、著作は読んだことありますよ。湯川秀樹、上山春平、梅棹 忠夫ですかね(この3先生わかりやすい)。あと歴史好きだったので、世界の名著トインビー(中公バックス)を古本屋で買って読みましたw
それに先立つ戦時下の18年に助手になって徴兵は免れたろうし、新制京大が発足する前年の23年に教授に昇格したのは35歳だ。一般に文科系諸学科に比べて理工農学系は早いが、明治35年(1902)生まれ田中美知太郎が、公職、教職追放で「壊滅状態」の京大哲学科に古代哲学講座の主宰者として招聘されたのは22年、教授就任は25年の48歳だから、随分違う。
もっとも、田中は内田氏と違って大正15年(1926)専科修了で学士ではないから、しかも就職難の時代に法政大講師、東京文理科大講師として、京大哲学科出身者としては、その学識は群を抜いていたが傍流に位置していたから、敗戦に伴う激動(公職、教職追放)がなければ、母校の教壇に立つことはなかったろう。20年5月の東京空襲で大火傷を負って死線を彷徨ったことも含め、人の運命は分からないものだ。
私の恩師である藤澤令夫は大正14年(1925)生まれ、旧制三高を戦時下の特例で1年短縮して18年に2年で卒業すると同時に応召、海軍予備学生として旅順に向かうのは卒業の翌4月だ(兵役のまま、京大哲学科入学)。戦後復学し、38年に母校の助教授となり、教授に昇格するのは昭和44年(1969)で44歳。ちょうど、日下部翁が入学する直前だろう。
1970年大阪万博の前年のこの年、京大も年初から三派全学連によって学園紛争という名の「動乱」の時代が始まる。当時の記録だと、全国115大学に拡大した。京大も半年以上にわたって大学本部、教官室が封鎖された。藤澤も学生部員として渦中にあった。
☆訂正 379の▼ニュージャージー156,157→2,749に。
私の知人で、早稲田大政経学部を卒えてパリ大学に留学し、その後に請われて地方文化施設の芸術監督に就任した人物に当時を尋ねると、角材で「教師を撫でてやった」とポツリ。けっして過激なゲバルト学生という人物ではない。そういう時代だったのだろう。
日下部翁も同じ時代の空気を吸っており、政府のコロナ対策をめぐってデモ一つあるわけでもない、従順で覇気がない日本人をどうみるのだろうか。むろん、新疆ウイグル自治区や香港で起きている中国当局の人権弾圧や民主派抑圧への抗議活動さえない。
米国国会議事堂を襲ったトランプ大統領支持者の暴挙を「民主主義への脅威危機」と、米国政界、メディアに限らず、西欧各国の指導者も口を揃えて非難する。テレビ中継つきの「ご乱行」だ。
共和党支持者の68%は「脅威とは思わない」とし、「そう思う」が93%を占める民主党支持者と分かれる(7日、ユーガブ世論調査)。
米議会下院は「議会襲撃を煽動した」大統領の弾劾を求める訴追決議案の審議に入った。ペンス副大統領が職務停止要求を拒否したからだ。
トランプ氏が運営者によってTwitterを永久停止されたことを、トランプ氏に批判的なメルケル独首相が「表現の自由への介入は法律や議会が定めた枠組みの中で許される」として、一方的な措置を懸念視する談話を政府報道官を通じて公表した。
脆弱な民主制の危機や脅威の真の原因は別にある。メルケル氏を見直した。
今後とも、日下部翁の直言と蛮勇を期待したい。
★訂正の訂正 391は▼ニューメキシコ156,157→2,749に。
日本のマスコミは、「表現の自由」を主張する日本の左翼系の学者の影響もあるのだろう、メルケル氏のトランプ氏をかばうあの発言だけを、切り取って繰り返し使うが、ドイツでは、あのメルケル発言は、ほとんど報道されていない。
Donald Trump verdient keine Milde
Ein Kommentar von Roland Nelles, Washington
Sturm auf US-Kapitol: Donald Trump verdient beim Amtsenthebungsverfahren keine Milde - DER SPIEGEL
トUS議事堂への乱入、ドナルド・トランプ氏は弾劾裁判で寛容に値しない、というワシントンからのRoland Nelles氏の解説記事の中で、彼は書いている。トランプ氏は、単純に悪い人である、多くの嘘をばらまき、ごまかし、有権者をプロパガンダで操作した。もし、米国憲法に厳格な権力分離、多くの米国の民主主義を守る毅然とした戦士がいなければ、トランプ氏は、彼の意志と彼の支援者にだけに通用する、ネオファシズムの国を作り上げたであろう、と結論づけているが、そのような政治体制になってしまったのが、戦前のドイツと日本なのである。あの時も、日本人が当時のマスコミの主張を信じたから、そうなってしまったのであるが、岸政権の時の安保報道も、現在のコロナ報道も同じ現象を感じる。日本の場合は、与党の政治家ではなくて、野党の政治家と反政権の学者とマスコミ、要するに民主主義の日本国憲法上、権力を日本国民が付与していない人々が、権力者の「不信を煽る嘘」をばらまいて、日本国民を不幸にしている。
本来、政治家の仕事、というのは、学者と違って、思ってもいないことが起こった時に、どう的確な対処ができるか、が大事である。阪神大震災が起こった時のメーカーの工場長であった義父の判断も信頼できたし、「サリン事件」が起こった時の、聖路加病院の院長日野原重明さんの的確な判断で、サリン犠牲者が減った。それにひきかえ、京大哲学科卒の研究者の父は全くだめだった。
日本国憲法には厳格な権力分離がなく、多くの「日本の民主主義を守る毅然とした戦士」はいないのだろうか。民主主義とは、「表現の自由」、「多くの嘘、プロパガンダ放送」を無条件に認めることなのだろうか?反氏も、日本のマスコミ界で身に着けた手法、誹謗、中傷するプロパガンダのレッテルをカロリーネに貼り続けるのをやめていただきたい。嘘が真実になってしまう。大事なのは、「真理愛」である。Capitol Hillのトランプ大統領を弾劾しているアメリカの上院議員たちも、その重要性を語っている。
記者:世界一ベッドがある日本が、アメリカの100分の1程度の感染者数で、緊急事態なのは医療資源の分配を政治がキチンとやってないのでは?
菅首相:国民皆保険は・・・< (紹介ここまで)
ウーン! 菅首相、質問の意味がわかっているのか!?わかっていてあさっての回答をしているのか!?
以前、米村医師など他の方も指摘しています(G→298投稿)。反さんが301で→日本の医療体制をめぐる構造的問題は、平時に既に常態化していたと言える< とまとめています。いかりやチョーさんじゃないけど日本の政治、ダメだこりゃ!です。
ただ、インフルエンザ菌のことでもよくわかるように、それがそれほどたいしたことなのか?内容の真偽に100パーセントかかわることなのか、テストで不正解なときの減点の規則を考えて見ればいい。
病院のベッド数が多くてもにほんの場合緊急事態宣言になるのは、日本人が几帳面な国民性をもっているからである。政府解釈氏もある意味日本人の典型、外国人は文法や
言葉の些細なミスをもろともせずどんどん話し、会話を上達させてゆく。日本の場合。まず、院内感染を起こさないこと、を優先するから、コロナ患者を欧米のように無神経に数多く受け入れられないのではないのだろうか?
なぜ、2類感染症の枠からはずせないのかと考えていたのですが、要するに日本医師会が強力に反対しているのではないでしょうか。
だから、会長の
中川俊夫さんが、必死になって、❝医療崩壊❞から❝医療壊滅❞ですと、訴えているのでしょう。
コロナを2割の病院しか対応できないとして、それがつぶれても、8割は残るのだから、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
おおくの飲食店、旅館、ホテルが潰れていってるのですから。
ようするに、
コロナは感染爆発はしていないのですから、原因は
日本医師会に潜む、訳のわからない医療体制で、それを解決しない限り
コロナ騒動はおさまらないでしょう。
阿呆だから調子に乗って、393⇒【今、MSNBCによるLiveのトランプ大統領に対する上院における弾劾裁判の討論】と来た。新聞やテレビでしか、トランプ大統領の「一部の熱狂的支持者」による連邦議会議事堂襲撃で揺れる米国政局を知らなくとも、動向に関心をもつ者なら、「!?!?!?!?」という、老婆ならではの莫迦話だ。
老婆は大統領の弾劾訴追が、どのような手続きを経て行われるか、全く理解していないことが歴然としている。
国論の分裂をさらに加速させることになっても、次期大統領ポストに加え、上下両院で多数派、所謂「トリプル・ブルー」を確保して攻勢に出る野党民主党が、今後の展望を自派に有利に運ぶため、現政権の閣僚や共和党内部にも広がりつつあるトランプ離れ、トランプ氏への拒絶感情も計算に入れて、その政治的影響力に決定的なダメージを与えようと目論み、弾劾訴追に踏み切った。
それに先立って、ペロシ下院議長(the Speaker of the House)がペンス副大統領に対して、連邦憲法修正25条4項に基づき、副大統領と閣僚の過半数が「大統領の執務執行が不可能」とみて議会に通告すれば、大統領の「職務執行停止」が可能となる事項の発動を求めたのをペンス氏が拒否したから、憲法上の手続きに則って、最初のステップである下院の決議案審議に入ったのが、老婆が挙げた討論の内容だ。
いくら無知な老婆でも、米国議会が下院(the Lower House→the House of Representatives)と上院(the Upper House→the Snate)によって構成されていることは知っていよう。しかし、下院の訴追決議可決を受けて始まる「弾劾裁判」が、副大統領が議長を務める上院で出席議員の三分の二の賛成を得なければ有罪に辿りつかないことは、老婆以外には「常識」の部類に属する。
最高/最低 感染者数
月日 陽性率 気温 報告日別 判明日別陽性
12月1日 6.4% 14.9/5.6 370 459
2日 6.4% 10.2/7.6 500 445
3日 6.3% 10.6/6.7 532 409
4日 6.2% 13.9/5.5 449 462
5日 6.1% 7.7/4.4 583 293
6日 6.0% 13.5/4.4 327 141
7日 6.0% 16.1/4.7 299 347
8日 6.1% 17.2/5.8 351 496
9日 6.1% 12.2/8.8 572 463
10日 6.2% 12.2/6.9 600 492
11日 6.3% 14.4/5.3 595 480
12日 6.4% 15.0/8.3 620 372
13日 6.4% 15.4/6.7 480 192
14日 6.6% 13.1/5.5 305 427
15日 6.6% 11.3/2.0 457 573
16日 6.7% 9.6/0.5 678 568
17日 6.8% 9.4/-0.1 821 589
18日 7.0% 11.6/0.5 664 626
19日 7.1% 9.4/2.2 736 460
20日 7.1% 9.4/-0.6 556 232
21日 7.2% 11.2/0.1 392 525
22日 7.3% 11.7/0.5 563 664
23日 7.5% 14.1/1.2 748 716
24日 7.8% 12.9/2.6 888 788
25日 8.1% 14.0/4.7 884 708
