前回の記事で、ゼレンスキー大統領のクルスク侵攻作戦の最大の目的は、「戦争を継続させること」であった、と書いた。たとえウクライナ側の被害の方が大きくなる合理性のない作戦であるとしても、ゼレンスキー大統領は、「成熟」の成立を拒絶し、停戦の機運が高まることに抵抗した。https://agora-web.jp/archives/240912154817.html 

 だが損失を甘受してまでして戦争の継続を望み、それでいったいどうやって勝利しようというのか? それが次の問いであろう。

 戦争のエスカレーションを通じて、さらなるNATO諸国の戦争の関与を引き出して、戦争に勝利する。それがゼレンスキー大統領の考えだろう。より正確に言えば、それ以外の方法では、もはや戦争に勝利する方法がない。

 ゼレンスキー大統領は、アメリカをはじめとするNATO諸国の臆病を糾弾し、長距離兵器によってロシア領地の奥深く攻撃をしたい。戦争のエスカレーションを通じて、NATO諸国をよりいっそう深く戦争の当事者として巻き込んでいきたいからだろう。

 繰り返しになるが、どうしても絶対に「ウクライナは勝たなければならない」のであれば、NATOの直接介入くらいを目指すのは、仕方がない。NATOを巻き込むことなくして、「勝たなければならない」目標を達成する見込みはない、と考えるのは、実は理論的には破綻していない。

 前回の記事において、ミアシャイマー教授が、ウクライナの敗北以外に、戦争が終わる見込みはない、と断言しているのは、こうした事情を見てのことだろう。

ウクライナは、NATOのさらなる関与を引き出すことを目標にして、軍事的には合理性の欠けた、エスカレーションそれ自体を目的にした作戦を繰り返す。NATOのさらなる深い関与以外には、「勝たなければならない」目標を達成できないからだ。

ところが驚くべきことに、NATO諸国は、実際には、直接介入などしたくない。そのための準備も全くしていない。このミスマッチを、ロシアは突いてくる。ロシアは前進できる限り、前進してくる。

ミアシャイマー教授は、この構図を見透かしている。そのためウクライナが、エスカレーションそれ自体を目標にした作戦を繰り返す行動の効果を、見限っている。

 私は『フォーサイト』という会員制のオンライン・サイトで、国際問題に関心を持つ層向けの時事問題を論じる文章を定期的に書いている。そこでミアシャイマー教授について、2022年の全面侵攻のすぐ後に、幾つか書かせていただいた。ミアシャイマー教授は、「攻撃的リアリズム」の理論で知られる。端的に言えば、国家の攻撃性を強調する学派だ。ミアシャイマー教授は従来から、NATOの東方拡大をウクライナまで及ばせようとして、ロシアが反応しないはずがない、という主張をしていた。2014年マイダン革命以降、その警鐘を鳴らしていた。彼は「親露派」の「陰謀論者」とみなされて、今や欧米+日本の主流派の人々からは完全に白眼視されているが、彼の理論的立場からすれば、当然の結論を述べているだけだったにすぎない。私は、『フォーサイト』で、そのことを指摘した。

 ミアシャイマー

 私は、次に『フォーサイト』で、ヘンリー・キッシンジャーについて繰り返し書いた。やはりアメリカの現実主義者として知られる学者だが、大統領補佐官・国務長官も務め、アメリカ外交史に巨大な足跡を残した人物だ。もともと研究者だったが、博士号取得論文が19世紀ウィーン会議の研究であったように、外交史の研究に重きを置く人物であった。その点は、ミアシャイマー教授とは、少し趣が異なる。キッシンジャー氏は、225月のダボス会議にオンラインで出席した際に、ウクライナ情勢について語った。それが誤解され、キッシンジャー氏がウクライナに領土の割譲を求めた、と報道された。ウクライナ政府がいち早く反応してキッシンジャー氏を非難する発言をしたため、大騒ぎになった。

 私が『フォーサイト』で書いたのは、キッシンジャー氏は、領土の割譲を求めていない、ということであった。同氏の書物は難解だ。実は話し言葉も難解である。学者が見て単語の選択が正確すぎるだけでなく、言葉のニュアンスに非常に配慮が行き届いているため、結果的に普通の文章としてはわかりにくくなる。しかしキッシンジャーの著作群を知る者には、ダボス会議で同氏が述べたことは、「領土を割譲すればいい」といった単純なことではなかったことがわかったはずだった。

