イスラエルが、レバノンの国連PKOである「UNIFIL(United Nations Interim Force in Lebanon(国連レバノン暫定駐留軍)」に、国境地帯から撤収するように要請した。その後すぐ、イスラエルの戦車がUNIFLの監視塔に攻撃を加え、2名の負傷者が発生した。

 レバノン駐留の国連PKO(平和維持活動)UNIFILは、10,058名(2024年9月2日現在)の軍事要員と、その他に約800人程度の国際・現地文民職員を擁する大規模ミッションである。https://peacekeeping.un.org/en/mission/unifil

現在の国連のPKOミッションの中では、4番目に大きく、アフリカ域外で、伝統的な停戦監視だけを主任務にするミッションとしては、最大規模である。

UNIFIL

基本的に停戦監視だけを行い、文民の職員を擁するような複雑任務にあたっているわけではなく、なお1万人以上の要員を擁しているのは、それだけの軍事的プレゼンスが必要となる危険な地域だからだ。設立以来、326人もの殉職者を出している。

UNIFILが設立されたのは、1978年である。当時レバノンに展開していたイスラエル軍の撤退を可能にするために、派遣された。1978年当時のイスラエルのレバノン侵攻は、同国内に存在していたパレスチナ解放機構(PLO)に対抗する措置だという名目であった。ただし南部レバノンの占領は、そのような理由では認められないとレバノン政府が抗議した。そこで国連安全保障理事会が、イスラエルの撤退と引き換えにレバノン政府の治安維持活動を支援するUNIFILを設立した。

しかしイスラエルは、1982年に再びレバノン南部に侵攻し、段階的に撤収したものの、駐留し続けた。UNIFILは、イスラエル軍展開地域から撤収せざるを得ず、後背地から人道援助を行うことになった。この期間にも、イスラエルの砲撃によってレバノン市民が多数犠牲になり、UNIFIL要員も死傷者を出す事件などが起こった。イスラエルの最終的な撤退は、2000年になってからのことであった。

しかしレバノン南部で台頭したヒズボラがイスラエル領内に攻撃を加えるようになり、2006年にイスラエルは、大規模な攻撃とともに、再びレバノンに侵攻した。この時のイスラエルの2006年内の撤退を可能にするため、UNIFILの強化が図られて、治安維持にあたるレバノン政府への支援をより積極的に行うことが求められた。

国連安全保障理事会常任理事国の一つであるフランスは、歴史的にレバノンと深いつながりがある。その事情も反映して、イタリアやスペインといった南欧諸国が、UNIFILに相当数の兵員を派遣してきている。

だが現在のUNIFILの最大要員提供国は、インドネシアだ。全体の1割以上を占める1,231人の要員を派遣している。次がイタリアの1,068人で、欧州グループの中東への貢献の代表のようになっている。それに、903人のインドが続き、そして833人のマレーシアが続く。

中東から離れており、歴史的にも深い結びつきがあるとまでは言えない東南アジアのイスラム圏の有力国であるインドネシアとマレーシアの二カ国だけで、全体の2割以上の要員を提供して、UNIFILを支えているわけである。なお南アジアのイスラム圏有力国であるバングラデシュは、UNIFILでは120人の要員派遣で、国連PKO全体で5,724人で世界第3位である。

インドネシア、マレーシア、バングラデシュのUNIFILへの大きな貢献は、私が、ガザ危機の未来も、アジアのイスラム圏の諸国を招き入れる仕組みで切り開いていくのが望ましい、と主張し続けている理由でもある。これらのイスラム文化の代表者でありながら、中東の問題には第三者性を持って関与することができる諸国の存在は、貴重だ。PKOの経験が豊富だということになれば、なおさらである。そうした諸国があれば、欧州諸国や、アラブ諸国も、参加しやすくなる。イスラエルとの国境地帯という要所を担当しているため注目されることになったアイルランド(UNIFILへの派遣要員数370人)のような中東に貢献する準備がある欧州の国の参加も、確保しやすくなる。

UNIFILがイスラエルに駆逐されてしまわないようにできる限りの努力をするのは、全ての国連加盟国の責務であると言ってよい。だが、それだけではない。UNIFILの存在感は、やがてガザ危機の打開にも、大きな意味を持ってくる。

 

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