26日 8.3% 11.8/1.5 949 614
27日 8.4% 12.7/3.4 708 338
28日 8.8% 13.5/6.5 481 665
29日 9.3% 13.1/4.3 856 793
30日 10.0% 12.3/5.4 944 873
31日 10.5% 7.6/0.8 1337 521
「下院を」を「上院」と間違えた時点で既に致命的だが、上院ではないのに「弾劾裁判」とした時点で、100%内容にかかわる、途方もない間違いであることは自明だ。
本日最初の投稿393が05:02だから、起き抜けから鶏冠に血が上って、英語のヒアリングはお手の物のはずの老婆は、下院を上院と取り違えるほど錯乱している。ニューヨーク在住の老婆の親友も、老婆並みの阿呆なのだろう。
驢馬並みの、知性とも呼べない、お頭に蜘蛛の巣が張った婆さんだから、それを回避するための世間並みの常識もないからなおさらのこと、ひっきりなしに間違え、醜態をさらす。反省も後悔もしないから、狂信家という。何んとかの「巫女」だから、神懸かり(ἐνθυσιασμός)でトチ狂っているのだろう。
それを、言うに事欠いて、401⇒【上院と下院をかきまちがえ…ただ…それがそれほどたいしたことなのか? 内容の真偽に100パーセントかかわることなのか】――以上指摘した通り、類がない「大した」間違いで、「内容の真偽」以前の問題だ。
それをごまかすために、見え透いた作法で事実を矮小化するが無駄だ。何度繰り返されたか分からない悪癖を「虚偽体質」と呼ぶ所以だ。
周知の通り、老婆は無知で頭も悪い出来損ないで、何より性根が腐っている。しかも、莫迦丸出しで、臆面もなく醜態を重ね、減らず口が絶えないから「狂人並み」の扱いしか受けない。迂闊に相手にすると、「莫迦の素」である「Carove-20」(「Carova-20」の変異株)に移るからだ。
以上は衆人環視(「衆人監視」に基づく私の造語)だから、本欄読者は、誰でも疾うに知っている。
それにしても、阿呆のエネルギーは狂気だから底知れない。午後になっても、猛り狂っている(403)。
☆訂正 391の専科修了→選科修了の誤り。
1月1日 11.4% 10.5/-1.3 783 577
2日 12.0% 10.8/0.1 814 529
3日 12.6% 8.4/-0.4 816 651
4日 13.5% 11.4/1.3 884 1091
5日 13.9% 10.0/2.5 1278 1481
6日 14.5% 6.8/3.9 1591 1752
7日 14.6% 12.7/2.0 2447 1676
8日 14.4% 6.5/-1.5 2392 1125
9日 14.2% 8.4/-1.5 2268 947
10日 14.1% 8.1/-2.4 1494 647
11日 14.1% 6.5/-1.3 1219 540
12日 14.2% 5.7/0.9 970 1029
13日 - % 12.5/-0.5 1433 -
14日 - % - 1502 -
【コロナ温度感受性】
気温とコロナ感染者発表数とのデータを整理してみました。
3列目が東京都の最高/最低温度を示しています。
11月の最高指定気温はほぼ、20-15/10 位です。
12月に入ると、5度くらい下がって、15/5くらいになります。
12月中旬、15日頃から寒波襲来で、 10/0になっています。
10度から下がり出すと、免疫力、体力にかなり負荷がかかってくるのかもしれません。それと、外出がおっくうになって、こもりストレスがかかってくるのかもしれません。おそらく、この2週間後頃、ちょうど年末位からの感染者増加に寄与しているのかもしれません。
25日から30日くらいは最低気温が5度くらい上がっていますので、年末の用意の外出行動をあおったかもしれません。
でも、見ていると、何となく寒波の峠を越えたように見えてきます。
今日は、福岡も室内暖房が不用なほどの陽気になりました。週末にはまた小寒波が来るようですが、なんとか乗り切れるよう、神様に祈りましょう。
まちがえても、❝感染爆発❞ではありません❢❢❢
陽気につられ、寄生娘の誕生日なので、現役労働者への敬意を表して、いくらか晩飯の食材をさがしに街に出てきました。
本当に、あたたかくなりました。寒さの峠は、たしかに超えたように感じています。
まだまだ、北極圏成層圏の雷神様が怒り出す可能性もありますが、やれやれという、一息つけるでしょう。
何度も言っているように、届け出日感染者数と発生日別感染者数の乖離が大きいのですが、グーグルAIや西浦モデルは届け出日感染者数を使っているでしょうからあてにならないのはあたりまえでしょう。
しかも、ヒトの動きなどは配慮するかもしれませんが、寒波に伴う人の免疫力の低下、高揚などはモデルに入ってないでしょうから、モデル遊び以上にはなりません。
毎日報道される感染者数は、届け出日別感染者数なのですが、通常、木曜日が最も多く、木、金、土と下がってきます。
先週の木曜日7日がかつて最多の2447人でしたが、今日、14日木曜日の数は先ほど1502人と報道されました。楽観はまだまだできませんが、そろそろ❝PCR検査爆発❞ も、その勢いを失ってきたと言えるのでしょう。
菅総理の首も、皮一枚でつながるかもしれませんね。よかったよかった。
「人は自分自身を知らなければならない。それがたとえ真理を見いだすのに役立たないとしても。すくなくとも自分の生活を律するには役立つ。そして、これ以上正当なことはない。」(‘Il faut se connaître soi-même: quand cela ne servirait pas à trouver le vrai, cela au moins sert à régler sa vie, et il n’y a rien de plus juste.’; “Pensées”, Frag. 66)
パスカルのような天才は、人間としての成熟と年齢は関係ないが、凡夫、匹夫でも齢を重ねることで人並みの分別は身につくはずなのに、例外も少なくない。狂信家の老婆はその見本だ。
395⇒【憲法上、権力を日本国民が付与していない人々が、権力者の「不信を煽る嘘」をばらまいて、日本国民を不幸に】――「犬呆」(ケンポ)だから避けられない。老婆よりよほど分別を具えた世の善男善女の心配をする前に、得と自らの莫迦さ加減を見つめ直したらよさそうなものなのだが、それが妄執ゆえにどうしてもできないから狂信の虜(δοῦλος)となる。
老婆のような人間は、日本語の真っ当な読解も覚束ないようにギリシア語で言葉を意味するロゴス(λόγος)、理(ことわり)にも背くようになる。言葉の乱れは、道理の乱れに直結する所以だ。
ヘラクレイトスに「目をさましてゐる人々には、ひとつの共通な世界がある、しかし彼等が眠る時には、その共通な世界を離れて、めいめい自分だけの世界に向ふ」(田中美知太郎旧訳、『希臘人の智慧』178頁=‘φησι τοῖς ἐγρηγορόσιν ἕνα καὶ κοινὸν κόσμον εἶναι, τῶν δὲ κοιμωμένων ἕκαστον εἰς ἴδιον ἀποστρέφεσθαι.’; Frag. 89, Diels-Kranz, Bd. I, S. 171)とあるが、この「共通の世界」(κοινὸν κόσμον)、言葉=ロゴスに終始背を向けるのが、狂信家の老婆なのである。
同じヘラクレイトスに「ロゴスは共通のものとして存在してゐるのに、多數の人々の生活は、あたかもめいめい自分だけの了見しかもたないのかのやうである」(同179頁=‘τοῦ λόγου δ᾽ ἐόντος ξυνοῦ ζώουσιν οἱ πολλοὶ ὡς ἱδίαν ἔχοντες φρόνησιν.’; Frag. 2, ibid., Bd. I, S. 150)ともある。
自分だけの世界とは、例えば眠っている状態であり、老婆のように日本語の通常の意味、用法を逸脱した状態、狂信に取り憑かれているような状態を指す。当人がどんなに真面目で切実で深刻であっても、周囲の共通の世界から見れば、その言辞が夢幻のように他愛ないか迷蒙でしかない場合がある。
偏狭な想念に基づいて「現実的」であること強調し、真顔で訴えているようで内容は唐人の戯言、夢見る人のうわ言のような言説がある。時には狂気じみた持説への拘泥がある。文字通り、ロゴスが眠っている。その意味で狂気に接しているようなことに等しい。
「自分だけの了見」(ἱδίαν ἔχοντες φρόνησιν)は、つまり無思慮(ἀφροσύνη)、ひいては理性=ロゴスの眠りを通じて狂気に向かう。
それは「無智な人々を眠れる人々に擬してゐる」(田中「死すべきもの」、前掲載書179頁)。つまり、常軌を逸した(οὐκ ἀκόσμως)老婆の莫迦話は、夢遊病者のうわ言と択ぶところはないわけだ。
未明の闇の中で狂った犬のように吠え始める老婆のような人間は、「晝の共通な世界も夜の自分だけの世界もないといふやうな」(同)狂信に生きていることを髣髴とさせる。
間もなく治療のため入院を控えた人間が、正月早々これほど、夜も昼もなく頑迷固陋な思い込みゆえの狂信に暴走する。狂信家には正月も何もないのだろう。
『イーリアス』の冒頭は、憤りを訴える言葉で始まる。
「怒りを歌え、女神よ、ぺーレウスの子アキレウスの、/おぞましいその怒りこそ、数限りない苦しみをアカイア人らにかつは与え、/また多勢の勇士らが雄々しき魂を冥王が府へと/送り越しつ、その骸をば犬どもやあらゆる鷙鳥のたぐいの/餌食としたもの、その間にもゼウスの神慮は遂げられていった、/まったく最初に争いはじめて武夫らの君アガメムノーンと/勇ましいアキレウスとが仲たがいしてこのかた。」(呉茂一訳、岩波文庫、上巻=‘Μῆνιν ἄειδε, θεά, Πηληϊάδεω Ἀχιλῆος / οὐλομένην, ἣ μυρί’ Ἀχαιοῖς ἄλγε’ ἔθηκε, / πολλὰς δ’ ἰφθίμους ψυχὰς Ἄϊδι προΐαψεν / ἡρώων, αὐτοὺς δὲ ἑλώρια τεῦχε κύνεσσιν / οἰωνοῖσί τε πᾶσι• Διὸς δ’ ἐτελείετο βουλή• / ἐξ οὗ δὴ τὰ πρῶτα διαστήτην ἐρίσαντε / Ἀτρεΐδης τε ἄναξ ἀνδρῶν καὶ δῖος Ἀχιλλεύς.’; Iriadis I, 1~7, Homeri Opera, Tom. I, p. 1)
とてもホメーロスのようなわけにはいかないが、老婆も偏狭な「精神の幼児」なりに、子供騙しの綺麗ごと、信仰を語る。しかし、巫女だから、Weizsäckerなりゲーテなり、時には篠田説の口真似なり、粗雑なお頭を満たした言辞、狂熱をもって回ることによって、結局、支離滅裂な戯言に陥るしかない。知恵も芸も足りないからだ。
巫女=霊媒の習性として、「彼等は神がゝりにかゝつて、彼等自身少しも知らないことを、人々に取次いでいるだけなのである」(田中「狂氣と正氣」、124頁)。
狂気に与ることなくては、何も為し得ず、一種の失神没我の世界に淫している。
それで、ソクラテスの真理の探究法を騙るのだから、老婆が頭の悪い「夢想家」たる所以だ。
