5月9日のモスクワにおける「大祖国戦争」戦勝記念式典に出席する世界の指導者に対して、ウクライナのゼレンスキー大統領が、安全が保証されないので欠席すべきだと発言したことで、波風が立った。ロシア政府が「テロ予告だ」と反発しただけでなく、スロバキアのフィツオ首相が「脅かしには屈しない」と述べた。アメリカからもウクライナに行動をしないように働きかけている、といった報道も見られた。ロシアは厳重な警備・防御態勢をアピールした。
結果として、モスクワでは、事件の発生なく、式典パレードが執行された。ロシアのプーチン大統領は演説で、ソ連の赤軍がナチス・ドイツを打ち破って「人類の平和と自由」を守った歴史を「歪曲」する試みは許さない、と述べたうえで、「国益、千年の歴史、文化、伝統的な価値観をしっかりと守る」とも述べた。
ウクライナ及びその支援国としては、これが政治的出来事として面白くないだけでなく、ソ連の歴史をロシアの侵略とも結びつけている歴史観としても面白くないものだ。5月9日に先立って、ウクライナ政府は、ソ連がナチス・ドイツと不可侵条約を結んで東欧を分け合ったことが、第二次世界大戦の発端だった、と説明する広報ビデオを公開していた。
5月9日にウクライナ軍は、ウクライナと国境を接するロシアのベルゴロド州の政府庁舎を航空機型ドローンで攻撃した。民間施設に対する攻撃で負傷者が出た。ただ、大規模な侵攻をしたクルスク州の東隣の州であり、国境を挟んで向かい合うハルキウ州は、戦場を抱える地域だ。大きな驚きを与えるほどではなかった。
ウクライナは、西欧側の対ドイツ戦戦勝日である5月8日にあわせて80年前の戦争の終結に伴うイベントを行うと、9日には欧州指導者たちとリビウで「侵略犯罪」を裁くための特別法廷を設置する協議の会議を行った。さらには10日、フランスのマクロン大統領、イギリスのスターマー首相、ドイツのメルツ首相、ポーランドのトゥスク首相が、キーウを訪問した。独立広場で揃って戦没者を慰霊する献花も行った。これはロシア・ウクライナ戦争の犠牲者に対してなされたものと思われる。
ただしその裏では、ハンガリーのフィツオ首相は自身のモスクワ訪問を批判したカラスEU外交安全保障上級代表を批判し返す文章を公開するといったやり取りも起こっている。ハンガリーは、自国がナチス・ドイツに味方した、という歴史的経緯から、高官のモスクワ訪問は見送ったが、オルバン首相が欧州の反ロシアの姿勢に懐疑的であることは周知の通りだ。ルーマニアの大統領選挙で、40%を獲得したルーマニア統一同盟(AUR)候補のジョルジェ・シミオン氏が決選投票も勝つと、ウクライナが国境を接するEU/NATO加盟国4カ国のうち、ポーランドを除く3カ国がウクライナ支援に懐疑的なグループとなる。そのポーランド首相と並んでキーウを訪問したドイツ、フランス、イギリスの各国において、同じ思想傾向を持つ「極右」政党の支持率が急伸していることも、周知の通りである。
欧州主要国の指導者層は、アメリカのトランプ政権の諸政策に感情的なまでの反発を示すことが多い。ロシアに対しても宥和的すぎると批判しがちだ。しかし「30日間の停戦」案で、アメリカと共同歩調をとろうともしている。選挙の洗礼を受ける必要がないEUのカラス上級代表や、フォデアライエン委員長とは異なる事情を、日ごろから世論調査を気にし続けている各国政府の指導者は持っている。「ウクライナは勝たなければならない」の欧州諸国指導者の間で一時期の決まり文句のようになっていた発言は、聞かれることがなくなった。もちろん何と言っても、ゼレンスキー大統領が、ホワイトハウスでの激突以降、「ウクライナは停戦に乗り気だが、合意しないのはロシアだ」という路線でのトランプ大統領を含めた各国へのアピールの修正をしていることも大きいだろう。
日本でも、トランプ政権発足直後の一時期は、停戦交渉に走るトランプ政権を見限り、徹底抗戦するウクライナを支え続ける欧州諸国と、日欧同盟を結ぼう、といった威勢のいい発言も見られた。だがそれも「トランプ関税」とそれに伴う減税騒ぎで下火になっている印象はある。
ロシアは手ごわい国である。屈従する必要はなく、信用し過ぎるのは危険なら警戒すべきだが、甘く見るのは、禁物である。欧米諸国が本格的に「制裁」を加えているのを見て、ロシアは崩壊したも同然だ、と言ったことを語る方々がいたが、それはもちろんだいぶ前に消えていらっしゃるかと思う。
私自身は、ウクライナの自衛権行使は正当で降伏の必要はない、という文章を書いたのを橋下徹氏に見てもらったことから、思わぬ形で有名になったが、「均衡」論者である。別にロシアにおもねる必要はないが、ロシアを破壊することなど、できるはずがない。だからこそウクライナの正当かつ計算した自衛権行使が重要であった。「均衡」以外に、戦争を終わりにする方法はない。
ロシアの大祖国戦争式典に出席した世界の指導者の国々のリストを見てみよう。首脳級は29カ国を数え、大きな外交の場ともなった。アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンは、旧ソ連構成諸国だ。ウクライナに加えて、そもそもソ連の併合は違法だったという立場をとり、現在はEU/NATO内の対ロシア急進派のバルト三国に、モルドバとジョージアというロシアと距離をとる諸国が参加しなかったが、それら以外の旧ソ連構成諸国はそろった。近隣では、スラブ系住民を持つボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアのバルカン半島組に、モンゴルが、同じ戦争を戦った同志のような位置づけで、順当な参加である。スロバキアは、スラブ系ではないが、ナチス・ドイツに加担した国としての歴史と赤軍に解放してもらった国としての二つの位置づけを持つ。
第二次世界大戦の記憶を同じ側から共有する国と言ってもいいのが、超大国・中国だ。別格の厚遇を受け、存在感を見せつけると同時に、ロシアとの親密な関係をアピールした。なお抗日戦争の歴史観に立つと、ベトナムも中国と同じような歴史観の立ち位置だ。それに準ずるのがラオスだろう。微妙だが、ミャンマーも同じ系統ではある。なお北朝鮮は、金正恩氏が訪ロを見送ったため、最高議会議長が出席したと見られている。もし北朝鮮を含めると、外国首脳は30カ国となる。
さらにはロシアとの良好な関係から出席したと言ってもいいと思われるのが、欧州・アジアの域外からの参加である。目立つのが、アフリカ勢だ。ブルキナファソ、コンゴ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、ギニアビサウ、ジンバブエの七カ国だ。中東からは、エジプトを重なって数えてもいいのを除けば、パレスチナ自治政府の参加だけにとどまった。ラテンアメリカからブラジル、キューバ、ベネズエラだ。
30カ国という数字は、あるいは際立って多いわけではないかもしれない。しかし欧州諸国が、支援国のグループを欧州域外に広げるのに苦心していることと比べれば、堅調であると言える。ロシアの外交力も、軽視することはできない。
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