 キッシンジャー
キッシンジャー+

 キッシンジャー氏は、戦争の現実をふまえた上での新たな「正当性と均衡性」の構築が必要だ、という極めて理論的なことを述べていた。これは19世紀ウィーン会議の研究でハーバード大学で博士号を取得したときからの一貫した同氏の着眼点である。キッシンジャー氏は、百歳まで生きた生涯をかけて、このことを語り続けていた、と言っても過言ではない。

 1991年の時点の領土的一体性の維持は、国際法上の裏付けがあり、この「正当性」を無視した紛争解決は、安定性を確保できないだろう。しかし「正当性」を振り回すだけでも、解決はもたらせない。「正当性」の裏付けは、計算された「力の均衡」によって確保されなければならない。ロシアとウクライナの間の力の非対称な関係が、NATO諸国の国際支援とウクライナの2014年以降そして2022年以降の軍備強化によって、是正される。最終的な紛争解決の形は、この計算式の結果として、生まれてくる。

 より具体的に言えば、ウクライナ及び支援国は、領土の割譲を認めることはできないし、認めたところで情勢が安定するとは言えない。しかしだからといって領土を武力で奪還できるまで戦争を止めてはいけない、とはキッシンジャーは言わない。力の均衡が成立する点を見極める際、ロシアの計算式よりもウクライナに有利な修正が施されるだろう。しかしそれは、あくまでも「力の均衡点」のことである。「現実を何とか正当性にあわせるためにどこまでも戦争をする」ことではない。

 さらに具体的に言えば、朝鮮半島、カシミール、キプロスなど、紛争当事者が領土問題に合意しないまま達成されて維持されている停戦合意は、世界に多々ある。というか、停戦合意というのは、通常は、そういうものである。一方的な主張も、一方的な譲歩も、紛争解決に役立たない。ポイントは、力の均衡点を見つけ出し、それを正当性の原理と、何らかの修正を持って結びつけていくことである。

 現在進行中のロシア・ウクライナ戦争が、世界の他の戦争、あるいは調停されてきた歴史上の戦争と異なっているのは、当事国及び深い関与をしている支援国群が、「勝たなければいけない」の原理主義的立場を取り、「力の均衡」を見出す努力を放棄している点である。

 これは過去の歴史で言えば、二度の世界大戦のように全面戦争の末、どちらかの紛争当事者の完全敗北に至るまで続いた戦争のパターンであると言ってよい。それとは対照的に、キッシンジャーは、米中和解、ベトナム戦争の終結、などの外交成果を、「正当性と均衡性」の視座にもとづく計算式を精緻化する能力で、達成した人物である。
 ウクライナは領土を全て奪還したら戦争を停止したいので、ロシアを前面屈服させるわけではない、と言うかもしれない。しかしそのときロシアが戦争を停止する保証はない。要するに、どこで「均衡点」を見出すか、が本質的な問題である。領土の線引きではない。

 ネオコンを排し、新しい共和党の体制を構築したドナルド・トランプ氏は、決して理論的な観点からキッシンジャーを信奉しているわけではないだろうが、その比類なき交渉好きの性格から、結果としてキッシンジャー路線に立ち戻ろうとしているようにも見える。

 アメリカのバイデン政権関係者を含めて、現在のロシア・ウクライナ戦争の当事者たちは、そこから遠いところにいる。

 そうだとすれば、と、ミアシャイマー教授は言うだろう。「均衡性」を度外視して、ウクライナが勝つか、ロシアが勝つか、二者択一の世界が広がる。純粋な「攻撃的リアリズム」の世界だ。

欧州の指導者たちは、そのうえで「ウクライナが勝たなければならない」と力説している。バイデン政権関係者は「ウクライナに勝ってほしい」という言説で、アメリカの有権者にアピールしようとしている。

そこでゼレンスキー大統領は、だったら米欧諸国よ、もっともっともっと深く戦争に関わってほしい、直接介入してもらっても構わない、というエスカレーションのことばかりを考えている。

しかし、「ウクライナは勝たなければならない」と力説している諸国は、実際には自ら介入する意図は持っていない。

 この様子を見るミアシャイマー教授は、次のように考える。もしそうだとすれば、純粋な「攻撃的リアリズム」の観点からすれば、ウクライナの敗北以外のシナリオで、戦争が終わることはない、と。

 

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