暇をもて余した老婆の悲憤慷慨、慨世歎恨は戯画でしかなく、随所に軽躁そのものの人間性が透けて見える。高が週刊誌の、395②⇒【トランプ氏は、彼の意志と彼の支援者にだけに通用する、ネオファシズムの国を作り上げたであろう】などを真に受ける。ドイツ人に「ネオファシズム」に言われる謂われは、さすがにトランプ氏にもなかろう。
以上から明白なように、老婆にとって、「国際協調」とは、ドイツと中国におべっかを使うことと同義となる。狂信家が繰り返す戯言、397⇒【大事なのは、「真理愛」】が空々しく響く。真理愛など、狂人紛いの人物が自瀆するのに口走る蟷螂の斧、空語でしかない。
愚劣なおしゃべりは延々と続く。408⇒【感染者がいなければ、気温に関係なくコロナは感染しない】は、単なる同語反復をもって、何かを主張した気になっている。同じ形で「感染者がいなければ、クラスターに関係なくコロナは感染しない」ということも可能になる。
双方とも論理的には何の意味もない。「感染者がいなければ、カロリーネに関係なくコロナは感染しない」と同じだ。さらに、「~に関係なく」の項を「~に関係があっても」に代えても、論理的に有意味な文を構成しない。つまり、不要な冗語なのである。
論理意識が皆無な「白痴」並みの人物に限って、莫迦丸出しで無闇に論理を語る。[完]
‘El tonto es vitalicio y sin poros.’; “La leberión de las masas”
国論の分裂をさらに加速させることになっても、次期大統領ポストに加え、上下両院で多数派、所謂「トリプル・ブルー」を確保して攻勢に出る野党民主党が、今後の展望を自派に有利に運ぶため、現政権の閣僚や共和党内部にも広がりつつあるトランプ離れ、トランプ氏への拒絶感情も計算に入れて、その政治的影響力に決定的なダメージを与えようと目論み、弾劾訴追に踏み切った、という解釈。真相はそこにはない。「アメリカ民主主義」の危機だから、民主党員だけではなくて、下院共和党員の10人が、裏切り者と呼ばれても、自分の信念に従って、トランプ大統領の弾劾の手続きに踏み切ったのである。
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/70324/ekigakutyousa.pdf
人的資源の限界がある中で優先順位をつけざるを得ないのは当然のことで、カロリーネ氏の批判は的外れです。以下、具体的に説明をします。
15条で積極的疫学調査については定める感染症法(略称)を所管する厚労省の田村大臣が下記の記者会見で見解を示しているとおりで国の方針に沿った対応です。
(https://www.mhlw.go.jp/stf/kaiken/daijin/0000194708_00311.htmlから引用)
「積極的疫学調査、当然のごとく感染者が増えてまいりますと対象者が増えてまいりますから、マンパワー等これは厳しくなってくるのは当然のことだと思います。そういうことで、11月もそうだったと思いますけれども、年末も方向性、積極的疫学調査のあり方に関しては通知を出させていただいておりまして、以前のようにマンパワー、感染者が少ないなかでの対応というのは難しいので、優先的な順位を考えていただきながら対応いただきたいということはお願いをさせていただいております。やれる範囲の中において積極的疫学調査を行って、感染者の拡大をなんとか抑えていただきたいということをお願いしております。」
また、全国の保健所が積極的疫学調査の際に準拠している下記「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領」(厚労省の附属機関・国立感染症研究所)にも同趣旨の記載があります。
(https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/corona/COVID19-02-210108.pdfから引用)
「地域において患者が急増する状況等においては、高齢者等の重症化リスクのある者へ波及しうるクラス ターへの対応を確実に行うとともに地域における効果的な感染拡大防止につなげるため、対応すべき優先度を考慮して積極的疫学調査を行うことが考えられる。」
『リベラルの時代 リベラルへの弔鐘』 というブログから
http://blog.livedoor.jp/kingfishertype97-nwes/
アメリカの「異常事態」
客観的に判断する上で、日本で生活している事がむしろ「さいわい」しているとしか思えないのが、現在のアメリカの異常事態である。
大統領選挙はバイデン陣営に軍配が上がったが、さっぱり新大統領誕生ムードではない。トランプ氏が選挙不正を訴え、敗北を認めないまま来てしまった事情もあるが、バイデン陣営には全く威信も求心力も無いせいだろう。いまだに「トランプけしからん」で大騒ぎである。(※選挙に不正はつきものであるし、一部の自治体はまともな選挙ができているとは到底思わないが、総体としてどうなのかは現在でもわからない)
焚書坑儒の民主党 危機に立つ共和党
選挙結果を巡って拗れた理由はいろいろあるだろうが、キャンペーンのさなかから大荒れだった。全米に暴動が拡大していたが、その大半はバイデン陣営の側のものだった。彼らは、(個人が勝手に暴れているだけで、組織的なものでない)としていたが、正当化する発言も見られた。トランプ支持派がいる限り、暴力もやむを得ないと発言していたが、選挙が終わるとすっかり忘れてしまったようだ。もちろんトランプ支持派が忘れるはずはない。共和党は抗議はしていたが、大統領選との連携は悪かった。 暴動はむしろバイデン陣営には「逆効果」になるだろうという計算はある程度あった。共和党とトランプ大統領の関係は終始「ビジネス」だったから、そこが現在のまずい結果を招いているともいえそうだ。民主党は原爆投下も優性政策も都合の悪い事は全て忘れる。進歩思想というのはそんなものだ。過去に囚われてはいけない。都合の悪いことを覚えているものは不届きものだから言論は弾圧される。ポリコレ焚書坑儒である。
<続く
今回アメリカで発生した事件は何故か日本の戦前、5.15事件や天皇機関説問題等、GHQ公認教科書的には(軍部ファシズムの台頭)として扱われている出来事を連想させるものだった。軍部が暴走したんだ、、というお馴染みの話だが、、
しかし、法学や西欧思想を学んでからは、議会制民主主義も古代王朝と変わらぬ(正統性)の概念によって支えられており、正統性を巡る争いが始まると碌でもないことになる、、という関連性でみるようになったので、まさにこれらは(正統性)の危機、つまり大政奉還以来の天皇主義と、帝国憲法の制定による立憲主義の矛盾が生んだ亀裂とみなしうるのであった。
アメリカの大統領選挙にも「正統性」の概念はあったが、個人的には「失われるまで気が付かない」といった塩梅だったのだ。選挙前に吹き荒れた選挙暴力は大統領選挙における「正統性」が破壊され始めたことを意味していた。政治的正しい事以外、民主党員たちは(暗記)をしないらしい。記憶力が殆ど無いから歴史を知らないし、選挙前の暴動の事などすっかり忘れている。ヒトラーが合法的に選挙で云々は正しくない。選挙暴力を巧みに用いていたし、国会の混乱を利用して首相の座を禅譲されたのだった。米民主党は自分たちが押し付けた歴史観を自らが演じてみせているのなら、自業自得というものだ。トランプ大統領へのなりふり構わぬ言論封鎖は、自らにせまる(思想的破綻)を回避しているかの如きだし、共和党がトランプ支持層の離反に耐えられるかどうか定かではない。
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このような見解もあります。 ご紹介まで。
篠田さんの米国社会を含めた、粗雑な、あたかも芝居の書き割り的な、空疎な図式論に終始する世界の情勢分析については既に2~3で論じてある。新自由主義の経済理論といっても、ニューリベラリズムもネオ・リベラリズムもある。学派的にはシカゴ学派の第一世代、マネタリズムもあれば、R. ルーカスらの第二世代、合理的期待形成学派もある。
スタグフレーションや石油危機を経験した経済の転換期に彼らが主流派の地位を奪ったそれ以前の新古典派総合の経済学、ケインズ派の計量経済学も、それ以前の新古典派経済学、それとは区別して「新しい古典派」(New classical economics)と呼ばれるルーカスらによる新タイプのマクロ経済学、それと覇を競うニューケインズ派など、経済学や経済について、老婆は何も知らないに等しい。
その挙句、政府対策分科会委員の小林慶一郎に関する「子供の作文」(209)で、Wikipediaから剽窃した断片を切り貼り細工してコメントをでっち上げて投稿を偽装している阿呆が、外に言うことはないのか(235参照)。
415⇒【この米国の状況を見ると「新自由主義」が、格差社会が】――驢馬並みのお頭の阿呆に何が分かる!! という以前の問題だ。
だから、未明の393→05:02から始まって、起床が翌日午前3時という婆さんは寝る時間を過ぎても(416→20:06)、妄執に駆られて金魚の糞のようなクズ投稿を12件も連ねて、お子様論議以上のものは見当たらない莫迦話に終始している。
そもそも、横着者の老婆に、日下部翁が405、407で提示したような、労を惜しまず手作りした表に基づき具体的議論を展開する篤実さの欠片もない。
一線を退いたとはいえ、研究者としての見識は、老婆のような「もぐりの」、自称「音楽学者の端くれ」の出来損ないの比ではない。阿呆の分際で、何を一人前のつもりで噴飯ものの御託を並べているのか。莫迦も休み休み言えばいい。
喧伝される米国の民主制の危機とか、民主主義への脅威なるものは、米国の政治のダイナミズムの一端であって、コロナ危機を契機に明らかになった真の民主制の危機とは、むしろ別にある。
それは、トランプ政権の生みの親であり、もはや不可逆的な趨勢となったグローバリズムの弊害や病理が米中対立によって一層顕在化するなか、近未来型の強権的抑圧国家である中国が「新たな全体主義国家」(歴史人口学者のE. トッド)として擡頭する一方、民主制を追求する自由主義陣営は、今後の世界秩序の模索に有効な展望を見出せていないことだ。
そうしたダイナミズムから見れば、民主党の動きなど、権力闘争の一環でしかない。国内問題としての米国の分断は根が深い。元々人種の坩堝である移民国家、人工国家だから何でもありだ。
それでも、米国の活力は日本の比ではない。官僚主義の弊害が著しく、コロナに直撃されて政治的機能不全状態のEUなど、束になっても敵わない。
東大系憲法学者、たとえば石川健治教授が、日本国憲法9条の解釈で、「友・敵理論」を使っている、とその欺瞞を、過去のブログで篠田英朗教授は指摘されていたのではなかったのだろうか。その手法は、妥協を旨とする「民主政治の対極」にある。
(参考、C・シュミット、政治的なものの概念、未来社)
岡田晴恵博士の影響で、Covid19は、スペイン風邪と同じような恐ろしい感染症と考えられがち、また、PCR検査で陰性であれば感染させる心配がないようであるが、現実はそうではない。Covid19が恐ろしいのは、スペイン風邪のような重症者の多さではなくて、無症状者から、一見健康な人から、感染する、ということ、感染した人の中から20%の割合で、人手のかかる医療機器が必要な重症者がでる感染病ということなのではないのだろうか。繰り返しになるが、PCR検査でどの人が大量に感染させるか、その判別ができないのなら、感染者の濃厚接触者の隔離、しかないのではないのだろうか?
