国家は人間ではない。一つの制度的実態を持つ存在だとしても、生身の人間とは異なる。当たり前のことだ。だが時にわれわれは、倒錯した状態に陥る。ルソー(フランス革命)からヘーゲル(ドイツ観念論)に至る系譜では、国家は意思する実体であるということが、まじめに論じられた。そのような思想を支えているのは、国家と等しいとみなされる「国民」という集合的人格が持つとされる「一般意思」なるものへの信奉だ。
国家があたかも生きる実体であるかのように仮想するところから、自衛権は国内法における正当防衛と同じだという発想法が生まれる。ところが単なる発想法でしかなかったものが、次第に思考の枠組みそれ自体を強力に支配し始めるときがある。たとえば、自衛権の理解が国内法の正当防衛の理解と異なっている場合には、自衛権の理解の方を国内法の正当防衛の理解にそって正すべきだ、といった主張がそれだ。国家と自然人を類推関係に置き、徹底して擬人法を貫いて国際社会を秩序づけることが、最も正しい態度だ、という思い込みから発している主張である。
「イギリス学派」の総帥とも言える国際政治学者・へドリー・ブルは、擬人法を振りかざして国際社会を理解しようとする態度を「国内的類推(domestic analogy)」と呼び、国際社会の理解を阻害する大きな偏見であると指摘した。国内社会の秩序と国際社会の秩序は異なる。本来はどちらが良いとか優越しているとかではなく、単に異なっているのである。
ところが「国内的類推」を振りかざして、「まあ要するに国際社会では国家が自然人のようなものですよね」という偏見から全ての推論を作り出そうと試み、もし国際社会が国内社会と異なっている場合には国際社会の在り方を糾弾する、といった態度をとる人たちもいる。
そうした人々からは、「国際社会は遅れている、なぜなら国内社会のような秩序がないからだ」、「国際法は原始的だ、なぜなら世界憲法も世界政府もないからだ」、といった結論しか出てこない。国際社会は国内社会とは違う、という単純な事実が、いつのまにか「だから国際社会は遅れているのだ」という断定にすり替わり、「国際法上の自衛権はおかしい、なぜなら国内社会の正当防衛と違っているからだ」、「だいたい国連憲章集団安全保障までは政府の代替としてまだ認められるが、51条の集団的自衛権は国内法に対応物がないので間違っている」、のような偏見に満ちた論理が大真面目に振りかざされてしまう。最悪の場合、「国際政治学者や国際法学者はおかしい、なぜなら憲法学者のように考えないからだ」といった話にまで発展しかねない。
拙著『集団的自衛権の思想史』第1章では、次のように書いた。
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内閣法制局の推論は、国際政治学で用いられる概念を援用すると、「国内的類推」の危険性に対してあまりにも無頓着である。国内社会における自然人と、国際社会における国家とを、類似関係に置いて国家の自然権などを説いていく思考回路は、国際政治学および国際法の分野では、「国内的類推(domestic analogy)」と呼ばれて、警戒すべき俗説とされるものだ[1]。自然人と国家は異なり、国内社会秩序と国際社会秩序とは異なる。国際社会における自衛権の行使は、依然として公権力の行使であり、私人の正当防衛とは異なる。国際法の分野でも、京都大学教授・田岡良一が「国際法上の自衛権」を論じた際に、指摘した点だ。「国内法上の自衛権の概念を模して国際法上の自衛権を説」いていると田岡が描写したのは、東大法学部で国際法を講義した立作太郎や横田喜三郎らであった[2]。
国際法においても、国家を正面から擬人化する論調が通説だというわけではない[3]。国家が自然権的に自衛権を持っているという思考は、ドイツ国法学に特徴的だ。日本の憲法学の戦前から続く伝統の部分である。従来の内閣法制局が依拠していたのは、「国家法人説」の擬人国家観に依拠した「国内的類推」の発想であった恐れがある。
[1] Hedley Bull, The AnarchicalSociety: A Study of World Order (London: Macmillan, 1977).
[2] 田岡良一『国際法上の自衛権』(新装版)(勁草書房、2014年)(初版1964年)。
[3] 「(自衛権を「固有の権利」とする憲章51条は)自衛権を超実定法的な国家の自然権とみなすものではなく、あくまで国際慣習法の範囲内での基本権能をいうにすぎない。・・・国内社会では、法の執行手段が集権化され法益侵害の態様も特定されており、したがって正当防衛はやむをえずとられる例外的な自救手段である。これに対して国際社会では自衛権は、各国がひろくその権利・利益に対する重大な侵害(侵害法益の未分化)を排除するためにとりうる正当な手段」である。山本草二『国際法(新版)』(有斐閣、1999年)、732頁。
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