1990年代末以降、「DDRDisarmament, Demobilization, Reintegration)」という概念が「SSRSecurity Sector Reform)」の概念とセットになって国際的な平和活動の分野で定着しました。日本では伊勢崎賢治さんの『武装解除』の本でよく知られています。私も拙著『平和構築と法の支配』を2003年に刊行した際には、「法の支配(rule of law)」の観点からこのあたりを議論しました。紛争社会に安定的な平和をもたらすために、武装勢力に武装解除を促し、それだけでは足りないので動員解除を促し、念のため社会再統合のお世話までワンセットでやっていこうという政策的方向性を表現した概念です。今日ではもはやDDRSSRも最新議論とか流行りものだとか感じるようなことはなくなりましたが、定着はしているのだと思います。

 拙著『集団的自衛権の思想史』では、第2章で「憲法9条は絶対平和主義なのか」という題名を立てた議論を提示しました。執筆している際に依頼されたある雑誌原稿について、こういう内容の章を持つ本を書く予定なのですが、と告白したところ、それでは結構です、と断られたということもありました。

 拙著第2章では、「大西洋憲章」をよく読んで、ポツダム宣言→終戦→日本国憲法の流れを考えれば、9条は「敵国」の「武装解除」という戦後の平和構築政策の指針を明文化したものであると言うのが自然だと論じました。平和構築を専門にして、数々の現代のDDRの事例を研究対象にしている私からすれば、こうした言い方は個人的にはそれほど衝撃的なことではないのですが、あまり馴染まない言い方であるかなという気がしていないわけではありません。

 9条は国連憲章が標榜する国際秩序と切り離されて存在しているものではなく、むしろそのような国際秩序を前提にして設定されたものだということです。

国際的な政策方針として実施された「武装解除」を国内的にも受け入れた政策原則として、それでどう平和な社会を作っていくのか、が政策担当者の腕の見せ所です。その際、国際社会側の政策、たとえば国連憲章における集団安全保障および集団的自衛権の枠組みが特定国の「武装解除」とセットで設定されていることを十分に意識することは、国内政策担当者にとっては当然の態度にはなるでしょう。