西村経済再生担当大臣は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法に関する事務を担当する国務大臣」を兼務していることから明らかなとおり、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に関する所掌事務を担当しており、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会も上記特措法に基づく諮問機関です。
一方、積極的疫学調査や指定感染症等を含む感染症法に関する問題、その他検疫法、医療法等に関する問題は厚労大臣が所管大臣となります。
なお、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の副本部長は、加藤内閣官房長官のほか田村厚労大臣、西村国務大臣が担っております。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/konkyo.pdf
今日は、3月下旬の陽気になるそうで、福岡では快晴の空模様でハイキング散策を楽しめそうです。
昨日、書き忘れていたのですが、一昨日のヒルオビの森気象予報士が❝スペインでは雪が降ってるそうです❞とか言ってましたから、英国で❝変異体による感染再拡大❞と騒いでいる騒動は、意外にも❝寒冷寒波❞のせいかもしれませんね。
最近の感染症研究者は、すぐ目に見える変異体のせいにしていますから、天気のことなどに思いをはせることができないのでしょう。
ところで、東京都のコロナHPのモニタリング項目(4)のデータで、13日の7日平均陽性率が 13.3% まで下がっていました。MAX が、7日14.4%になってますから峠は過ぎたんでしょう。
東洋経済のコロナHPでは5~8日のPCR検査件数が最大の14000件ほどになっていますから❝PCR検査爆発❞も峠を過ぎたんでしょう。
NHKほか報道各局が緊急事態宣言がでたにもかかわらず市民の❝行動変容❞が起こってないことを、非難するかのように連日報道し始めていますが、感染者数増加が❝寒冷寒波❞によるものなら、来週にでも1000前後にさがるでしょう。
Yahoo News で、なんとか研究所の藤和彦さんが、Made in Japan 大阪大学が開発したリウマチ治療薬のアクテムラが英国の治験でコロナ重症者に有効であることを報告していたことを書いていました。朗報です。
記載漏れがあったので補足しますが、新型コロナウイルス感染症対策として重要とされる治療薬やワクチンの承認は薬機法(旧・薬事法、正式名称「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」)に関する問題ですし、ワクチン接種は予防接種法に関する問題ですが、これらの法律も厚労省の所管となります。
反氏の内田俊郎先生と山口昌哉先生へのコメントは、数々の話題を起こさせます。さかのぼれば、新島襄に帰国後初めて洗礼をほどこしたとされる安中有田屋3代目❝湯浅治郎(1850-1932)❞の後妻、徳富初子(蘇峰、蘆花の姉)との子である、湯浅八郎先生(1890-1981:内田俊郎や森下正明、可児藤吉、今西錦司の指導教官で、後、同志社大学総長、国際基督教大学初代総長)あたりまで行くのですが、姫路高校までの内田俊郎先生のことを少し。
Wikiでは桑名生まれとなっていますので、きっと先生のお母さんの実家が桑名だったのだと思います。
先生との雑談で、❝実は、木曽川の輪中で育ったんですよ❞と伺っていたので、それ以上のことは何も知らなかったのですが、輪中の豪農、地主だったようです。
三重県と愛知県が湾で境を接している地域に突っ込むように入ってくる岐阜県の地帯が海津町と呼ばれるところで、ここの豪農だったようです。
「海津郡海津町帆引新田 内田俊郎家文書目録」というのがつくられていて、
❝この目録は、海津郡海津町帆引新田、内田俊郎家に伝来した文書のうち、近代史料約7000点を目録化したものである❞とあります。
その昔、検索すれば、町役場の内田俊郎家文書案内のHPがあったのですが、なくなっています。
間違うといけないので、
「新島襄が米国から帰国して、初めて洗礼をほどこしたとされている湯浅治郎。」
ついでに、
湯浅治郎は、新島襄が倒れた後、東京から京都へはせ参じ、同志社の番頭、事務長として同志社を支えたそうです。
さて「医療崩壊」に関する記事二つを見つけました。一つ目は短文です。二つ目は長文です。一つ目アゴラ→中村仁「コロナ不安を増幅する首相のプレゼン力の不足」という記事を見つけました。http://agora-web.jp/archives/2049773.html 表題からいえば首相批判のように見えます。さにあらずです。一部引用します↓
→重篤患者に対応する急性期機能を備えた全国4200病院のうち(G注→全病院数は8400という)、コロナ対応ができるのは公立病院の7割、公的病院の8割で、民間病院は2割だそうです。日本の病院数は民間経営が全体の7割にも達するのに、コロナ対応を嫌っている。< (引用終り)
これは、最近指摘され始めています。特に目新しくはありません。最後の方、記者にも注文を付けています。Gはそこに注目しました。このかた、元読売新聞記者中央公論新社の社長なども務めたといいます。大物記者なのでしょう。
中村さんの最後の締めのコトバ→首相のプレゼン力が劣るのは、記者らの質問力が弱い結果でもあります。< は、後輩記者への叱責よく言えば叱咤激励なのでしょう。これら記者は一種の忖度です(忖度は社会の上下関係を律しているので必ずしも悪くない!と思いますが)。それこそ政治部記者が為政者に(質問をセーブして表面化を防ぐ)忖度していて、一方でTVメディアのタレントなどは、別のケース(モリカケなど)ですが、それを忖度だ忖度だ!という。これではいまのメディアは「自作自演」と言われてもしかたがありません。
最後(6ページ目)の一部だけ引用します→「医療が頑張らないから緊急事態宣言になった」という声に対して、医療者がどれだけきちんと答えられるかである。・・・・医療者の社会的役割を問う声に対して、医療側から有効な反論ができなかったり、これを無視したりするようだと、緊急事態宣言が前提とする危機意識の共鳴は起こらない。< (引用終り)
この最後の指摘、例えれば、自分の宿題をせず、他人(ひと)には宿題をしなさい!と命じているようなものでしょう。今のところ報道がない(→前述432忖度!?)ので大きな声にはなっていません。 が、国民多数から自分の宿題はやっているの!?という声が上って来れば、医師会(開業医の団体)なども、考えるに違いありません。そこまで至るかはこれからの問題ですが。
しかし、一例にすぎませんが、カロリーネ氏が一方的に信奉している安倍首相(当時)や尾身・基本的対処方針等諮問委員会会長(当時は分科会が新設される前で専門家会議では副座長)も、緊急事態宣言を延長した際の昨年5月4日の記者会見で、PCR検査に目詰まりがあったことを認めた上でPCR検査体制の強化が必要な対策である旨を発言しています。具体的な発言内容については下記の記者会見録をご覧ください。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0504kaiken.html
また、分科会が新設された以降も、検査体制の拡充は度々必要な対策として議論されてきたところです。
「Gくん」氏が何を遠慮しているか計りかねるが、人様の作法には基本的に関知しないとして、「黙れ! 糞婆あ」または「阿呆のお相手は致しかねます」とも言いにくかろうから、「相手の主張の意味を正確に理解したうえで、応答した方が、いいと思いますョ~」と、あしらう程度でいいのではないか。
新型コロナ対策担当大臣を兼務する西村稔康氏はそもそも経済再生担当相であって、単独でコロナ対策を所掌しているわけではないことは政府解釈氏が早速適切に事実誤認を指摘しており(426)、特段付け加えることはないが、本来は利益相反というか、相互に対立する関係にある感染症対策と経済振興策を同一人が担当することは、東日本大震災時の福島原発事故当時の原子力保安院のように、規制と推進が同居するという根本的問題を抱えている。
もっとも、感染症対策の強化が、適切に実施されるなら必ずしも社会経済活動の決定的な阻害要因にはならないことは、台湾やヴェトナムなどの事例をみれば明らかだが、日本は両国のような対策を講じてはおらず、それが可能とも思えないから、矛盾を抱えていることになる。篠田さんが本ブログで論じた「Go To事業」の理想的展開は、謂わば一面を語った能書きでしかない。
大量の検査を適切に実施することで隔離や早期治療につなげ、社会全体の不安心理を緩和し、社会経済活動の停滞を防ぐという見解が分科会委員の一部にあるが、それが主流になることは一貫してなかったから、この点でも西村氏が二つの対策を統合的に所掌する利点や必然性はないわけだ。
そうしたことを充分織り込んだうえで、ものごとを総観的、複合的に考察し、論じることが現実的に(ἐνεργείᾳ)考えことであり、何よりその前提として個々の事実を誤りなく認識して、そのもつ意味を一面的にではなく多面的に状況の中において判断し、それを表現する適切な用語、概念、論理を盛った正確な文章で議論しなくては、「自分の頭で考える」は幻想でしかない。
どこまでも幻想でしかないから周囲には戯言以上に出ないが、当の老婆にとっては虚勢ゆえの放言では済まず、老婆の牢固たる思い込み=狂信を助長することでしかない。そうしたことに充分自覚的でないことは、老婆が日本語のまともな読解も覚束ないことから明白で、結局、老婆は「自分で自分を全く知らない」(αὐτὸς καθ’ αὑτόν μὴ οἶδα μηδέν)ことになる。
つまり、「自分の頭で考える」ことは、老婆の場合は幻影(φάντασις, εἴδωλον)にすぎない。巫女(προφῆτις)を自称するくらいだから、錯乱してお告げを仲立ちするのが精々で、「自分の頭で考える」などあり得ない。
‘L’intérêt met en œuvre toutes sortes de vertus et de vices.’; La Rochefoucauld; Maximes 253.
莫迦(Carove-20)が移るよ。何しろ、ここにきての尋常ではない(ὕπουλος)応答からみて、阿呆なりに変異しているらしいことは、この数日の錯乱ぶりでも明白だからだ。
下院を上院と錯覚するのは錯覚(ἡ πλάνή)を越えて幻覚(ἡ πλάνή)かもしれず、疑心暗鬼になって(ὑποπτεύειν)空中楼閣(ἡ εὐχη=castle in the air)のような議論に熱中している。何でもヒトラーやナチスと重ねる妄想的な(ἀπατηλός)議論は、一種のイマジネーション(ἡ δόκησις)、つまり現実の「誤った像」(τὸ εἴδωλον)だということ。
だから、「徒手空拳」(ψιλός)で日下部翁の仮説に噛みつき、カリフォルニアとニューヨークのコロナ死者を同列に論じたりする。その莫迦莫迦しさは376~377で指摘した通り。
普通の思慮健全な人間は、少なくとも起き抜けは「正気」(σωφροσύνη)のはずだが、例外がある。正気を保った(σώφρων)状態を「思慮分別」(φρόνησις)というわけで、老婆がもち出す真理と思い込んでいるものは、老婆にかかると狂信に変わる。
ヴォーヴナルグならずとも、「どこか正気を失った人間に誤謬のたねとならないような真理というものは恐らくこの世にはない。」(‘Il n’y a peut-être point de vérité qui ne soit à quelque esprit faux matière d’erreur.’; Vauvenargues, Maximes 32)ということになる。
「老いた狂人は、若い狂人よりさらに狂っている」(‘Les vieux fous sont plus fous que les jeunes.’; 1bid., Maximes 444)
やがて闇が白み、清涼な空気の支配する時間帯に、しじまを破って(ῥηγνύναι)喚き始めるのは、尋常ではない。
ヒッポクラテスの『神聖病について』(Περὶ ἱερῆς νούσου,De morbo sacro)に、。
「同じ脳によりわれわれは狂気し錯乱し、夜であれ昼であれ不安と恐怖を生じ、不眠、夢中遊行、的はずれの憂慮、慣習への無知、違反が生じる。われわれが以上のあらゆる状態に陥るのは脳に起因し、脳が健全にはたらかず、正常よりも加熱したり冷却したり、湿潤になったり乾燥したり、そのほかふつうには経験しないほどの不自然な障害をこうむった場合に起こるのである」(‘Τῷ δὲ αὐτῷ τούτῳ καὶ μαινόμεθα καὶ παραφρονέομεν, καὶ δείματα καὶ φόβοι παρίστανται ἡμῖν τὰ μὲν νύκτωρ, τὰ δὲ μεθ’ ἡμέρην, καὶ ἐνύπνια καὶ πλάνοι ἄκαιροι, καὶ φροντίδες οὐχ ἱκνεύμεναι, καὶ ἀγνωσίη τῶν καθεστεώτων καὶ ἀηθίη καὶ ἀπειρίη. Καὶ ταῦτα πάσχομεν ἀπὸ τοῦ ἐγκεφάλου πάντα, ὅταν οὗτος μὴ ὑγιαίνῃ, ἀλλ’ ἢ θερμότερος τῆς φύσιος γένηται ἢ ψυχρότερος ἢ ὑγρότερος ἢ ξηρότερος, ἤ τι ἄλλο πεπόνθῃ πάθος παρὰ τὴν φύσιν ὃ μὴ ἐώθει.’; Περὶ ἱερῆς νούσου, XIV)とある。
手負いの莫迦犬のなりふり構わぬ狂態――眺めていて、憐れを催す。
まだやってる(→436)[完]
【行動変容は意味がない、時短要請も意味がない❢】
【社会を止めるな❢❢❢】
今日の東京都の感染者数は 2001人である。
PCR検査が 17000件だそうだから陽性率 11.8% である。
峠は過ぎたようだ。
ここで効果が検証されていない緊急事態宣言を敷くことは無意味である。
市民に行動変容を求めることも、飲食店に時短要請することも意味がない。
特措法改定を狙った民主党は、墓穴を掘って、罰金刑を素通りさせようとしている。
【毎日新聞】
日本医学会連合など関係学会は14日、政府が通常国会で成立を目指す感染症法改正案の中で、新型コロナウイルスの感染者が入院勧告を拒否したり保健所の調査を拒んだりした場合の罰則の創設を検討していることについて、罰則に反対する声明を発表した。声明は「感染症制御は国民の理解と協力によるべきだ」としている。
声明を出したのは他に、日本公衆衛生学会、日本疫学会。
神奈川県が表立って表明した積極的疫学調査、畢竟クラスター調査の事実上の放棄は、それが医療崩壊を未然に防止するための三密回避や行動変容の要請と並ぶ日本的な新型コロナ対策、所謂「日本モデル」の中核だっただけに、日本モデルが現在の日本の累計感染者や死亡率の点での「比較優位性」を支えているという信仰は、神話=虚像でしかなかったことを示す。
日本モデルは第三波の急拡大の前に潰え去ったことを意味する。対策としての実効性も普遍性も検証されておらず、行き当たりばったりの彌縫策の代名詞以上に出ないからだ。
それを「木を見て森を見ない」欧米的対策に対抗するものとして、日本流の「森を見る」クラスター対策の要諦を「後ろ向き」の感染源の急所=「森」に遡る手法としてこじつけにも等しい自己正当化を試みたのが、篠田さんが賞讃してやまない押谷仁氏だ。
しかし、その日本的秘儀(τελετήs)も、放棄を明言した神奈川以外でも実質的に継続不能になっていることは論をまたない。経路不明の感染者、感染経路を追えない所謂「孤発例」が新規感染者の6割を占め、しかも連日大量に積み上がっている現状からみて続行に意味はなく、それでなくても圧倒的に不足している保健所の人的資源を別の必須の領域に移さざるを得ないからだ。
その観点で積極的疫学調査について、改めて旧専門家会議「対策の状況分析と提言」(昨年5月29日)をみると、「感染者に行動歴を詳しく聞き、折衝者を見つけて蔓延を防止する」ため、①新規感染者を起点として、その人が接触した濃厚接触者を洗い出し、将来の感染者を探し出す「前向き接触者調査」と、②新規感染者がどこで感染したかを特定し、共通の感染源にいた濃厚接触者を洗い出す「さかのぼり接触者調査」が、必ずしも対立概念ではないことが分かる。
虚像にしがみつく錯覚だらけの議論は、狂信家の老婆に顕著だ。
Qアノンを嗤えない所以だ。
今、7時のNHKニュースを聞いているのだが、
本当に、NHKは煽り報道だ❢❢
片や、感染爆発❢❢
片や、飲食困窮❢❢
バカというほかない。
感染症法の改正だとか、
バカか、改正じゃないだろう❢❢❢❢
コロナが2類か5類か
意見が分かれているというのに
なんで、罰則規定ができるのか❢❢❢
日本国も市民全てばかになったのであろう、
野党がバカの極め付きだ❢❢❢
変異株「Carove-20」の祟りか。日本語文章作成ソフト「ワード」にはお節介な機能がついており、挿入を含めた加削除で間違いが混入しやすい。私の場合は、常に1件800字ギリギリまで書き込んで、しかるのちに修正を施して結構を整える。この過程で間違いが混入しやすい。如上の誤記などは別として、文意に変更が生じる場合(例えば「専科→選科」)は、煩を厭わず申告している。
また、基本的に私以外、常連の投稿者では誤記に気づくのが困難なギリシア語、ラテン語の表記上のミスは、可能な限り対応している。
その点で、401⇒【上院と下院をかきまちがえ…それがそれほどたいしたことなのか?内容の真偽に100パーセントかかわることなのか】は、文字通り致命的な(θανάσμος)な心得違いで、老婆の愚劣な釈明から、無知ゆえの事実誤認が歴然とする。
立論に100%連動することは老婆以外には明白で、矮小化を許さない。誤記が不注意によるもので大統領弾劾訴追の実態を認識していれば、「弾劾裁判」云々なる立論自体が成立しない。
誤記を認識した時点で立論不能になる。この点、413末尾で指摘した通り、老婆は論理的に有意味な文章を綴ることができない。文字通り、頭が悪い。
362で日下部翁は「カロ婆へ お前には、孫がいないのか?」とするが、老婆にはその前提になる子がいないのは確実だ。世にいう「産まず女」(ἄτοκος)で、原因は亭主にあるかも知れず、女性としての欠陥とも思わないが、老婆の狂信が有為な知恵を産まないことは明白だ。
ソクラテスの産婆術の場合、次々と生み出される妄念は、思考としてはいずれも死産とすべき出来損ない。その厳格な判定役が、思考の出産に立ち会う産婆取り上げの術(τέχνη τῆς μαιεύσεως)の趣旨である。
子もなければ孫もなし、思考もクズばかり。
クズの山 撒き散らしては 日もすがら 募る苛立ち カロき言の葉
444に訂正に誤り。余計な(✕、○)を付したのが間違いの素。やはり、変異株「Carove-20」の祟りかもしれぬ。
☆余白に 「精神の産を看取る」(μαιεύεσθαι καὶ τῷ τὰς ψυχὰς)ソクラテスの産婆術(μαιευτική)に関する『テアイテトス』の主要な関連箇所は以下の通り。
「しかし、このほかに、僕たちの技術には、一番大事なことでこういうのが含まれている。すなわち当の青年が思考を働かして分娩したところのものが為似物(εἴδωλον)であって偽物(ψεῦδος)であるか、それとも正物(γόνιμόν)であり真物(ἀληθές)であるかを百方検査するということが〔この技術を心得ている者には〕できるというのである。なぜこれが一番大事であって他にこれ以上のことはできないかというと、それは次のような事情が産婆たちにあると同じように僕にもまたあるからなのだ。すなわち、僕は知恵を生めないものなのだ。そしてそれはすでに多くの人たちが僕に非難したことなのだが、僕は他人に問いかけるが、自分は、何の知恵もないものだから、何についても何も自分の判断を示さないというのは、いかにも彼らの非難のとおりである。」(田中美知太郎訳、岩波書店版『プラトン全集』第2巻、202頁=‘μέγιστον δὲ τοῦτ’ ἔνι τῇ ἡμετέρᾳ τέχνῃ, βασανίζειν δυνατὸν εἶναι παντὶ τρόπῳ πότερον εἴδωλον καὶ ψεῦδος ἀποτίκτει τοῦ νέου ἡ διάνοια ἢ γόνιμόν τε καὶ ἀληθές. ἐπεὶ τόδε γε καὶ ἐμοὶ ὑπάρχει ὅπερ ταῖς μαίαις• ἄγονός εἰμι σοφίας, καὶ ὅπερ ἤδη πολλοί μοι ὠνείδισαν, ὡς τοὺς μὲν ἄλλους ἐρωτῶ, αὐτὸς δὲ οὐδὲν ἀποφαίνομαι περὶ οὐδενὸς διὰ τὸ μηδὲν ἔχειν σοφόν, ἀληθὲς ὀνειδίζουσιν.’;Theatetus, 150B~C)
私がコメント434で言及したのは首相官邸での安倍首相(当時)の記者会見(尾身氏は、当時の専門家会議の副座長でしたが、緊急事態宣言の延長を諮問した基本的対処方針等諮問委員会の会長という立場で記者会見に同席)であり、カロリーネ氏のコメントにある「専門家会議昨年5月4日の記者会見」(日本語の表現としても誤りがあります)について言及したものではありません。
また、私の指摘事項に対する応答という形式をとりながら、カロリーネ氏は、田村厚労大臣に対する当初の批判との関連性を明らかにしないまま、世田谷区や広島県の「社会的検査」に対する批判の主張へと「突然変異」してしまったようです。
(医療提供体制パッケージについて)
余白を使って、以下、昨年12月25日に出された医療提供体制に対する政府の当面の方針について、ご紹介します。
(厚労省の事務連絡「感染拡大に伴う入院患者増加に対応するための医療提供体制確保について」)
https://www.mhlw.go.jp/content/000712371.pdf
正式な事務連絡は上記のとおりですが、全体像を把握するには、下記の方が理解しやすいかもしれません。
(別紙「感染拡大に伴う入院患者増加に対応するための医療提供体制パッケージ」)
https://www.mhlw.go.jp/content/000712374.pdf
菅義偉氏首相が新型コロナ対策で国民に理解と協力を求めた旧臘25日の会見を聞いてがっかりさせられたからだ。《とても、及第点を進呈できる内容ではないからだ》と。
さらに、それに先立って、⇒《「真の雄弁は、語るべき一切を語り、かつ語るべきことのみを語る」(‘La véritable éloquence consiste à dire tout ce qu’il faut, et à ne dire que ce qu’il faut.’; La Rochefoucauld, Maximes 250)という、政治家のスピーチの要諦など、仕事熱心な新首相には、薬にしたくともない。》(同12月5日・143)とも。
所謂「巧言令色鮮矣仁」(『論語』学而第一、陽貨第十七)ということは、民主制の政治家の場合は必要ない。ペリクレスではないが、政治家は為すべきことを見抜き(γνῶναί τά δέοντα)、それを適切な言葉で国民に語りかけなくてはならない。「それを言葉に出してその実行を説く」(ἑρμηνεῦσαι ταῦτα)能力が求められる。
そして、それがテレビ画面の向こうの国民一人ひとりの心に届き、出口の見えないトンネルの中で苦境にあえぎ、あるいは不安に立ちすくむ人々を励ましたり、さらには日々逼迫の度合いを深める医療の最前線で疲弊しながらも苦闘する関係者を鼓舞する。
真の政治家が垣間見せる、「声の調子や眼差しや表情には、言葉の選び方だけではない豊かな雄弁がある」(‘Il n’y a moins d’éloquence dans le ton de la voix, dans les yeux, et dans l’air de la personne, que dans le choix des paroles.’;ibid., 249)とも。
苦しい説明に終始した尾身茂氏が、「よっぽど総理に見え」、それで「日本人は本当に幸運」とも思えないが、ここではあえて詮議しない。
それより、役者が違うとしても、しかも時代を越えた存在だとしても、ペロポネソス戦争で、しかも開戦の年の冬に疫病に見舞われ市民の3分の1が犠牲になったアテーナイを率いたペリクレスや、共和制時代の古代ローマのカエサルを引き合いに出す理由は、上述の危機に際して求められ、苦境にあってこそ最も顕著に優劣の違いが現われる政治家に不可欠な資質と卓越性が気になるからだ。
ペリクレスについては度々言及したので、今回はカエサルについて論じる。ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Julius, BC100~44)こそは、19世紀最大の古代史家T. モムゼンをして激賞せしめた政治的天才だ。わが国でも塩野七生氏が大著『ローマ人の物語』で2巻(第3~4巻)を費やしている。
カエサルは共和制末期に元老院を構成する有力者による寡頭制支配だった共和制が地中海世界を支配して版図を拡大させ続け、世界帝国化するローマに相応しい政体ではないことを見抜き、つまり、もはや役割を終えて死んだものと見なし、世界帝国に即応した政治形態を模索して「独裁者」と敵視され、結局暗殺される。
しかし、その遺志を受け継いだ甥のオクタヴィアヌス(Octavianus, Gaius Julius Caesar)が、初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)となることで未曾有の繁栄の礎を築き、その洞察は完結する。
曰く「それはむき出しで、率直で、優雅である。裸体が着物を脱いでいるように、あらゆる修辞的装飾をかなぐり捨てている」(同387頁)とするように技巧の跡をとどめない雄勁かつ簡潔な名文で、ローマ最大の修辞学者で、弁論家、文芸批評家のクィンティリアヌス(M. F. Quintilianus)をして「散文詩」(carmen solutum)と言わしめた。
ラテン語の初学者が早い段階で取り組むのが、カエサルの傑作『ガリア戦記』(Bello Gallico)、正式には『カエサルのガリア戦争に関する覚書』(Caesaris Commentarii de Bello Gallico)だ。
三人称で書かれた正確無比なその一端を紹介する。
‘Germani post tergum clamore audito, cum suos interfici viderent, armis abiectis signisque militaribus relictis se ex castris eiecerunt, et cum ad confluentem Mosae et Rheni pervenissent, reliqua fuga desperata, magno numero interfecto, reliqui se in flumen praecipitaverunt atque ibi timore, lassitudine, vi fluminis oppressi perierunt.
Nostri ad unum omnes incolumes perpaucis vulneratis ex tanti belli timore, cum hostium numerus capitum ccccxxx milium fuisset, se in castra receperunt. Caesar eis quos in castris retinuerat, discedendi potestatem fecit. Illi supplicia cruciatusque Gallorum veriti, quorum agros vexaverant, remanere se apud eum velle dixerunt. His Caesar libertatem concessit.’; Caesaris Commentarii de Bello Gallico, Liber IV-15, with Eng. Tr. by H. J. Edwards, p. 196~98.
わが軍はわずかの負傷者を出しただけで、全員一人残らず無事に、すさまじいと予想していた戦争――じじつ捕虜は4万3千を数えたのだ――を終えて陣営に帰ってくる。カエサルは陣営に拘留しておいたゲルマニア人らに、立ち退く機会を与えた。彼らはガリア人の畑を荒らしていたので、ガリア人の復讐や拷問を恐れ、カエサルのもとに留まりたいと申し出た。カエサルは彼らに自由を与えた。」(國原訳、講談社学術文庫版、132~33頁)
カエサルは、戦争の現実であるこうした敵対する相手への一種の苛酷な行為に怯んで事実を潤色または隠蔽したり、感傷的な懐古はもとより、懺悔録を書くような人物ではない。「覚え書」=‘commentarius’は、もともと事務的なメモ、手記を意味する。演説草稿もこの名で呼ばれる。将軍が元老院に提出する報告書や戦誌にもこの名称が用いられた。
いずれにしても、「真の技巧は技巧を隠すことにある」と称されたこの冷たい客観的な叙述に徹した三人称の文章くらい、饒舌から遠いものはない。つまり、政治家にとって必要な真の雄弁は修辞的装飾と必ずしも同じでないどころか、むしろ正反対であることを教える。
カエサルほどの稀有の大才をわが首相に求めても詮ないが、巧まざる真の雄弁を生む政治家の志操は、菅氏にも皆無とは言えまい。
それを日々銘記させるような教養が、政治家にも不可欠だ。
言うだけ無駄だろうか。[完]
日本のCovid19 の感染者が増えた、ことばかりを日本のマスコミは問題にするが、欧米諸国の増え方と日本の増え方の差をきちんと報道すべきなのである。ドイツの感染者数、死者数の増加も入れてもらっていい。そうすれば、どれだけ日本の増加率が諸外国と比べて少ないか、わかるし、日本モデルが優れていることがわかる。それが、欧米諸国と比べて、「日本モデル、日本の対策がいい」ということの本当の証なのに、その報道を日本のマスコミはまるでしない。そして、小池都知事の発表したいい加減な数字をあたかも真実の数字のように、「大変だ」と解説者に解説させて公表する。コメント欄で紹介したことがあると思うが、コッホ研究所の発表した数字のいがみ、がドイツのマスコミ界で問題になったことがあった。理由も明確にされ、その問題も指摘されていた。それは、その数字のゆがみが、学者の間違った解釈を許すからである。日本のマスコミ報道は、東京都の発表した数字のゆがみ、など全く問題にしない。西浦博教授は、京都大学の教授で、感染症の統計学の権威だから、彼の分析は正しい、とその仮説を根拠に、政策を発表する東京都知事の方針を評価する。欧米のマスコミは日本のマスコミのようなことをしない。公共の福祉を考え、民主主義国家のマスコミの在るべき姿をよく知っているからである。
ニュースで見つけた。トランプ大統領の「永久垢バン」問題。日本メディアとトランプ支持者に曲解されたメルケル発言 (msn.com)
このニュースについて、日本国内のメディアは次のような見出しを掲げている。(参照:時事通信、日本経済新聞、テレビ朝日、Newsweek Japan)
「米ツイッターにメルケル首相苦言」(時事通信)
「メルケル独首相、Twitterを批判 意見表明の自由重要」(日本経済新聞)
「トランプ氏のアカウント停止 『問題』と独首相懸念」(テレビ朝日)
「独メルケル、ツイッターのトランプアカウント停止を問題視」(Newsweekjapan)
本来のメルケル首相の主張はこうであった。
「ドイツのメルケル首相は月曜日に、表現の自由に関するルールは私企業ではなく法律家が定めるものであるべきだと、(ツイッター社の)判断に反対した。
『首相は、選挙で選ばれた大統領のアカウントが完全に停止されることを問題視しています』。ベルリンの定期会見で彼女のスポークスマン、シュテッフェン・ザイバートはこう述べた。表現の自由の権利などは『干渉することもできますが、企業の判断ではなく、法と立法府によって定められた枠組みによるべきです』」
リテラシーを麻痺させるメディアの「味つけ」
まず、発言はメルケル首相本人によるものではなく、スポークスマンを通したものであるのもポイントだ。この時点で、同メッセージの重要性がそこまで高くないことがうかがい知れる。
何より皮肉なのは、こうした議会襲撃につながったフェイクニュースの乱発、ファクトチェック機能やメディアリテラシーの低下が終わるどころか、加速している点だ。2021年に生きる我々はコロナウイルスだけではなく、こうした問題にも立ち向かっていく必要がありそうだ。
と締めくくられているが、日本のマスコミ報道のこの手法の日本社会へのマイナスの影響は、大変大きい、と感じる。反氏のコメント欄の手法でも、それは明らかなのであるが、カロリーネの主張の信頼性をなくすために、狂信家を相手にするな、虚偽体質であるの、頭にクモの巣がはっているの、レッテルはりをして、カロリーネの主張を読者にまともに取らせない味付けをしたうえで、カロリーネの文章を自分勝手な解釈をして、誹謗中傷し、そのコメントを繰り返す。マスコミ各社の安倍前首相、日本政府、あるいは、感染症の専門家と自称している人々の尾身ー押谷ラインへの主張も、同じ手法である。水島朝穂教授の篠田英朗批判の仕方も同じである。
政府解釈さんや反時流さん、その他大勢の皆さんが言うように、貴女は、いつも、とんでもない方向に大暴走。
日本語で行われている相手の主張を全く理解しないで、それこそ議論が勝手に「突然変異」して、支離滅裂な話ばかりしている。
日下部さんの名づけたCarova-20だか、Caroba-20?、変異種のCarove-20というのもあるらしいけど、とにかく朝から言うこと、メチャクチャ‼︎
トランプ大統領のアカウント永久停止に関する、ドイツのメルケル首相のTxitter社批判について、392で反時流さんは、→→【トランプ氏に批判的なメルケル独首相が「表現の自由への介入は法律や議会が定めた枠組みの中で許される」として、一方的な措置を懸念視する談話を政府報道官を通じて公表した】と書いている。
つまり、そそっかしい貴女が、「真実を報道する記事をyahoo ニュースで見つけた」とか言って、「首相本人によるものではなく、スポークスマンを通したものであるのもポイント」というけど、反時流さんも日本のダメなメディアも、「政府報道官」を通じて公表されたことにちゃんと触れている。
貴女が盛んに持ち上げる「中華そば」、よく報道官が出てきて政府の見解を発表していませんか?報道官だから、「この時点で、同メッセージの重要性がそこまで高くないことがうかがい知れる」なんてことはない。
ニュースの【「美味しいところ」だけをピックアップし、好みの「味つけ」をして、読者・視聴者の口元までスプーンを運ぶ】というのは、貴女一流の勝手な解釈そのもの。メディアリテラシーも何もないわ。日本語がちゃんと読めないんだから。
誰も相手にしないよ、こんなんじゃ。いつも見当違いな独演会、妄想リサイタルで、反氏の手法で「信頼性をなくすために、狂信家……レッテルはり」というけど、どう見てもおかしいのは貴女‼︎
バカバカしくて、やってらんないわ‼︎
政府解釈さんや反時流さん、その他大勢の皆さんが言うように、貴女は、いつも、とんでもない方向に大暴走。
日本語で書かれた相手の主張を全く理解しないで、それこそ議論が勝手に「突然変異」して、支離滅裂な話ばかり。
日下部さんの名づけたCarova-20だか、Caroba-20?、変異種のCarove-20もあるらしいけど、とにかく朝から言うこと、メチャクチャ‼︎
トランプ大統領のアカウント永久停止に関する、ドイツのメルケル首相のTxitter社批判について、392で反時流さんは、→→【トランプ氏に批判的なメルケル独首相が「表現の自由への介入は法律や議会が定めた枠組みの中で許される」として、一方的な措置を懸念視する談話を政府報道官を通じて公表した】と書いている。
つまり、そそっかしい貴女が、「真実を報道する記事をyahoo ニュースで見つけた」とか言って、「首相本人によるものではなく、スポークスマンを通したものであるのもポイント」というけど、反時流さんも日本のダメなメディアも、「政府報道官」を通じて公表されたことにちゃんと触れている。
貴女が盛んに持ち上げる「中華そば」、よく報道官が出てきて政府の見解を発表していませんか?報道官だから、「この時点で、同メッセージの重要性がそこまで高くないことがうかがい知れる」なんてことはない。
ニュースの【「美味しいところ」だけをピックアップし、好みの「味つけ」をして、読者・視聴者の口元までスプーンを運ぶ】というのは、貴女一流の勝手な解釈そのもの。メディアリテラシーも何もないわ。日本語がちゃんと読めないんだから。
誰も相手にしないよ、こんなんじゃ。いつも見当違いな独演会、妄想リサイタルで、反氏の手法で「信頼性をなくすために、狂信家……レッテルはり」というけど、どう見てもおかしいのは貴女‼︎
バカバカしくて、やってらんないわ‼︎
政府解釈さんや反時流さん、その他大勢の皆さんが言うように、貴女は、いつも、とんでもない方向に大暴走。
日本語で書かれた相手の主張を全く理解しないで、それこそ議論が勝手に「突然変異」して、支離滅裂な話ばかり。
Carova-20だか、Caroba-20?、変異種のCarove-20もあるらしいけど、とにかく朝から言うこと、メチャクチャ‼︎
トランプ大統領のアカウント永久停止に関する、ドイツのメルケル首相のTxitter社批判について、392で反時流さんは、→→【トランプ氏に批判的なメルケル独首相が「表現の自由への介入は法律や議会が定めた枠組みの中で許される」として、一方的な措置を懸念視する談話を政府報道官を通じて公表した】と書いている。
つまり、そそっかしい貴女が、「真実を報道する記事をyahoo ニュースで見つけた」とか言って、「首相本人によるものではなく、スポークスマンを通したものであるのもポイント」というけど、反時流さんも日本のダメなメディアも、「政府報道官」を通じて公表されたことにちゃんと触れている。
貴女が盛んに持ち上げる「中華そば」、よく報道官が出てきて政府の見解を発表していませんか?報道官だから、「この時点で、同メッセージの重要性がそこまで高くないことがうかがい知れる」なんてことはない。
ニュースの【「美味しいところ」だけをピックアップし、好みの「味つけ」をして、読者・視聴者の口元までスプーンを運ぶ】というのは、貴女一流の勝手な解釈そのもの。メディアリテラシーも何もないわ。日本語がちゃんと読めないんだから。
誰も相手にしないよ、こんなんじゃ。いつも見当違いな独演会、妄想リサイタルで、反氏の手法で「信頼性をなくすために、狂信家……レッテルはり」というけど、どう見てもおかしいのは貴女‼︎
バカバカしくて、やってらんないわ‼︎
私もうつったかしら、Carova-20。皆さんも、どうかご用心⁉︎
カロリーネ さんは、(私のへはともかく)あまり他の人のコメントに反応しないで、篠田教授のエッセイに対してのみ感想やご自分の経験など思い当たることを冷静に書けばよい。
ちょっと論点がずれるが、カロリーネ さんのような人は絶対に政治家などにふさわしくない。篠田教授のようにどんと構えて冷静にならないとだめだ。特に篠田氏の支持者なら、それを見習わないと。
さらに反氏に反論しようとして、逆に反氏を助けているだけだ。反氏は、元マスコミ関係者と最初うかがって期待したが、やはりマスコミはゴミだと確信した。重箱の隅をつついて勝ち誇る、自分はよくて他はだめの悪質な二重基準(無駄な引用文を書き散らしながら、他人の投稿をけなす)、物知りに見せかけて実社会を知らない無能。この3点セットは、見事にマスコミの特質だった。
放置しておけば勝手に崩壊して去っていくものをカロリーネ さんが無理やりつなぎとめているだけだ。反氏登場の前は、このコメント欄は、比較的レベルが高いと思われたが、いつまで残るか不明だ。やはりコメント欄は節度をもって投稿する人間だけに絞るなど一定のルールを適用して管理者が運用しなければ、なかなかうまく機能しないことがわかる。
それを当人たちは、社会に真摯な議論を持ち込んでいると錯覚いや妄想している。本当に社会を無駄にひっかきまわしているだけで、深刻な社会の公害だ。
訳わからないモリカケ騒動を1年も2年も続けている。勝手に情報をつまみぐいし第三者の検証を拒絶し、あまりに印象操作がひどくて戦慄以外のなにものでもないが、本人たちはいたって真面目にやっている。一種の職業病というか、もともとの病人だった連中が特定の場所に似た者どうしが集まって集団催眠にかかったように熱中してやっている感じだ。主に情報弱者の日本のお年寄り達だけが飼いならされて、だまされている。
https://www.spiegel.de/netzwelt/web/angela-merkel-findet-sperrung-von-donald-trumps-twitter-konto-problematisch-a-c216cbcb-c32f-4c12-b965-cf683241acf0
抗原抗体検査を含めてversion upしました。
12月29日 9.3% 856 976 84
30日 10.0% 944 1049 85
31日 10.5% 1337 684 89
1月1日 11.4% 783 733 88
2日 12.1% 814 751 94
3日 12.6% 816 864 101
4日 13.5% 884 1477 108
5日 13.8% 1278 1787 111
6日 14.3% 1591 2161↑ 113
7日 14.4%↑ 2447↑ 2054 121
8日 14.1% 2392 1970 129
9日 14.0% 2268 1385 129
10日 13.9% 1494 790 128
11日 13.9% 1219 666 131
12日 13.9% 970 1559 144↑
13日 13.2 % 1433 1406 141
14日 12.8% 1502 1295 135
15日 11.7% 2001 - 133
7日平均陽性率
報告日別感染者数
発症日別(PCR、抗原抗体陽性者数)
重症者数 の順
↑印はピーク日:4種の数値はピークを界として漸減している。
感染者ピークが1月7日で、重症者ピークが5日後の1月12日だったことがわかる。
緊急事態宣言を出した日が、ピークであったのは、また、政府菅内閣の空振りだったということですね。
何しろ、肝腎の自分を自分で全く知らない(αὐτὸ αὑτὸ οὐκ οἶδα μηδέν)から、真実も何もあったものではない。その憐むべき驢馬並みのお頭では、「インフルエンザ菌≠インフルエンザウイルス」どころか、日本語のまともな読解すら覚束ない。
一方、週末に猛り狂ったように愚にもつかない陳腐で退屈な、金太郎飴のような同工異曲のメディア批判に熱狂する、もう一人の狂信家がいる。
間欠泉(σπάνιος θέρμαι)のように、書くそばから次々とクズ投稿を撒き散らしては、あたかも「驢馬が驢馬を擦る」(‘asinus asinum fricat’)というラテン語の古言のように、狂信的な点では相通じる同志にして同類(συγγενής)である老婆と、互いに笑止極まるお追従(ἀρέσκεια)を言い合って党派根性を剥き出しにする。
取るに足りない(μέτριος)仲間同士、かばい合い、時に励まし合う仲間褒め(κολακεύω)でエール交換する狂態を、懲りもせず毎度のごとく繰り返している。
462⇒【できるだけ冷静に!】と言っても無駄な忠告で、何せ老婆は「巫女」(προφῆτις)を自認する狂信家だ。憤激に我を忘れて(ἀσχολεῖσθαι)神懸かりになって(ἐνθυσιασμός)、つまり錯乱(βακχεύω)しなくては巫女の役目が果たせない。神社で御神籤を売る白拍子紛いの装束を身にまとった生娘とは異なるのだ。
余計なお世話とというべきか、ある意味「呉越同舟」だから、つける薬はない(‘À laver la tête d’un âne, on perd sa lessive.’=直訳すれば「驢馬の顔を洗っても洗剤が無駄なだけ」)。
政治など何も知らないことが、よく分かる。
悪態のつき方が子供じみている。462③⇒【マスコミはゴミだと確信…重箱の隅をつついて勝ち誇る、自分はよくて他はだめの悪質な二重基準…物知りに見せかけて実社会を知らない無能】――品性の欠片もないことは説明を要しないが、「マスコミはゴミ」は自覚されざる全称肯定命題(τὸ καθόλου καθαφατικὴ πρότασις=「すべてのAはBである」)で、少なくと一人「ゴミ」ではないメディア人が存在することを例示すれは、成立しない。つまり偽となる。
「自分はよくて他はだめ」は二重基準(διπλοῦς κριτήριον)でもなんでもなく、老婆がその都度、致命的な間違いを犯しても反論を装ってごまかしを重ね、逃げ回っているから、主張の正当性を要求する資格がないだけの話。論証の優劣の話で、二重基準でも何でもない。
平等なのは投稿に際して資格を問わないということだけ。碌な論証もできないから阿呆なわけで、それを論破して葬り去ることに二重基準も何もない。論証の首尾一貫性と、そのための論拠の妥当性がすべて。
「物知りに見せかけて」は、それもできない人間の単なる僻み、「実社会を知らない無能」は、元新聞記者に向かって世間知らずの夢想家が言うことでもあるまい。要するに幼児性強弁。
「無能」云々は「世間知」の有無とはまた別基準だということを見落としている。如何にも単細胞らしい迂闊な議論で、お頭の程度が知れる。
本日は3件止まりだから(16:17現在)、多少は大人になったか。
旧「会社員」というくらいだから、しがないサラリーマンなのだろう。大方、組織に隷従するうだつの上がらない、鬱憤を溜め込んだ人物が「知っている」と思い込む「実社会」など高が知れている。
凡庸な人間、しかもそれを徹底して自覚するでもないおめでたい人間は、精々自らの周囲の「実社会」とやらと角突き合わせて、鶏冠に血を上らせたらよい。
462④⇒【反氏登場の前…コメント欄は、比較的レベルが高いと思われた】――自らの莫迦さ加減を棚上げした錯覚で、ただの「ぬるま湯」。
462⑤⇒【コメント欄は節度をもって投稿する人間だけに絞る…一定のルールを】――1日28件投稿のチンピラが言うことでもあるまい。言うに事欠いて、「節度」とは。
それこそ、二重基準。自分が何を言っているのか、老婆同様、理解していないようだ。それで、「実社会」を知っているらしい。
以上から、463、464は相手にするまでもないが、狂信的な投稿をざっと眺めていると、「キチガイ」「狂っている」「頭がおかしい」「マインドコントロール」「洗脳」に類した語が頻出する。
【日本の左翼あるいは極左は「真正のキチガイ」】(12月14日・22)【すべては真正キチガイの日本左翼】(同14日・27)【完全に頭おかしい連中…狂っているのだ。その連中がメディア中枢を支配】(11月29日・31)【メディアに洗脳された無知な日本人が追従…今は普通の社会人なら「頭がおかしいやつら」】(12月14日・27)【完全に詐欺であり、詐欺集団】(1月2日・63)【国民が鈍感…完全にメディアに頭脳をコントロール】(12月19日・72)
いやはや、妄想というしかない。[完]
ところで、もはやクラスター対策が続行不能状態に追い込まれ形骸化している、「日本モデル」と称される日本的新型コロナ対策の頼みの綱が、結局は国民への自粛要請を出ないとすれば、政治の貧困(πενία πόλιτκόν)というのは、為すべきことを見抜く首相の判断能力や説得能力の欠如と同様、深刻だ。
いずれにしても、それは虚構(μῦθος)、即ち日本的な対策が有効に機能して、現時点での欧米諸国との比較で、はるかに良好な成果を上げているように見える感染状況(累計感染者や死亡者数の単位人口当たりの優位性)と日本モデルとの相関関係は、合理的な説明または解釈が依然として困難であることを窺わせる。日本モデルは神話=ミュトス(μῦθος)でしかないことを一層印象づける。
神話がすべて悪いわけではない。周知の通り、われわれは不確実性を避けられない将来の出来事だけでなく、現在足元で起こっていることですら、正確にその全体像をつかむことはできない。神ならぬ身で、人間に全知全能(πάνσοφος καὶ παγκρτής)はあり得ないから、一面的でも致し方ない。
神話はそうした場合、厳密に原因と結果の因果関係を合理的に説明できない事柄について、仮構的な説明を与える役割を果たすことがある。まことしやかな「真実らしきもの」(εἰκός)として、仮の、暫定的な説明と納得を提供する。
つまり、原因はよく分からないけれども、定かではない要因によって、「かくかくしかじか」現在のようになっているという説明方式(λόγος)を提供する。
「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)の産物であると同時に、合理的な説明が、その根拠を提示することができないか、または合理的な説明の基準を満たさない場合、もっともな(εὔλογον)、ありそうな(εἰκότως)説明方式を与える。
つまり、虚構=神話はロゴス(λόγος)に対立するものとして必ずしも虚偽ではなく、立証可能な合理的な推論の結果として通常のように説明できないことを意味する。
プラトンの対話篇にもしばしばそうした神話が登場する。通常、ミュートス=神話=物語の架空(仮構)性を示す定型的結びで、プラトンは‘μῦθος ἀπώλετο’(「物語は滅び去った」)とせず、あえて‘μῦθος ἐσώθη’(「物語は救われた」)と表現するのは、それが単なる虚構としての空しい説話的説明ではなく、物語は「真実」を告げていることを示唆している。
それは、通常のように言葉や理屈=ロゴスで充分に説明できない領域や対象があることを前提としており、それを譬え話という形で分かりやすく説くものであって、ロゴス的説明自体の放棄ではないのが、プラトンのミュートスの特徴である。
それは、言うなれば矛盾的なニュアンスを込めて言えば、合理的な神話である。だだ、日本モデルとの決定的な違いは、真理であることは間違いないが、それを合理的に説明できる水準に理論=説明方式が達してないことを示し、そうした認識を前提として、因果関係が説話=神話の形で語られるのである。
さらにまた、特殊な教育目的のために神話が利用される、つまり、その獲得のために一定以上の知力や予備知識を要するから、子供に初めからロゴスを語ることは不適切だからだ。
このように、神話は一般的に、それ自体としてよりはロゴスの対立物として語られ、神話的思考(penssée mythique)の前近代性が語られたり、近代性を説く合理的思考=栽培思考(pensée cultvée)の一面性を説くことで、その根源性に疑念が呈されたりするが、神話が与えるのが作り話(μῦθος)であって、ロゴスこそ真実を語るという、一面でもっともらしい区別も、その対立が強調されすぎるなら、もう一つの虚構でしかない側面をもつのである。
目下のわれわれの関心に惹きつけていえば、日本モデルの対策の実践面に加え、それを構成している理念について、改めて精査する必要がある。われわれは、日本的手法の正当性を説くのに急なあまり、その内実について、踏み込んだ議論が決定的に不足していることを知る。
日本モデルに関する押谷仁氏の解説、感染拡大の温床となる場を抑えるアプローチは、少しも合理的に説明されていないことに気づく。欧米流と対立させる、感染源に訴求する“retrospective investigation”(「さかのぼり」調査)にしたところで、今回、事実上の断念に追い込まれた積極的疫学調査=クラスター調査の一部でしかないからだ。
篠田さんの説く日本モデルに至っては、単なる現状追認の似而非論理でしかない。それを根拠づけ、正当化する何らの説明方式を提示しない。ただ、欧米諸国と比べて現実的に(ἐνεργείᾳ)、日本は比較的にうまく言っているではないかという、論理未満の説明断念、論理的解明の拒否だけだ。その帰結として、魔術的問いと退ける「ファクターX」仮説への根本的無理解、理論ぎらい(μισόλογος)が見え隠れする。
素人批評に淫する社会科学者は、気楽でいい。[完]
前提として、Twitterの利用規約によると、米国カリフォルニア州法が準拠法のようなので、米国法が適用されます。その場合、米国連邦通信(品位)法230条c項(2)(A)によりtwitter社の措置が免責される可能性が高いです。この免責規定は、伝統的な憲法理論では憲法は公権力を規制するもので私人には原則として適用されず、Twitter社等の私企業に対し表現の自由を主張出来ないということを前提としたものです。
しかし、例外が考えられます。米国の判例法理で形成されたステイト・アクション(state action)の法理」では例外的にも私人にも憲法が直接適用される(例外として、①public functions exception②entanglement exception)という例外法理があります(米国以外では、法律の一般条項等を通じて間接的に適用されるという、ドイツ憲法の判例学説に由来する「私人間効力における間接適用説」があり、日本でも、三菱樹脂事件最高裁大法廷判決以来の確立した判例法理となっております。)。
Twitterが思想の自由市場として重要な公的機能を果たしている実情から(上記①の「public functions exception」の類型)、例外的に憲法が直接適用される余地も理論上はあり、その場合は上記免責規定が表現の自由の観点から違憲となるか、免責の範囲が制限される合憲限定解釈がされる可能性はあり得るように思います。なお、局面が異なりますが、トランプ大統領がTwitter上で自身に批判的な投稿をしたユーザーをブロックをした行為が米国憲法修正1条違反とされ敗訴した米国連邦第2巡回区控訴裁判所(ニューヨーク州に所在)の判断を自身に有利に援用することは可能かもしれません。
今後、トランプ大統領がTwitter社に対し民事訴訟を提起するかは不明ですが、訴訟になった場合は裁判所の判断が注目されます。
お前の言い種を聞いてると、このガキが、ナメてんじゃねえよって、思うわな。
なんだいお前、ごろつきか?言い種が妙チキリンだわ、しゃらくせえ。ええ、キチガイ、狂っている、頭がおかしいだと、マスコミの連中には言いたいことは山ほどあるが、ネットで名無しの権兵衛を言いことに、よく飽きもせずワメキ散らしているわ、全く。
カロとかいう、バアさんの保護者か、お前。それとも、おばあちゃん子だったのかよ、二人でつるみやがって、ヘドが出るぜ、全く!
洗脳だと!バカにすんじゃねえよ。いい年したガキのくせしやがって!そんなに簡単に騙されてたまるかよ!マインドコントロールかなんかしらねえが、きいたふうなこと、いいやがって、飽き飽きしたわ、他に言うことないのかよ!
「完全に頭おかしい連中」って、ひょっとして、お前のことか?キチガイ、キチガイって、よくほざくわ。新聞社でも受けて落とされたか、投書でもしてコケにされたのか。お前みたいなの、多少は知ってるわ。居酒屋で安酒食らっていたら、朝日がどうのこうのとか、毎日は、東京はって、どうでもいい話で喧しいったらない。酒が不味くなるって、どやしつけてやった。
そしたら、鳩が豆食ったようなツラしやがって、ダンマリよ。からきし、根性なしのバカタレども。
お前の話は、根性なしが、あさっての方でマスかいてんのとおんなじだよ。わかってやってんだろうが、場もわきまえずに、いい加減にしやがれ!
ホントのキチガイってえのは、マスコミなんかじゃねえよ!あいつら、何でも商売じゃねえかよ。少しは行儀よくしない。お前、ガキもいる人の親なんだろう。
お前の相手なんか、よほどの世間知らずでもなきゃ、誰が相手にするかよ!どアホが多いからって、庶民をなめんなよ!
お前の言い種を聞いてると、このガキが、ナメてんじゃねえよって、思うわな。
なんだいお前、ごろつきか?言い種が妙チキリンだわ、しゃらくせえ。ええ、キチガイ、狂っている、頭がおかしいだと、マスコミの連中には言いたいことは山ほどあるが、ネットで名無しの権兵衛を言いことに、よく飽きもせずワメキ散らしているわ、全く。
カロとかいう、バアさんの保護者か、お前。それとも、おばあちゃん子だったのかよ、二人でつるみやがって、ヘドが出るぜ、全く!
洗脳だと!バカにすんじゃねえよ。いい年したガキのくせしやがって!そんなに簡単に騙されてたまるかよ!マインドコントロールかなんかしらねえが、きいたふうなこと、いいやがって、飽き飽きしたわ、他に言うことないのかよ!
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そしたら、鳩が豆食ったようなツラしやがって、ダンマリよ。からきし、根性なしのバカタレども。
お前の話は、根性なしが、あさっての方でマスかいてんのとおんなじだよ。わかってやってんだろうが、場もわきまえずに、いい加減にしやがれ!
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お前の相手なんか、よほどの世間知らずでもなきゃ、誰が相手にするかよ!どアホが多いからって、庶民をなめんなよ!
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